0.ことのはじまり
――人生、何が起こるかわからないものだ。
そんな呑気なことを考えながらライラは目の前の状況から逃避しようと試みた。目を閉じ、深呼吸して瞼を開く。
「頼む!君しか頼れる人がいないんだ!」
――残念ながら何も変わらなかった。
高そうな服を着た男の後頭部が見える。
ふかふかのソファに座り、ライラはそれを困惑しながら見つめていた。
品の良い家具で纏められた一目で高級だとわかる部屋。ふかふかの絨毯に、柔らかい革製のソファと装飾が美しいローテーブル、壁には見たことない動物の剥製。おそらく応接室だと思う。
そんな場所に自分が存在していることにも驚きだが、目の前で跪き懇願する男がいることも信じられない。ましてやそれが貴族、ウィンザード伯爵となればならおさらだ。
――どうしてこうなったんだっけ。
これまでのことを思い返したところで、この部屋にいるもう1人の青年――ルカをじろりと睨みつけた。
そもそもがこの男が持ってきた話から始まるのだ。
◇◇◇
ちょっと気が短くて負けん気が強い、その割に普段はぼんやりのんびりしている平々凡々な市民。それがライラだ。
両親は早くに亡くなったが、祖父母に厳しくも優しく愛情をもって育てられた。祖父母は村唯一の宿屋を経営しているため、ライラもそれを手伝っている。そのため読み書き計算ひととおりができること、そのくらいが自慢な普通の少女である。
間違っても貴族の屋敷で、その主に土下座で懇願される立場ではない。
事の始まりは、ルカが持ってきた仕事の依頼だ。
ルカは元々宿に泊まっていた客なのだが、歳が近いライラを気に入ったのか、年に数回ふらっと顔を出すようになった。商家の使いを装っていたが、実際のところ道楽息子とかではないだろうかとライラは思っている。
そんなルカは時々、ライラに頼み事という名の仕事を持ってくる。
「やあ、ライラ!ちょっと手を貸してくれないか?」
そんな台詞とともに現れては、やれあそこの店の従業員が足りないから店番をしてくれ、こちらの村で厄介事があったから解決するのを手伝って欲しいだの、ちょっとした小遣い稼ぎにできそうな仕事から、よくわからない手伝いまで多岐に渡る。
ライラは「何で自分がそんなことを」と断ろうとしたのだが、彼女の祖父母が背を押した。元々二人で宿屋をやっていたし、そもそもライラがいる村には、日頃から宿泊するような客は多くない。
困っているなら手を貸してやりなさいと送り出され、渋々ルカの依頼を引き受けるようになった。
今回もまたルカがひょっこりやってきて、こんなふうに話を切り出したのだ。
「やあ、ライラ!久しぶりだね!元気にしてたかい?僕の方は少し忙しくてね。ここに来るのが随分久しぶりになってしまった。ごめんね!寂しくなかったかい?--ああ、ところで今回もまた君に頼みたいことがあるんだ。きいてくれるかい?」
ルカは金髪に青い瞳で、女性を取っかえ引っ変えできそうな優男だ。実際のところどうかは知らない。
ライラはルカがしゃべるのをいつも弾丸のようだと思う。よくもそんなに息が続くものだなあと関心もしている。
「アントマリナ領は知ってる?この村からは馬車で五日ほど行ったところにある自然豊かな美しい土地だよ。ここテルワール領のお隣さんだ。そこのちょっと偉い人にお願いごとをされてね。そのお願いごとなんだけど、ライラが適任だと思って。彼に紹介したいと思ってるんだ。仕事内容とか詳しいことは向こうで話すよ。どうかな?」
どうかな?と疑問形できいたわりに、ルカはライラの手をしっかり握っていた。ライラが手を剥がそうとこころみるも全然動かない。すごい力だ。
詳しい話が何も分からないのに引き受けるわけないだろ!と全力で抵抗するも、ルカはあっという間に祖父母を言いくるめてしまった。こうなればもうライラはそのお隣の領地に行くしかなくなった。
翌日、ルカが手配したらしい、なんだか見たことないくらい豪奢な馬車に乗り(この時点でもう怪しさが満点である)、おしりの痛みに耐えること五日。
ライラは生まれて初めて、別の領地に降り立った。
お隣ということもあり、ライラがいた領地同様に自然に溢れてはいる。ただしライラの村よりも整備されているように見える。少なくとも道は綺麗にならされていて、馬車の揺れが明らかに少なくなった。
馬車が止まると目の前に大きい屋敷が見えた。屋敷というか城である。どう見ても貴族の住むところだ。あんぐりと口を開けたライラを面白そうに笑いながら、ルカはすっと右手を出した。
「ふふ、びっくりしてるね?でも、このあともびっくりすると思うよ。心の準備をしておいてね」
ルカはライラの手を取ると、馬車を下りて屋敷の入口に向かう。話が通っているのか、門番も何も言わなかった。
屋敷の玄関についている立派なドアノッカーをルカが叩くと、すぐに扉が開いた。
中には執事と思わしき老紳士がおり、スっと礼の形をとった。一瞬、ライラを見て驚いたように目を見張ったのは何故だろうか。
「お待ちしておりましたエヴァンス様。主人の元へご案内致します」
「ああ、よろしく頼むよ」
萎縮するでもなく普通にルカは執事に答えた。
その様子を見て、ルカは貴族なのかもしれないとなんとなくライラは思った。そんな考えを見透かすかのようにルカに軽く微笑まれ、手を引かれる。
そういえばルカのファミリーネームを初めて知ったなと、どうでもいいことをぼんやり思った。
自分はどうして連れてこられたのだろう。どんな仕事を依頼されるのだろう。
怪しいとは思うけど、不安には思わなかった。
そもそも貴族なんだから平民くらい攫って命令するなりいくらでも方法はあるはずだ。それなのにわざわざ知り合いを使い、豪奢な馬車をやってまで連れてきたということは、関係を悪化させずに頼みたいことがあるということに違いない。
断る場合はあとが怖いが、とりあえず話を聞いてみようと思った。
「旦那様、お客様をお連れいたしました」
ノックの音にも上品さというものがあることをライラは初めて知った。
「ああ、待ってたよ」
中にいた従者が扉が開くと、部屋の中央に黒髪の恰幅の良い男が座っていた。
貴族というものはもっとゴテゴテ飾りつけた服をきていると思っていたが、そうでもないようだ。
シンプルでありながらもしっかりとした生地で作られており、服自体の作りも男によく似合っていた。けして下品に飾りつけることはせず、けれども素材や縫製を惜しまないことで、彼の品の良さが伺えた。
男は立ち上がりこちらに近づいてきた。ライラを見ると、執事同様に目を開き、とても驚いていた。ルカを見ると、男をみて、こくりとひとつ頷きを返した。
「彼女だね?」
「ええ、伯爵。彼女以外に適任はいないと思います」
――伯爵って言った。ルカが目の前の男に伯爵って言った。
ライラはルカの言葉を思い出した。ライラの記憶が間違ってなければ、『お隣の領地のちょっと偉い人』と言っていたはずだ。伯爵ということは領主に違いない。ちょっと偉い人ではなく、すっごく偉い人である。
ライラは内心で頭を抱えた。頭の中でルカの胸ぐらをつかみ思いっきり揺さぶった。今は伯爵が目の前なので間違っても現実にそんなことはできない。
男はルカの言葉に鷹揚に頷き、ライラと向かい合った。
「はじめましてお嬢さん。私はこのアントマリナを治めるゲオルグ・ウィンザードと申します。お嬢さんのお名前を教えていただけますか?」
ライラはまたしてもあんぐりと口を開けそうになったが心の中に留めた。
貴族に、それも領主直々に、こんなにも丁寧に挨拶されるとは夢にも思っていなかった。ルカにつつかれなければ、今しばらく放心していたかもしれない。
はっと意識を取り戻し、慌てて挨拶を返す。
「ご丁寧な挨拶痛み入ります。ライラと申します。ルカから頼み事があるときいて参りました」
今度はゲオルグが驚いたようだった。おそらく平民がきちんと挨拶できると思っていなかったのだろう。
ルカは隣でよく出来ましたとでもいうように微笑んでいる。腹立たしい。
「あ、ああ、ライラ嬢。わざわざ御足労かけてすまなかったね。まずは座ってくれ。お茶を入れさせよう」
促されるまま、本当にこんな上等なソファに座っていいのだろうかと恐る恐る腰をかけるのを、ルカがニヤニヤ笑ってみていた。後で殴ろう。ライラは心の中でそう決意した。
座るとすぐにメイドがやってきて、おいしそうなクッキーと、繊細な模様が描かれたカップでお茶を出してくれた。
伯爵家のお茶とお菓子……。すごく気になるが、マナーが分からないので手をつけるのが躊躇われる。
伯爵は一口お茶を飲むと、ゆっくりと息を吐いた。
「では改めて、御足労感謝する。今回個人的に頼みたいことがあり、君を連れてきてもらった」
ひとつ頷くと、伯爵は続きを話し始めた。
「結論からいうと、ライラ嬢には私の娘に代わって、学校に通ってもらいたい」
「学校、ですか?」
「そうだ。貴族社会のことになるため、おそらく君には分からないだろうから一から説明するよ」
伯爵がルカを見やると、ルカは心得たというように頷きを返した。
「僕から説明するね。――まず貴族の子女には、貴族の一員と認められるための条件がある。そのひとつが王都にある学校、王立魔法学園の卒業だ。他にも社交界デビューだったり、登城だったり色々あるけど、その中でも魔法学園の卒業は絶対条件なんだ。領地を継がない次男、三男や娘であっても必ず入学し、卒業している。それくらい重要なことなんだよ」
「へえ、そうなんだ」
貴族にとって学校の卒業が大切なことはわかった。でもそれとライラが学校に行くという話が繋がらない。伯爵の前にもかかわらず気のない返事をしてしまったと気づいたが、ルカは気にせず続けた。
「じゃあなんでライラに学校にいってほしいかというと、それは伯爵の一人娘であるリリアーヌ様に関係している。リリアーヌ様は生まれつき身体が丈夫ではなく、病をいくつか患っている。今でも調子がいい時に屋敷内を散歩するくらいしか動けないそうなんだ。長い間そうだったからご本人も伯爵も学園卒業を諦めていたんだけど、最近になってやっと治療の目処がたってね」
「よかったですね」
「うん、それ自体はいいことなんだ。健康になれば貴族としてやっていけるからね。学園にだっていけるだろう。ただ治療には数年かかるそうなんだよ。学園の入学は16歳になる年からだ。リリアーヌ様はライラより一つ年下だから、治療が終わってからでは来年の入学に間に合わない」
ルカはそこで言葉を切った。
「――だから代役が必要なんだ。リリアーヌ様に代わり、リリアーヌ・ウィンザードとして学園に通える、同年代で容姿がよく似た人間が……」
ルカも伯爵も執事も、ライラを見ていた。
ライラはようやく理解した。伯爵家のお嬢様と似た容姿で同年代、なおかつ本人は貴族でなくある程度の教養がある人物。伯爵の知人が紹介できる程度には信用できる人柄。その条件は厳しく、中々該当する者が見つからなかったのだろう。だからこそなるべく良い印象を与えようと丁寧にもてなされているのだ。
しかしだからといって、安易に頷けるはずもない。なんせライラは平民だ。ルカの正体はともかく、知り合いに貴族なんていないし今日まで会ったこともないのだ。もし学園に入学できたとしてもその後の苦労は計り知れない。貴族社会の常識も知らない人間が貴族に囲まれて生きていけるのか。……答えは明白だ。
――明白だけれども……。
ライラは目を閉じて深呼吸した。そしてそおっと目を開ける。
ライラが口を開く前に伯爵がおもむろに立ち上がり、ライラの傍にきて跪いた。これにはルカも執事も目を丸くしていた。静止しようとした執事を、伯爵は手をあげることで抑え、跪いたまま頭を下げた。
「頼む!君しか頼れる人がいないんだ!」
貴族に――しかも伯爵に――土下座までさせて懇願されて、きっぱりと断れる平民がいるだろうか。
――否である。
つまるところ馬車に乗った時点で引き受けることは確定事項であり、そもそも話を持ってきた人間はそれさえも分かっているはずだった。
じろりとルカを睨むと、珍しく困ったように微笑んでいた。申し訳なさは感じているようだ。それはライラにはなんの救いにもならないが。
引き受けると決めたなら長々と伯爵を床に留めておくべきではない。
ライラは長くため息を吐いてから、伯爵と同じように跪き目線を合わせた。
「私にできることならお受けいたします」
こうして、ライラは伯爵家令嬢(偽)になったのである。




