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プロローグ 発端

 廊下をドタバタと走ってきた白波アヤセは、大学のとある研究室の前まで止まると、壊れかねない勢いでドアを開き研究室に入ってきた。

 非常にあわてた様子で彼女の口が動く。

「くっくく、黒木さん!い、いますか!」

 ・・・・・・。

 突然の来訪に答えられる者はいない。

 なぜなら研究室には誰も見当たらなかったからだ。

「あ、あれっ?いない?」

「いや、いるよ。黒木なら学食だよアヤセちゃん」

 アヤセの独り言に対して、研究室の空気は無言を返した。

「ここにいないなら、学生食堂にいるのかしら?」

「あれ?俺のこと軽く無視してる?」

 誰もいない研究室にいるのは時間の無駄というようにアヤセは研究室のドアから離れ、また廊下をかけ出して行った。

「いや、いるよ!俺がいるよ!ちょっと、アヤセちゃん!無視しないで!」

 少女が飛び出していった研究室には、ドアが勢いよく閉じる音だけが響き、再び静寂な空気へと戻っていく。



 時計の短針が数字の12と1の間を4分の3ほど進んだころ。

 食堂で楽しい昼食のひと時を過ごした大勢の学生らは、まばらに教室へと向かっていく。

 時計の短針が6分の5ほどになると、大半の学生が食堂を惜しみながらも出ていく。

 そして短針が1を通り過ぎて、2に2分の1ほど近づいたころ。

 大勢の学生で食堂が混雑するのを避けていて、この時間帯で特に受ける講義もない学生が、堂々とランチにありつこうと食堂に入ってくる。

 その中に、今年度卒業見込みである学生の黒木メイジがいた。

 メイジは行列が全くない自動食券販売機で醤油ラーメン(230円)の食券を買い、行列が全くない麺類窓口で食堂のおばちゃんに食券を渡した。

 おばちゃんが麺をゆでている間メイジは窓口の前に置いてあるトレーを一人分取り、同じ所にある割り箸を一膳分取ると、麺をゆでているおばちゃんをゆっくり見守る。

 おいしい醤油ラーメンにありつくには、麺の固さ、スープの濃さ、盛り付けるチャーシューの大きさとネギとメンマの量が重要になる。それらは全て、食堂のおばちゃんの腕と年季と性格と、醤油ラーメンを注文する時間帯に関わっている。

 網を引き揚げるおばちゃんの手付きが遅いと麺の固さは歯ごたえを失ってしまう。次いで、水きりの手際が悪いと、麺についているお湯のせいでスープが薄まってしまう。また、おばちゃんの性格がケチくさいと盛り付けるチャーシューが小さかったり、ネギとメンマがちょこんとしか乗らない場合がある。その結果、やり場のない気持ちを胸に溜めたまま、醤油ラーメン(230円?)を食べる羽目になってしまう。

 熟練したおばちゃんならこのようなミスはほとんどない。常にどんな学生にも一律した醤油ラーメン(230円)を提供してくれる。しかし、そんなおばちゃんでもどうしようもない場合がある。それが注文する時間帯だ。

 想像してみよう。学生数3000人を超える当大学の食堂の広さを、そして時計の短針が12と1のピーク時にあるときの食堂の光景を・・・ちなみに、食堂で座れる席は1000席くらいだ。もうとてもじゃないが、食堂のおばちゃんが上手にラーメンを調理してくれるのを期待するのはやめよう。

 食堂の窓口や自動食券販売機の前では学生の長蛇の列で混雑し、麺類を求める学生だけでも何百人といる。わずか一時間弱というお昼休みに、ボリューム満点な食事にありつこうと学生たちが早い者勝ちの競争を繰り広げているのだ。そんな戦場ともいえる中、おばちゃんたちにとって窓口の中こそ戦場である。長い行列へ並んでいる学生は料理の質よりも、調理する早さを優先してほしい。故に、おばちゃんたちはそれに応えているのだ。

 だから、おいしい醤油ラーメンを食べるのはゆったりとした時間を過ごせる今この時間帯でしかない。

 そして、おいしい醤油ラーメンを時間を気にせず食すのはこれ以上もなく幸福だ。

 それが長年大学にいるメイジの悟ったことだ。

 ・・・。

 ・・・。

 ・・・・・・と、くだらなくも至福なひと時が来るのをメイジがじっと待っていると、食堂には似つかわしくない足音が麺類の窓口に近付いてくる。

「黒木さん!やっと見つけました!探しましたよ!研究室に行っても誰もいなかったから苦労しました!謝ってください!」

 自分の名前をいきなり叫ばれ、かつ謝罪を求める声にびっくりして、メイジは持っているトレーを思わず窓口から落としてしまう。

 トレーにはすでに醤油ラーメンが置かれているとは、本当に思わずだった。

「あっ・・・」

 メイジの耳にはうるさく近づいてくる足音の中に小さくバシャッと、まるで230円相当のものが落ちる音・・・が、混ざって聞こえた。

 

「え?・・・ああ、ごめん。本当にいなかったの?」

「イイエ、だれもいませんでした」

「・・・研究室にはコウタがいたはずなんだけど」

 コウタとは、メイジにとって先輩だ。今年度から大学院生に進学した卒業生である。

 メイジは首をかしげた。

 基本、昼間に教授が留守の間は、卒研生か院生が研究室にいなくてはならない。それが、メイジの所属する研究室の決まりごとだ。だから・・・。

「本当にいなかったんだね?」

「ハイッ、いませんでした」

「・・・ふ~ん」

 大方、コウタはトイレにでも行っていたのだろう。アヤセのことを気にかけているコウタが彼女を避ける理由はないし、そもそも研究で研究室に缶詰状態のあいつがさぼるとは思えない。

 運のない先輩だ。

 そう結論付けたメイジは、本題を切り出す。

「ま、・・・それはどうでもいい。どうでもいいよ。問題はね」

「たった230円でも至福を得ることができた醤油ラーメンのことですか?」

 アヤセの片手には雑巾が握られている。その雑巾からは、芳しいラー油の匂いを発している。

 もう片方の手には床に落ちたラーメンの麺と具を一緒に入れた袋が提げられている。

 これらは、醤油ラーメン(230円)のなれの果てだ。

「得てないよ。得る前だったよ」

「ものごとは得た後よりも得ようとするときの方が、有意義なんですよ?」

「腹を満たすことは有意義じゃないとでも?」

「ははは、じょうだんですよ。おなかをみたすことはなによりもだいじですよ」

 台詞を棒読みに言い終わるとアヤセは両手に持っている雑巾とゴミを窓口にいるおばちゃんに渡しに行った。

 アヤセは掃除道具を貸してくれた複数のおばちゃんに対して、何度も頭を下げている。その態度が気に入ったのか、もしくは日常茶飯事なことなのか、おばちゃんたちの反応は暖かいものだった。

 しばらくするとアヤセはメイジのもとに戻ってきた。

「はい、これどうぞ。私の昼食です」

 アヤセの手に握られていたのは、どうやって手に入れてるのか聞きたくないくらい悲しい量しか詰められてないパンの耳の袋だった。

「・・・相変わらず、わびしいね」

「実家から、仕送りがないですから」

 パンの耳とは、食パンを家で切って保存する以外の方法でどうやって手に入れるのだろうと、一度メイジはアヤセに聞いたことがある。その問いにアヤセは「秘密です。教えてあげません」と答えていた。至極真顔で。

 パンの耳が詰められた袋を差し出されたところで、メイジは肩をすくめ、怒りが落ち着いた素振りを見せる。実際は、彼女が自発的に後片付けをし始めた時点でとうに怒りはなくなっていたのだが・・・反省させる意味を込めて、あえて少し厳しい口調で喋る。

「いや、いいよ。一食抜くぐらいどうってことはないから。それはアヤセちゃんが食べればいいよ」

「うう、でも、食べ物の貸し借りはしないって私決めたんです。それに、黒木さんにはいつもお世話になってますから、これ以上迷惑をかけたくありません!」

 ついさきほど、叫びながら謝罪を要求してきて料理を落とす原因を作った少女とは思えないほど、真面目な顔だった。こうなると、反省させようとした自分が愚かに思えてくる。

「じゃぁ、もらうよ」

「はい!遠慮なく食べてください!」

 メイジは受け取った袋の中からパンの耳を3分の1ほど取り出すと、残りはアヤセに返した。

「あ、いりませんよ私は」

「ん?でも、それじゃアヤセちゃんの昼食が・・・」

「私はもうお腹いっぱいですから、どうぞ」

「・・・?ああ、なんだ余りものか、ははっ。それじゃあ、遠慮なくもらうよ」

「いえ、余りものじゃありません」

「え?でも、もうお昼は食べたから、こんなに減ってるんじゃないのか?」

 3分の1を取って、さらに少なくなったパンの耳の袋を指差してメイジは指摘した。

「ほら、袋の大きさの割には、もうこんなにないし」

「それは、元々大きい袋に入れてただけで中身は減ってませんよ」

 ・・・?

「じゃぁ、『お腹いっぱい』ってどういう意味?」

 そう言うと、アヤセははずかしそうに顔を赤らめながら、お腹をさすった。

「えへへ、ごちそうさまでした!」

 ・・・・・・。

 ・・・・・・。

「・・・え?」



「ただいま・・・」

 メイジは自分の研究室のドアを開くと、部屋の中央に思いがけない人物を発見する。

「おかえりなさい。・・・いやぁ、思ったほど早く帰ってきてくれて退屈しないですんだわ」

 そこには、部屋の中央で堂々と椅子に座りながら気さくな調子で話しかけてくる小岩光ミラがいた。てっきり研究室にはコウタがいるものと思っていたメイジは、ドアの前で研究室の表札を確認する。

 『白波研究室』。

 研究室を間違えたわけではないことをメイジは確認すると。

「なんでここにいるんだよ。というか勝手に入ったのか?」

「いんや、さっきまでここに男の子の学生がいたんだけど、留守番押しつけられちゃってさ」

「留守番?」

「うん。あと・・・何の用事かは言わないで出て行ったから、いつ戻るかわからなくてどうしようかと思ってたところなの」

 それを聞いたメイジは怪訝そうな顔をする。

「何も言わなかったのか?」

「うん。あ、いや・・・アヤセちゃんが来てるとかなんとか言ってたかな?」

「あいつ・・・」

 ・・・一応無人にはしていかなかったことだけは責めないでおこう。

 メイジの顔が若干ひきつったのを見てとって、ミラは話題をずらす。

「と、ところで、後ろに隠れているのはひょっとしてアヤセちゃん?なんで、隠れてるの?」

「・・・お、お久しぶりです。ミラさん」

 おずおずとした声がメイジの背後から発せられる。

「・・・?お久しぶり」

 ミラが返事を返すと、アヤセはさらに身を隠す。

「なんで、そこで隠れるの?」

「い、いえ。べつに」

 そのやり取りを聞きながら、やっと顔の引きつりが取れたメイジは、次は呆れた顔になって研究室内に入った。遮蔽物がいきなり動いたため、アヤセもあわてて続く。

 窓際にある自分の机の前まで移動しながら、メイジはミラに質問する。

「で、お前が来た用事は?」

「用事がなきゃ来ちゃいけないの?」

「研究の邪魔だからな」

「つ、つめたい。可愛げないなぁ・・・ま、用事があるから来たんだけど」

「く、黒木さんによ、用事ですか?」

 ・・・・・・。

「・・・・・・はぁ。さっきからなんなのアヤセちゃん?私、アヤセちゃんに怖がれる事でもした?」

「あ、いえ。でも、あの・・・」

「アヤセちゃんの方が先客なんだよ」

「先客?」

「あの、私もメイジさんに頼みごとがあって来たんです!」

 打って変わって、はきはきとした声がアヤセの口から出た。

「ふ~ん。君もずいぶんと年下趣味なんだ」

「違う。今回はどちらかと言えば、おじさん趣味・・・だ」

 『誤解するなよ』と語尾に付け足す代わりに、メイジは怒気を含む目でミラをにらみながら話す。

 その顔に、半ば笑うのを我慢しながらミラは答える。

「詳しく教えてくれる?」

 その質問に対して、喜々とした表情を浮かばせながら、アヤセが答える。

「はい!実は、ずっと行方不明だった父の居場所がやっとわかったんです!それで、ですね・・・」

 そこまで聞いたミラは、事の理由を納得した声を上げる。

「あっ、あ~~~そういうこと」

 それを聞いて、キョトンとしたアヤセは開いた口をふさがないまま首をかしげる。

「いい、いい、そういうことなら、仕方ない。今回はあきらめるわ」

「ほ、本当ですか?」

「うん。本当、本当」

 より一層、喜びの表情がアヤセの顔に広がる。

「いやに聞き分けがいいな。何か言ってくるかと思ったんだけど」

「こんな理由聞かされたら仕方ないでしょ。こっちの用事って言っても、ほんの野暮用みたいなもんだしね」

 うん、仕方がない・・・と言いながら、ミラは研究室のドアから部屋を出ていく。

「もう行くのか?」

「用事がなくなっちゃったからね。研究の邪魔なんでしょ?」

「まぁね」

 その後ろ姿を見ながら、アヤセは今日一番の大声を出す。

「あの、すみませんでした!!!」

 それにびっくりしたミラは、閉まろうとしていたドアの隙間に左手の小指を挟む。

「・・・っつぅ!」

 痛そうに晴れた自分の小指を口でなめながらミラは問いかけた。

「やっぱり、何か怖がられることした?」

「いや、これが多分、地声だよ」

 涙目を浮かべているミラに対してメイジは、今度こそ閉じていくドア越しに問いを返した。

「ま、がんばりなさい」

 去り際のミラの言葉と共に静かな音を響かせて研究室のドアが閉まった。

 それでもなお、静けさを取り戻さない研究室の中にはアヤセの歓喜の声が響く。

「さぁ、黒木さん!さっそく行きましょう!」

「えっ!もう!」

「はい!善は急げです!・・・あっ・・・でも、今出て行ったらまたミラさんと会っちゃうので少し休んでから行きましょう!」

 ドカッと、研究室のドアを誰かに蹴られた気がしないでもないメイジは、当初の予定を思い出す。

 そもそも、ここへは今回の用件を伝えようとして、立ち寄ったのだ。しかし、伝える相手はどうやら留守番を他人に押しつけていないらしい。

 仕方ないので、メイジは伝言を残しておくとこにした。

 ゆっくりしている暇は、確かにないのだ。この研究室の卒研生であるメイジや院生である速崎コウタにも・・・。

 メイジは適当な大きさのメモ用紙を自分の机から取り出すと伝言を記す。

 その時、ペンを持つ右手に痛みが走る。一瞬、ペンの動きが止まるもすぐに再開した。

 伝言を記し終わったメイジは右手を左手で覆うようにすると・・・次は、ラーメンを落とすだけでは済まないかな・・・と、メイジは火傷した片手の小指をさすりながら思う。

「さぁ、行きましょう!」

 アヤセの喜び勇んだ声と共に、メイジは研究室を後にした。

 コウタの机の上に、次のようなメモを残して・・・。


  『教授を捜しに行く。しばらくは研究室に来れないので留守番よろしく。   黒木明示

  

  あと、教授の所在について聞いてくる人がいたらなんとか対処してくれ。

  

  お互い、今度こそ卒業できるようにな。』

 

 この度初投稿の上里郷です。

 こんな、駄文を読んでいただき誠にありがとうございます。

 趣味で始めた小説ですが、皆様のお目にとまったのならば幸いです。

 一応、連載としてはおりますが、次回は未定です。本当に申し訳ありません。ついでに、ジャンルも・・・これであってるのかどうか自信がありません。今後、それっぽくしていく予定ではありますが、繰り返すとおり未定です。

 それでは失礼ながら、あとがきはここまでとさせていただきます。ありがとうございました。

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