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1話 日常の終わり

この日を境に、俺の世界はすべて変わった。


その日は、いつもと変わらない一日になるはずだった。




「レオ、朝よ。起きて」


やわらかい母さんの声が、意識の底に届く。


「……んー……」


布団に顔をうずめたまま、適当に返事をする。


「もう朝ごはんできてるわよ」


「……あと五分……」


もぞもぞと布団にくるまる。


ここ最近、疲れが異常に溜まっていて、体を動かしたくなかった。その元凶というのが――


「おいレオ!いつまで寝てんだ!」


朝からご近所迷惑な俺の父さんだ。


昔から父さんには「強くなれ」と特訓をさせられているのだが、ここ最近は特に酷い。毎日朝から晩まで付き合わされ、帰る頃にはボロボロだ。


ちなみに、父さんにはまだ一度も攻撃を当てられたことがない。


だから体も心も、余計に疲れる。


「うるさ……」


顔だけ出して睨む。


「さっさと起きろ。飯冷めるぞ」


「今行くって……」


のそのそとベッドから出て、ボロボロの体にムチを打つ。


「……んー……」


軽く伸びをしながら、いつもの流れで呟いた。


「今日も特訓……?」


聞いても意味がないことはわかっているが、どうしても聞いてしまう。


当たり前だろ――そう返ってくると思ったが、


「いや、今日は違う」


予想外の返答に、思わず顔を上げた。


「え?」


父さんが腕を組んで、にやっと笑う。


「今日はおつかい頼みたい」


「……マジで?」


一気に目が覚めた。


「マジだ」


「やった」


思わず声が漏れる。


「なんだよその反応」


父さんが笑う。


「今日は俺と特訓できなくて寂しいだろ?」


「いや命の危険感じるレベルなんだよなあれ」


「大げさだな」


「毎回地面にめり込んでるんだけど?」


「好きでのめり込んでるわけじゃないだろ」


「だまれ!」


……このオッサン。


おちょくっている顔をしている父さんをスルーして、リビングへ向かう。


「おはよう、レオ」


母さんが、いつもの丁寧な口調で微笑む。


「おはよ」


席に座ると、ちょうどスープが運ばれてきた。


相変わらず、いい匂いだ。


「今日はレオちゃんが好きなスープよ」


「やった!」


俺はこの世で一番好きな食べ物が、母さんの作るスープだ。いつもは誕生日だったり特別な日に作ってくれるのだが、今日はめずらしく何もない日だ。


一口飲む。


「うま!やっぱ母さんのスープが一番だよ!」


「フフッ、よかったわ」


母さんがほっとしたように笑う。


「お、俺の分ちゃんと残しとけよ」


ガツガツと食べる俺を見て、父さんが慌てた様子で言う。


「俺おかわりするから、父さんの分もうないよ」


「なんだと!」


父さんが絶望した顔をし、俺と母さんがそれを見て笑う。


いつも通りの朝。


いつも通りの会話。


「それで、おつかいって?」


「隣町まで行ってほしいの」


隣町?珍しい。


結構距離があるから、普段はあまり行かない場所だ。


「お店に頼んでいたものがあるのよ」


「へー、いいけど」


父さんがパンをちぎりながら口を開く。


「ついでに、ちょっと遊んで帰ってこい」


「なんでだよ」


「いや、たまにはいいだろ」


「珍しいね」


思わず笑う。


普段の特訓のお詫びなのか。まぁ休めるなら何でもいい。


それならばと、俺は食事を終えて出かける準備を一瞬で済ませる。


「よし、準備完了」


「帰ってきたら、久々に魔法を教えてあげるわ」


「マジ!?それは楽しみ!」


母さんはかなり優秀な魔法使いだったらしい。時々魔法を教えてもらっているが、あの時間は楽しくて大好きだ。


「それじゃあ行ってきます!」


俺は勢いよく家を飛び出す。


外に出ると、風が気持ちよかった。


「よっと」


地面を軽く蹴る。


父さんとの特訓のおかげで、意識せずとも体は自然に動く。


塀に手をかけ、そのままひらりと飛び越える。


「……遠いな、やっぱ」


小さくぼやきながらも、俺は隣町へと向かった。




休むことなく走り続けること二時間、ようやく隣町に着いた。


かなり遠かったが、父さんとの特訓と比べたらどうってことない。むしろいい運動なくらいだ。


「おう、レオか」


店に入ると、いつものおっちゃんが顔を上げた。


「どうも」


「今日は一人か?」


「珍しくおつかいを頼まれてね」


「そうかそうか」


適当な会話を交わしながら、カウンターに近づく。


「母さんが注文してたものある?」


「ああ、あるぞ」


おっちゃんは棚から包みを取り出した。


「ほらよ。干し肉と薬草」


「ありがと」


代金を渡して受け取る。


「しかしこれだけの為にレオにおつかいを頼むとはな」


「あの二人なら俺に頼まなくても一瞬だもんね」


「確かにな」


おっちゃんは口を大きく開けてガハハと笑う。


母さんなら転移魔法で、父さんも猛ダッシュで俺より遥かに速くここに着くのだ。母さんが特訓続きでやつれている俺を見て、気を使ってくれたのかもしれない。


「まあいいや。また来いよ」


「気が向いたらな」


軽く手を振って店を出る。


「さてと」


包みを軽く持ち直す。


ここからどうしようか……


父さんから珍しく遊ぶ用に多めの小遣いを貰ったが、正直何もやりたいことがない。


今はむしろ、早く母さんから魔法を教えてもらいたい。


「お昼ご飯だけ食べて帰るか」


俺はてきとうな店で昼食を済ませ、来た道を戻り始めた。



――このときは、まだ何も知らなかった。


これが、すべてを失う一日の始まりだなんて。




町へ戻る道の途中だった。


ふと、足が止まる。


「……なんだ?」


胸の奥がざわつく。


言葉にできない違和感。


嫌な予感だけが、じわじわと広がっていく。


「……気のせい、か?」


そう呟いた瞬間――


ぞわり、と背筋が粟立った。

街の方向からだった。


「……ッ」


次の瞬間、俺は地面を蹴っていた。


考えるより先に、体が動く。


さっきまでとは比べものにならない速度で、全力で駆け出す。


息が荒くなる。


それでも止まらない。


止まれない。


近づくほどに、はっきりとわかる。


空気が重い。息苦しい。


そして――


「……魔力?」


ありえないほどの、圧倒的な圧。


一つ、二つ……いや、


「三つ……?」


そのうちの二つは、知っている。


感じたことのある魔力。


だが、いつもと比べ物にならない程の圧。

そして恐ろしい殺気で禍々しい。


「父さん……母さん……?」


そして、もう一つ。


それは――


理解したくないほど、異質だった。


冷たいのに、熱い。


静かなのに、荒れ狂っている。


触れたら終わりだと、本能が告げてくる。


「なんなんだ……」


歯を食いしばり、さらに速度を上げる。


そして――


視界が開けた。


「……は……?」


言葉を失った。


そこにあったはずの町は、もうなかった。


建物は崩れ、地面は抉れ、まるで嵐が通り過ぎたあとのように、すべてが壊れている。


いや、それ以上だ。


「みんなは……」


人の姿がない。


気配もない。


避難したのか――


そう思いたかった。


だが、そんな考えはすぐに吹き飛ぶ。


その中心に、三つの影があった。


黒いオーラのせいで輪郭が歪む。

それでも――二つは父さんと母さんだとすぐにわかった。


普段の優しい2人と真逆のオーラだった。


そしてもうひとつは――


黒い男。


「……あれは……」


直感で理解する。


「魔王なのか……」


父さんと母さんから話は聞いていた。

この世には魔王という人類を滅ぼそうとしている敵が存在していると。そして、魔王に対抗するために勇者という者が戦っていると。


なら、なんでこんな所に魔王がいるんだ……


その瞬間だった。


魔王の視線が、ゆっくりとこちらに向く。


「――なんだ貴様は」


ぞくり、と全身が凍りつく。


「……な……」


声が出ない。


動けない。


ただ、目だけが合う。


その視線は、俺の奥の奥まで覗き込むようで――


「違和感の正体は、お前か」


魔王が、わずかに口角を上げた。


その瞬間、


「「レオッ!!」」


父さんと母さんが俺に気づいた。


振り向いた二人の表情は、見たことがないほど焦っており、黒いオーラは消えていた。


その“隙”だった。


魔王が、二人に向かって手を向けた。


次の瞬間、二人の体が上空に弾き飛ばされる。

見たことがない魔法。と言うより全く見えなかった。


「ッ……!!」


「がはっ……!」


「母さん!父さん!」


恐怖の中、ようやく口だけが動く。

だが、


「――え?」


気づいたときには、魔王が目の前にいた。


「ッ!?」


首元に手が伸びる。


逃げられない。避けられない。


そのまま動けず、首を掴まれた。


「ぐっ……!」


体が宙に浮く。呼吸ができない。


「ほう……」


魔王が、じっと俺を見つめる。


「お前……面白いな」


その目は、興味を持った獣のようだった。


殺される……


恐怖で、体の震えと涙が止まらなかった。


「大丈夫だ。俺は子供を殺す趣味はない」


「だが、危険の芽は摘んでおくべきだ」


「やめろ……!」


父さんの怒号が遠くから聞こえるが、姿は見えない。


「レオに触るな……!」


「遅い」


魔王の手が、俺の額に触れた。


その瞬間。


「……あ……?」


“何か”が、消えていく感覚。


流れていたものが、止まる。


「……なんだ……これ……」


怖い。


何かを奪われている。


「やめろぉぉぉ!!」


父さんが物凄いスピードで突っ込んでくる。


ボロボロの体で、それでも止まらずに。


「……ほう」


魔王が、わずかに目を細める。


「まだ動けるか」


その一瞬。


ほんの一瞬だけ、意識が逸れる。


「レオ!!」


母さんの声。


振り向く。


そこには――


血だらけになりながら、それでも立つ母さんの姿。


「今のうちに!」


手が伸びる。


光が溢れる。


よく隣町に一緒に行く時に見ている。これは転移魔法だ。


「ま、待っ……」


言葉は最後まで出なかった。


空間が歪む。


視界が白に染まる。


その瞬間――


「逃がすか」


魔王の声。


次の瞬間、母さんの体が大きく揺れた。


「……母さん……?」


時間が止まる。


「……私は大丈夫!」


それでも、母さんは笑った。

いつもの優しい顔で。


「生きて、レオ」


手が、優しく押し出す。


視界が、完全に白に染まる。


最後に見えたのは――


腹部を貫かれた母さんの姿だった。


「……ぁ……」


声にならない声が漏れる。


そして――


世界が、切り替わった。


 


 


「……っ!」


気づいたとき、俺は地面に倒れていた。


「は……っ……はっ……」


呼吸が荒い。


体が震える。


「ここは……」


見知らぬ場所――いや、


「……ここ……」


見覚えがあった。


森の中の、小さな家。


昔、何度か来たことがある場所。


「……レオ?」


低い声が響く。


顔を上げる。


そこにいたのは――


「……じいさん……」


目の前の白髪の老人は、母さんと父さんの知り合いだ。確か師匠だと言っていた気がする。

じいさんは俺の顔を見るなり、


「……やっぱり、お前か」


小さく、そう呟き俺のボロボロの様子を見る。


血に濡れた服、震える体、崩れた呼吸。


そして――


「……ついにか」


短い一言。


それだけで、すべてを理解したようだった。


喉が震える。


「父さんと……母さんが……!」


声が崩れる。


「まだ……戦ってて……」


言葉が続かない。


「俺のせいで……」


ふらつきながら立ち上がろうとする。


足に力が入らない。


それでも無理やり立とうとして――


「やめろ」


じいさんの低い声。


肩を掴まれる。


「助けてくれよ!じいさん二人の師匠なんだろ!」


「……無理だ」


即答だった。


「なんで……!」


「あいつらが、お前をここに飛ばしたんだろ」


俺は黙って頷く。


「……あいつらから言われてるんじゃ」


じいさんは険しい表情で口を開く。


「もしもの時があったらレオを頼むとな…」


静かな声だった。


だが拳がわずかに震えている。


「あいつらは、わかってたんじゃ。自分たちのところに魔王が来るのを」


その言葉が、胸に突き刺さる。


「……そんなわけ……」


そう言いかけたが、 思い当たることはいくつもあった。

二人は魔王が来るのをわかっていて、俺をできるだけ遠ざけようとしていたのだ。


悔しい。


何もできずなかった自分が。


「……俺のせいで……」


絞り出すように呟く。


じいさんは、何も言わなかった。


ただ、悔しそうに目を伏せる。


その表情を見て、わかってしまう。


――この人も、同じだ。


「……っ……」


歯を食いしばる。


叫びたいのに、声が出ない。


 


「……今の俺じゃ……」


ぽつりと、言葉が落ちる。


「何もできない……」


それが現実だった。


認めたくなくても、わかっている。


「……だから」


顔を上げる。


涙で滲んだ視界のまま、それでも前を見る。


「強くなる……」


声は震えていた。


それでも、はっきりと言い切る。


胸の奥で黒い感情が渦巻く。


消えない。


消えるはずがない。


「――絶対に魔王をぶっ殺す」



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