塵と闇
「おぼぇぇえええええええええええ」
下水溝に黄白色の液体が流れていく
四つん這いになった波斗は下水溝に顔を突っ込むようにして嘔吐している
彼の背後では翼が石段の上で頬に手を突いて座っており、その光景を退屈そうに眺めている
「翼、どうだ?蒼空は」
「…」
翼は首を左右に振り、ため息をつく
牙の視線は翼から蒼空へと移る
「武器を使うのならば体力だ」
「貴様は運良く不死身な上に驚異的な回復力を持つ」
「ならば、幾ら過度なトレーニングを積んでも問題は無いわけだ」
「楽しめそうだな」
厭らしく頬をつり上げて牙は笑む
下水溝の中から「まず心が折れるわ……」と声が聞こえるが、牙は聞こえぬふりをして笑って居た
古建のビル
「……外部の状況を教えろ」
「知っているのだろう」
「タダで、か?」
「…と言いたい所だが、そうも行かねぇか」
雅堂はグラスを傾けて唇に着ける
バムトも同じくビールを喉へと流し込み、一息つく
「憑神、か」
「秋鋼の……、あー…、なんつったか」
「火星?だっけ」
「貴奴が依り代となり、憑神が生まれた」
「本来ならば生まれるはずがなかっただろう」
「内面が追いつかぬはずだったからな」
「どうにも、計画通りに事が進まぬ」
「核とも連絡が取れねぇ」
「ここに入ってからだ」
「……そういう作りなのだろう」
「我等を投獄し、監視も付けぬのだ」
「かなり特殊な地なのだろうな」
「厄介なことを…」
「それよりも、だ」
「憑神への対策が第一だろうが」
グラスが机の上に置かれる
雅堂はビールを注ぎ、グラスを揺らす
「対策、か」
「そもそも憑神の魂は五紋章に分けられていたはずだろう?」
「それが、どうして今になって…」
「……何だ?知らなかったのかよ」
「五紋章争奪戦っつー、祭峰と軍との間で争いがあったんだよ」
「そこで祭峰側は五紋章を奪いきれず、結果的に五紋章内の高純度エネルギー体を抽出されちまった」
「恐らく、火星って野郎は無型の結晶を体内にブチ込まれたんだろう」
「だが、それは祭峰の目的だったはずだ」
「あぁ、そうだ」
「無型が人間…、況してや無能力者である者に適応するはずは無い」
「その男の血と混ざり合った無型は体内を浸食する」
「内部から破壊される前に、浸食による同化時に跡形も無く破壊すれば消し去れる」
「はずだった、だろ」
「…あぁ」
「火星という男は適応してしまった」
「五紋章から抽出されたエネルギーに」
「本来は祭峰が自分ごと消すはずだった」
「だが、元が人間である俺達は無型に適正を示している」
「もし祭峰が適正を示せば多大な戦力の喪失だ」
「それを恐れたから、奴は一般人にその荷を負わせた」
「的確な方法として、な」
「だが…、解らんな」
「何故、男は荷を負うことを望んだんだ?」
バムトは目を細めてグラスを置く
彼の視界に光は消えて、一人の女が浮かび上がる
「……愛」
「はぁ?」
「貴様には解るまいよ」
「いや、俺にも解らん」
「人の感情としては、あまりに不可解すぎる」
「憎しみほどの理由も無く」
「悲しみほどの永続も無い」
「何たる感情か、言い表せぬ」
「だが、だが、だ」
「それは憎しみと悲しみと同じく」
「人を動かせる」
「己の命を捨てる理由になるとは思えんがな」
「なるのだ」
「己の命を捨ててまで守るべき理由に」
「解らねぇ、解らねぇな」
「他人を守るために命を捨てる感性が」
「貴様がそれを言えるのか?」
バムトの眼光が雅堂の表情を変えさせる
雅堂が手に掛けたグラスの水面が微かに揺れる
「……何が言いたい」
「いや、別段」
「貴様の言う所の、感性とやらの感覚を聞きたかっただけだ」
「随分と…、食って掛かるじゃぁないか」
「何か気に障る事を言ったか?糞兄貴」
「言ってなどいないさ」
「ただ、蒼空に偉そうに説教を垂れる貴様はどうなのか、と思っただけだ」
「我々は言う所の[世界平和]を目指している」
「自己満足で塗り固められた仮初めのな」
グラスに金色のビールが注がれる
金色の光に流されて氷が揺れ沈み、再び浮き上がる
「元老院……、今となっては神無と言った方が良いか」
「奴を止めるために我々は動いている」
「そうだな?」
「…あぁ」
「ならば何故、動く」
「神無に対する恨みか?我々を表へ放ってくれた白羽と美穹に対する恩恵か?」
「それとも、理由も無く本能のままに、か?」
「……テメェはどうなんだ」
「…何も」
「ただ、小娘の……」
「布瀬川 蜂木との約束を」
「「私の血を絶やし、希望を救って欲しい」という約束を守るために」
からん、と氷の揺れ沈む音が鳴り響く
空虚な部屋の中で、机を挟んで座る二人の男
対峙した時間は長くも短くも無く
ただ、対談という行為を行っているのだ
対談という名の深心の探り合いを
「……希望、か」
「希望にしては、余りに儚ねぇ」
「それで良い」
「太陽の光は強すぎれば生命を燃やし尽くしてしまう」
「ただ、人々の希望を照らす光であれば良い」
「道具のようだな」
「あぁ、そうだよ」
「道具だ」
バムトは冷淡な瞳で雅堂を見据える
事実を再確認させられた男はグラスを強く握り、ひび割れさせる
「俺達は正義の味方でも聖職者でも勇者でもない」
「ただ、目的を達成するだけで良い」
「俺達の正義の味方のように人々が救えるか?」
「俺達に聖職者のように人を癒やせるか?」
「俺達に勇者のように人々を改心させられるか?」
「否、不可能だ」
「俺達は能力という名の暴力を振り続け、人々を恐怖で屈服させ」
「そして、目的を達成するしかない」
「…それは逃避だろうが」
「思考を拒絶し、本能の赴くままに使う」
「獣と同じだ」
「力の使い方を知らねぇ」
「ならば、貴様は何だ?」
「一時は計画を断絶し、今ここに居る貴様は」
「己の組織を力を使わず滅ぼさせ、今ここに居る貴様は」
グラスが粉砕され、金色のビールが飛散する
雅堂の掌からは血が滴り落ち、金色とそれは混ざり合う
「……確かに」
「俺は実力も能力も年齢もテメェより下だ」
「だが、軍の元No,1を舐めるなよ」
バムトの皮膚を塵埃が撫でる
皮膚上を刃物で剃られるかのような感触
眼前の男は獣が対等たる獣を前にし、威嚇するかのような殺意を放っている
純然な殺意を前に、バムトは敬意を払うが如く闇の眼を開く
「裏切りを行い実験台となった貴様が何を言う?」
「失敗作に敗北し、挙げ句に捕まった貴様が」
「過去の遺物として老害のみから戦闘狂となった貴様が何を言う?」
「女に懐柔され、牢獄へと逃げ込んだ貴様が」
酒瓶から酒が漏れ出す
元から斬れていたかのように断面が生まれ、上半の瓶は地面に落下し砕け散る
「計画、とやらに俺はまだ賛同してねぇ」
「何なら今すぐ計画を露呈し、止めても良いぐらいだ」
「甘いな」
「貴様は甘すぎる」
「蒼空を、曾ての家族と重ねているのか?」
「奴を危険にさらすのが、それほど耐えがたいのか?」
「それこそ貴様の言う[自己満足]だろう」
「何が悪い」
「貴様は蒼空を仮初めの偶像として己の欲求を満たしているだけだ」
「戦場で己が殺した数多くの子供に重ね合わせているだけだ」
「自己満足により奴を苦しめ救済する」
「素人の書く三流物語だ」
「ンだと……?」
雅堂は腰を上げ、バムトを見下ろす
平然と闇の眼を鋭く光らせるバムトを前に、彼は怒りを露わにする
「命は幾らでもあるから捨てて良い」
「だが、憑神には殺されてしまうから行かせたくない」
「出来れば牢獄の中で平穏に」
「……こんな所か?」
バムトの頬を切り裂く塵刃
塵刃は彼の背後を切り裂き、斬断する
瓦礫がビルより落下し、地上で地響音を立てて粉砕される
「余程、殺戦をしたいと見える」
バムトはゆっくりと立ち上がり、雅堂と対峙する
国一つを滅ぼす力を持つであろう怪物同士の対峙
周囲の空気が振動し、虫は地へと引きずり落とされる
人工太陽の光が差し込む薄暗い部屋の中
塵を喰らう者と闇を支配する者が対峙している
互いを殺戮し虐殺し惨殺すべく
「…俺等は解り合う必要なんざねぇ」
「テメェの言う[世界平和]には同意してやる」
「だが……、蒼空を道具として扱うのだけは気にくわねぇ」
「あぁ、それで結構だ」
「我等は解り合う必要など無い」
「ただ、[力を合わせて世界を救えば良い]」
「簡単だろう?」
「力を合わせて?」
「何処ぞの正義の味方が吐き捨てそうな言葉だな」
「少なくとも、悪の象徴であるテメェが言う言葉じゃねぇ」
「悪は正義にはなれない」
「それは何故だ?」
「知るか」
「俺は正義の味方も悪の親玉にもなるつもりはねぇ」
「そうだろうな」
「自由奔放に、それこそ祭峰と同じように」
「貴様は何にも囚われない」
「生きるだけだ」
「それに、何の問題がある」
「何も」
「何も無いからこそ、問題なのだ」
「……テメェは」
「俺はな、雅堂」
「正義の味方にはなりたくない」
「悪の親玉にもなりたくない」
「だから、せめて」
「愛した女との約束は守りたいだけだ」
「その為には如何なる手段も厭わない、と?」
「当然だ」
バムトは腕を振り払い周囲の塵を霧散させる
破壊された壁から外を眺め、闇の眼で光を見つめる
「…そろそろ、この光にも飽きた」
「小僧が修練を終了させ次第、行動を起こす」
「…やるのか」
「あぁ」
「脱獄だ」
読んでいただきありがとうございました