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新世界ノ君  作者: Alice
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序幕

 最近上手くいっていない私に、彼の言葉は大きなチャンスをくれたのだと思う。


 あの日のことはよく覚えている。受験勉強をしていた、いつもの暑い夏の夜。だけど、あの日は夏の景色の中に桜が舞っていた。

「アナタの人生、変えてみませんか?」

 窓を開けて、下を見下ろすと桜吹雪の中に少年がこちらを見上げていた。一度顔を見ただけじゃ、記憶に残らない程、有り触れた、日常に溶け込んだ顔。その所為か、まるで毎日その顔を見ている気がしてならない。

 私は体中に電撃が走ったように、階段を猛スピードで駆け下り、彼のいる家の前の道路に出る。

 じっとりと額に汗が滲んだ。真夏の夜の闇は、ゆっくりと私に絡み付くようだ。

「自分の“答え”を見付けてみませんか?」

 彼の声がした。

 やっぱり、季節外れの桜の中にいた。

「そ、そんなことできるの?」

 喉はカラカラだった。暑さの所為か、このほとばしる緊張感の所為か?

「出来ますよ。僕は、天才ですからね」

 それはまるで、幼い少年がさも当たり前じゃないか、と偉そうに言うな調子だった。

「て、天使ですって?」と、思わず声が上擦った。

 そんなモノが存在するなんて――

「て、天使……いや、天才って言っただけなんだけど……」彼は白けた目でこちらを見ながら、何かボソボソと呟いた。

 しかし、考えるのが面倒臭くなったのか「まぁいいでしょう」と、切り上げた。

「これは、アナタ自身を変える唯一の機会となるでしょう。変えてみたくないですか?仕方がない、その一言で済ませてしまう、アナタの今の人生」

 私は思わず俯いた。彼はまるで私の全てを知っているような口振りだった。いや、もしかしたら、全て知っていて、全て見抜いているのかもしれない。

 中三は、受験で大変な時期だ。夏休みの過ぎた時点で、既にその勝負がついているらしい。志望校を目指して、人はそこに何としてでも合格しようと、死ぬ気になる。でも、私にはその“答え”と呼べるものが無かった。だから、当然、頑張る気にもなれず、グダグダの毎日を過ごしてきた。

 それを見越した母に「そろそろしっかりやりなさい」何度言われたことだろう。「仕方ないじゃん、志望校が無いんだから」それがいつもの返事。

 正直変えたいと思う。目標も、夢さえも無い私を。

 彼の話に乗りたい、と言う自分もいる。だけど、その反面で、「そんな上手い話有るわけ無い」「このままでいいじゃないか」と言う、消極的で優柔不断という本性を持つ自分も、強く存在していた。

「勉強しないのも、仕方ない。塾の模擬テストが悪かったのも、仕方ない」

 彼が私を代弁するように言った。胸がズキズキする。

「弓道の夏の最後の大会では、天才肌と言われ続けていたのに優勝も出来ない。最後は並みの人間以下に。これも、練習したけど無理だった……だから仕方がない」

 そんなこともあったな――

「あ、あと、彼氏だったすばる君に振られたのも、仕方がなかった?」

 思わずうめいた。これについては何も触れないでおこう。

「どうです? 堕落した自分でいいとお思いですか? 弓道にしたって、勉強にしたって、出発点はウンと上でしたよね?でもどうです、今、アナタはどれくらい“落ちてます”?」

 項垂れた。ガキの癖に中々口が上手い。私も上手い方だと思っていたけど、この際何も言い返せなかった。

「タイムリミットは今夜中、月が昇ってる間です」

「でも、急に言われても……」

「大丈夫。アナタは必ず来る……私には絶対的な自信があります」

 そう言って天使は、少年らしからぬ妖艶な笑みを浮かべた。





「ちょっと、行ってくるね」

 私はとりあえず、スウェットから表に出られるくらいの正装をして言った。

「薫、宿題は終わったの?」

 お母さんの言葉に曖昧に返事をして、携帯をポケットに詰めた。

 居間を出るとき、お母さんの横顔を盗み見る。年の割に白髪が目立つし、目尻にもくっきりと皺が出ている。

 あぁ、お母さんは何て平凡なんだろう。お母さんはきっと普通に青春を過ごして、普通に家庭について体たらくでも、質素でもない人生を歩んできたに違いない。

 一つだけ、目標がない私にも“理想”と呼べるものがあった。平凡の間逆、非凡だった。珍しい物が好き、誰も経験したことのない事がしたい、何たって普通は退屈だ。

 弓道を始めたのもそれが理由。お祖父ちゃんとよく、時代劇や歌舞伎を観に行くのが好きだったのも、友達が知らない世界を見られるから。

「何を見てるの? 気持ちが悪い」

 私の視線に気が付いたお母さんが、不機嫌に眉をひそめて言った。

「可笑しいなぁ」私は首を捻った。

「何だか老けたなぁって思って……少し、怒りすぎなんじゃない?」




 携帯を開くと、10時過ぎ。

 あの後、色々考えたけれど、もう一度あの天使君に会ってみるつもりだった。“非凡”に憧れる私は、正直彼の話に惹かれてしまったのだ。人間は好奇心には勝てないものだ。

「やっぱり来ましたね」

 街灯の下で、携帯を握りしめていると彼が何処からともなくヒョッコリと現れた。

 彼が現れると、不思議と桜の花片が何処からか舞い散る。

「僕は来るって思ってました」と、ニッコリと笑う。

「悔しいけど、好奇心に負けました」と、私は正直に降参した。

「ところで、どうして天使君の周りに桜が舞ってるの? 夏なのに」

 すると、彼は一瞬残念そうな表情を浮かべた。 

「僕はこの世界の桜が大好きです。美しくて、この国を象徴するようですね。だから桜がたくさん咲く、春も好きなんです」と、大きな目をパチクリさせながら言った。

「ですが、残念なことに僕の住む世界には桜が無いのです。だから、以前春に来たとき、桜の花片を少し頂戴させていただいたものをいつも持ち歩いているのです」

 目を丸くした。天使が大の桜好きなんて――まさか。

「さて、時間です……そう硬くならないで下さい。向こうでの時間はとっても長いかもしれないし、短いかもしれない。ですが、心配はご無用。こことは時間の流れが違うので、例え“答え”が出ずに100年彷徨ったとしても受験勉強に支障は出ません。ほんの一瞬です、ここを去るのは」

 天使が説明している間に、私の姿を桜吹雪が包む。

「タイムリミットは短くて長いですよ。私が合図します。その時までに、アナタは大切なことを見付けてください」

 桜独特の上品な匂いがする。彼の姿が見えなくなる。

 私は叫んだ。

「ちょ、ちょっと待って!! アナタ本当に天使なの? 何で私なの? ……何もかも可笑しいじゃないっ!!」

 天使の声が段々小さくなる。

「ハハハッ、アナタでなくてはいけないのですよ……さぁ何ででしょうねぇ……不思議ですねぇ」

 視界が桃色の花片で埋め尽くされる。彼の明るい笑い声だけがこだまする。

 


 ハハハッ……ハハッ――

 アナタは……い事を……さすが…の……――




 渇いた笑い声が響く。それは、両耳から聞こえてくる声なのか、それとも頭の中で谺しているのか……私は分からなかった。 

 そして再び目が覚めたときも、私は桜の中にいた。




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