過疎の町の清算書――『地域活性化』という名の粉飾を、伝票一枚で暴いた話
四半期決算の伝票の束、その三十七枚目で、僕はボールペンを握る指を止めた。
「平成三十一年・令和元年度 水守町スマートアグリ推進事業委託費。二千四百万円」
予算執行書の摘要欄に添えられた内訳書。そこに記された数字の違和感が、網膜の裏側に刺さるように主張していた。
『センサーモジュール設置費(百二十箇所):八百四十万円』
この町に百二十箇所のセンサーなど存在しない。先週、公用車で町内の農地をくまなく回った。設置されていたのは、主要なハウスにわずか十二箇所。それも半年以上前にバッテリーが切れ、雑草に埋もれて置物と化していた。差額の七百二十万円はどこへ消えたのか。調達先の欄に記された株式会社アグリエージェントの所在地を検索すると、都内のレンタルオフィスがヒットした。
僕の名前は蓮見ルカ。二十二歳。大学の経済学部を出て、この水守町役場の財政課に配属されて二か月目だ。
僕には幼い頃から、妙な癖がある。人の書いた数字や帳簿を見ると、そこに潜む「無理」や「誤魔化し」が、まるで異物のように浮き上がって見えるのだ。前任者や上司はそれを「若いのに筋がいい」と評したが、本質はもっと単純だ。数字は嘘をつかないが、人が数字を置く場所には必ず欲望や恐怖の跡が残る。それが見えるだけの話だ。
水守町は、山陰の山あいに位置する人口三千人の過疎の町だ。過疎化と高齢化に歯止めがかからず、自前で稼げる税収は年間二億円に満たない。
そんな町に二年前、「救世主」が現れた。
浅倉という名のコンサルタントだった。三十代半ば、仕立ての良いスーツに身を包み、洗練された言葉遣いと鮮やかなスライドで町長や町議会を魅了した。
「地方創生にはイノベーションが必要です。若者が集まるスマートシティ、デジタルアートによる観光革新、ふるさと納税のV字回復。私がこの水守町を、全国が注目するモデルケースに変えてみせます」
テレビ番組にも取り上げられ、浅倉は「地方創生の寵児」としてもてはやされた。町は国の補助金と過疎債をかき集め、浅倉が代表を務める社団法人へ次々と事業を委託した。
そして先月、浅倉は突然「新事業の立ち上げ」を理由にコンサルティング契約を解除し、東京へ戻っていった。
浅倉が去った後の役場に残されたのは、誰も使わない電子タブレットの山、アクセス数が一日二桁しかない観光Webサイト、そして総額一億二千万円に及ぶ事業の未払い金と債務だった。
「蓮見くん、お茶でも飲むか」
声をかけてきたのは、財政課のベテラン係長・長谷川さんだった。白髪の目立つ頭を掻きながら、缶コーヒーを僕のデスクに置いた。長谷川さんは前任の企画課時代、浅倉の強引な事業推進に最後まで反対し、結果として財政課へ飛ばされた人物だ。
「長谷川さん。浅倉さんの社団法人に支払われた委託費の清算書、全部目を通しました」
「……どうだった」
「数字が破綻しています。スマートアグリだけじゃありません。昨年のデジタル移住フェスの運営費千八百万円、会場設営費の領収書がダミー会社の発行したものです。実際の設営は地元の土木業者が三十万円で請け負っています」
長谷川さんは缶コーヒーのプルタブを静かに開け、溜息をついた。
「町長も議会も、浅倉の言葉を信じ切っていたからな。『東京の先端IT企業と連携しているから費用がかかる』と言われれば、ハンコを押すしかなかった。誰も数字の中身を検証しなかったんだ」
「検証しなかったんじゃないです。見たくなかったんです」
僕はデスクの上に、再集計したエクセルのシートを広げた。
「浅倉さんがこの町で行った十七の事業、総額二億四千万円。そのうち、実際に町に還元されたのは二千万円程度です。残りの二億二千万円は、浅倉さんの関連会社やダミー会社を経由して流出しています。これは地方創生でもなんでもない。ただの公金搾取です」
長谷川さんの目が鋭くなった。
「それを証明できるか」
「伝票と現地調査、それと登記簿の写しがあれば十分です。数字の辻褄が合わない箇所をすべて赤字で潰しました」
長谷川さんは僕のシートをじっと見つめ、深く頷いた。
「よし。来週の定例町議会で、決算承認の審議がある。そこで出そう」
定例町議会の日、役場の三階にある議場は独特の熱気に包まれていた。
傍聴席には地元の農家や商店街の店主たち、約四十人が詰めかけていた。浅倉が残していった未払い金で事業資材の代金が回収できず、倒れかけている地元業者たちだ。報道陣のカメラも数台入っていた。
議場の中央、町長席の隣には、高級なスーツに身を包んだ浅倉の姿があった。
足を組み、高価な腕時計をチラつかせながら、余裕の笑みを浮かべ、時折集まった報道陣に手を振っている。今日は「事業引き継ぎと最終報告」という名目で、町長自らが招いて出席させていた。
町長がマイクを握り、胸を張って高らかに宣言した。
「浅倉先生にはこの二年間、我が水守町の発展のために多大なるご尽力をいただきました。一部で心ない噂や誤解が生じておりますが、浅倉先生の手腕は本物であり、本日ご提示いただく最終報告をもって、今後のさらなる飛躍をお約束できると確信しております。批判ばかりの者は、イノベーションの価値が理解できない田舎者と言わざるを得ません!」
町長は傍聴席の地元業者たちをねめ回し、横柄な態度を隠しようともしなかった。
傍聴席から怒りの混じった重苦しい溜息が漏れた。70代の農家の男性が、握りしめた拳を震わせている。
町長の挨拶が終わり、浅倉が満面の笑みで登壇した。プロジェクターに映し出されたスライドは、派手なアニメーションと右肩上がりの美しいグラフで彩られていた。
「皆様、ご覧ください。この二年間で、水守町のブランド価値は全国で300%向上しました。デジタルアート展には延べ一万人が来場し、水守町は今、まさに全国が注目する最先端都市へと生まれ変わったのです」
浅倉の声には、人を酔わせる巧みな響きがあった。説得力のあるグラフ、専門用語を散りばめたトーク。町議会議員たちの何人かが、同調するように頷いている。
浅倉が誇らしげに胸を張り、軽やかに頭を下げた。
「以上で、私の最終報告を終わります。水守町の素晴らしい未来を、陰ながら応援しております」
町長が真っ先に大きな拍手を送ると、議員の一部からもパラパラと拍手が起きた。浅倉が満足そうにステージを降りようとしたその時、長谷川さんがすっと手を挙げた。
「議長。財政課より、本日提出された最終報告書および決算書類について、重大な確認事項があります」
議長が眉をひそめた。「長谷川係長、質疑は議員の質問が終わってから……」
「町民の皆様の税金の使途、ならびに重大な不正に関わる件です。財政課の担当者より、事実関係の説明を許可してください」
長谷川さんの強い口調に、議場が静まり返った。町長が舌打ちをし、「くだらん言いがかりだ。審議の妨害だぞ」と不機嫌そうに叫んだが、議場内の重苦しい空気に押され、議長は消極的に頷いた。
長谷川さんが僕に合図を送った。僕は立ち上がり、マイクの前へ進み出た。手元には、分厚いクリアファイルがある。
「財政課の蓮見です。浅倉様が提示された最終報告書について、事実と異なる数値をご説明いたします」
浅倉が立ち止まり、振り返った。口元にはあざ笑うような笑みを浮かべている。
「若い職員さんですね。何か数字の計算間違いでもありましたか? 素人には少々難しいロジックだったかもしれませんが」
「いえ。計算間違いではありません。完全な虚偽報告と、公金横領です」
議場が静まり返り、一瞬遅れて大きなどよめきが起きた。浅倉の顔から笑みが消え、眉がぴくりと跳ねた。
僕は資料を職員に手渡し、議場の全員と報道陣に配らせた。
「まず第一点。先ほど『延べ一万人が来場した』と報告のあったデジタルアート展についてです。会場の旧水守小学校の入場ゲートデータおよび駐車場の監視カメラ映像を解析した結果、期間中の実際の総来場者数は、延べ八百四十二人です」
浅倉の顔色がわずかに変わった。「何を根拠に……」
「報告書に添付された『一万人』の根拠データは、浅倉様が過去に都内のイベントで収集したWebアンケートの回答者リストをそのまま流用したものです。IPアドレスのログとタイムスタンプが完全に一致しています」
傍聴席から「嘘つき!」「一万人なんて来るわけねえだろ!」と怒号が飛んだ。
僕は淡々と、次のページをめくった。
「第二点。スマートアグリ事業の委託費二千四百万円について。設置されたとされるセンサー百二十箇所のうち、実在が確認できたのは十二箇所のみ。残りの千八百万円相当の機器は購入すらされていません。振り込み先のアグリエージェント社は浅倉様が代表を務めるペーパーカンパニーであり、入金直後、浅倉様個人のプライベート口座および海外の投資口座へ資金が移動されています」
「濡れ衣だ! 捏造だ!」
浅倉がマイクも通さず叫んだ。さっきまでの洗練された態度は跡形もなく消え、顔を血走らせている。
「君のような現場を知らない新人が、表面上の数字だけで物事を語るな! 地方創生には目に見えないブランディング費用や人件費がかかるんだ!」
「では、そのブランディング費用についてお答えします。第三点です」
僕は浅倉を直視した。
「『広報・PR委託費』四千五百万円の内訳です。大手PR会社への再委託費として三千万円が計上されていますが、該当会社に照会したところ、実際の契約額は三百万円でした。差額の四千二百万円の領収書は、浅倉様が設立した存在しない架空会社が発行した偽造領収書です」
浅倉の顔が土色に変色し、膝ががくがくと震え始めた。
「これらは推測ではありません。すべての振込口座の履歴、税務署への照会結果、および契約書の筆跡鑑定を揃えた動かぬ事実です。浅倉様、あなたがこの町にもたらしたのは『イノベーション』ではなく、二億二千万円の公金横領と、地元の事業者への未払い金です」
「な……な……」
浅倉が絶句し、だらだらと冷や汗を流して後ずさった。かつてテレビで誇らしげに語っていた『地方創生のカリスマ』の面影は、そこにはかけらもなかった。
傍聴席の農家の男性が立ち上がり、身を乗り出して叫んだ。
「浅倉! 俺たちの資材代五百万円を返せ! 騙しやがって!」
「詐欺師! 泥棒!」
傍聴席から罵声が怒涛のように浴びせられた。
浅倉は惨めに狼狽し、助けを求めるように町長へと縋りついた。
「町長! なんとか言ってください! あなたが……あなたが全部認めろと言ったんじゃないですか!」
町長は顔を青ざめさせ、浅倉の手を振り払おうとした。
「知らん! 私は何も知らん! 全部浅倉に騙されていたんだ! 私は被害者だ!」
「被害者?」
僕は静かに、クリアファイルの最後の束を掲げた。
「町長、あなたも無関係ではありません。これが第四の資料です」
町長がピクりと肩を跳ね上げた。
「浅倉様の関連会社から、町長ご個人の親族名義の口座へ『顧問料』名目で毎月百万円、計二千四百万円が振り込まれています。さらに、都内の高級料亭や会員制クラブでの接待記録三十二件、および決算の監査を揉み消すよう指示した町長ご自身の直筆指示書もすべて押収・確認いたしました」
議場に、地鳴りのような驚愕の声が響き渡った。
町議員たちが一斉に立ち上がり、「町長! どういうことだ!」「お前もグルだったのか!」と怒鳴り散らした。報道陣のカメラのフラッシュが、バシャバシャと二人の顔を照らし出す。
「ち、違う! これは合法的なコンサルティング料で……!」
町長は泡を吹きながら弁明しようとしたが、浅倉が叫び声を上げて町長に飛びかかった。
「ふざけるな!『浅倉先生、予算はいくらでも作るから俺のポケットにも回してくれ』って泣きついてきたのはお前だろ! 全部こいつの指示だ! 俺一人に罪をかぶせる気か!」
「貴様! 戯言をぬかすな!」
二人は議場で高級スーツを乱し、髪を振り乱しながら、互いの胸ぐらを掴み合って醜い殴り合いを始めた。
かつて「町の救世主」と「リーダー」として讃え合っていた二人が、保身のために惨めになすりつけ合う姿に、傍聴席からは嘲笑と冷酷な罵声が浴びせられた。
「見苦しいぞ!」「二人とも警察へ行け!」
その時、議場の扉が静かに開いた。
長谷川さんの手配により、管轄警察署の捜査員四名が議場に入ってきた。
「浅倉様、および町長。業務上横領および贈収賄、背任の容疑でお話しを伺います」
浅倉は警察の姿を見るや否や、悲鳴を上げて傍聴席側の非常口へ逃げ出そうとした。しかし、足がもつれて派手に転倒し、議場の床に顔面を強く打ち付けた。鼻血を出しながら「離せ! 俺は東京のトップクリエイターだぞ!」と見苦しく暴れたが、捜査員にがっちりと取り押さえられた。
町長は腰が抜けてその場にへたり込み、股間を濡らしながら失心の体で連行されていった。
その直後、議場では満場一致で町長不信任決議が可決され、議長の手によって即座に解職が言い渡された。
二人が連行されていく後ろ姿に、傍聴席からは割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こった。
浅倉と前町長が役場から連行されてから、一か月が過ぎた。
ふたりの不正は全国ニュースで大きく報じられ、「地方創生を騙った悪質な詐欺グループ」として連日叩かれた。浅倉の会社は破産し、横領された資金や隠し口座はすべて警察と弁護士によって差し押さえられた。その結果、地元の事業者への未払い金は全額弁済される目途が立った。
浅倉には実刑判決が下り、かつて彼を持ち上げていた東京のメディアやIT業界からも永久に追放された。前町長も収賄罪で起訴され、退職金は全額没収、親族からも絶縁されて失意のどん底にいるという。
夕暮れ時、僕は財政課のデスクで、来年度の予算要求書をめくっていた。
派手なデジタル事業やイノベーションの文字は、そこには一切ない。路面の補修、老朽化した水道管の更新、地元の農家への小規模な資材補助。どれも地味で、地道で、現実的な数字ばかりだ。
「蓮見くん、今日も残業か」
長谷川さんが、温かいお茶の入った湯呑みを置いてくれた。
「いえ、もう少しで終わります。来年度の予算、各課から上がってきた数値を再計算していました」
「どうだ? 嘘はあったか」
僕はお茶を一口すすり、微笑んだ。
「ありません。どれも、この町で暮らす人たちが本当に必要としている数字です」
窓の外を見ると、夕日に染まった水守町の山々が見えた。華やかな夢や嘘の言葉に踊らされる時代は終わった。これからは、目の前にある現実と正しい数字を一つずつ積み上げていくしかない。
僕はペンを握り直し、最後の数字を静かに記入した。




