【10】オラクルストーン(5)
後ろの席に座っていた家格の低い貴族たちから、順次広場を後にする。
上級貴族たちは王宮内で開かれる午餐の席に参加するため、椅子に割ったままだ。
「ずいぶんと、荒れ模様の戴冠式だったな」
「あのヒルダとかいう娘、ギルバート殿下……ああ、もう陛下か。陛下に剣を向けていなかったか?」
「アイリス様がとっさに庇ったからよかったが……」
「ネルソン夫人も捕らえられていたのは、どういうことだろう」
水路のそばを離れて事績に戻ってくるアイリスたちを、上級貴族たちと他国の王侯たちが興味深そうに見ている。
「アイリス様たちは、何を追いかけていたんだ?」
「白い石のようなものだったが……」
「水路に落ちたみたいだな」
石が水路に落ちたところまでは確認できた。
だが、あそこから拾い出すのは難しいだろう。つまり、石は再び失われてしまったのだ。
アイリスはため息を吐いた。
「これから、どうなるのかしら……」
椅子に座りながら呟くと、レイモンドが驚いたように振り向く。
「どうなるって、アイリスはギルバートの妃になるんだろう?」
「え? ええ」
「ギルバートが王になったんだから、アイリスは王妃として、これまで受けてきた教育の成果を発揮したらいいじゃないか」
「そうだとも、アイリス。国と民のために、しっかり尽くすんだよ」
グレアム卿もにこやかに続ける。
「ちょっと荒れたが、結果的にはめでたしめでたしではないか」
「ちょっとどころではありませんよ、父上。大荒れです。即位した王がいきなり切りつけられる戴冠式なんて、聞いたことがない」
「う、うむ……。何にせよ、アイリスはよくギルバートを守った」
「そうですね。そこはたいしたものでした」
えらいえらいとアイリスを褒め、父と兄は満足そうにうなずき合っている。
だが、父の隣に腰を下ろしたリリーの表情は晴れない。
「お母様……」
やはり、石のことが気になっているようだ。
「とりあえず、あの水路に石があるのは確かなんだし、しばらく様子を見ましょうか」
「そうね。後で、聖水を注いでみてもいいかも……」
「聖水を?」
アイリスの隣からジャスミンが顔を出す。
「聖水を注ぐと、どうなるの?」
「わからないわ。でも、聖水には邪悪ものを浄化する力があるんだし、なんらかの変化があるかもしれないじゃない……」
「なるほど。でも、だいぶ薄まっちゃいそうね」
水の中に落ちたというのが痛いところだ。
「それより、石がないとなると、ディアドラを追及するのが難しくなりそうね」
母の言葉にアイリスも頷く。
そうなのだ。
ディアドラが『白の魔石』を使って人の記憶を捜査していたと訴えても、証拠になるものが何もないのである。
「持っているところを捕らえられれば、完全に息の根をとめることができたのにね」
「私のせいだわ」
あんなに近くにいたのに、ディアドラが石を手放すところを防ぐことができなかった。
「あれはあなたのせいじゃないわよ。ただ、石を持っているところを捕らえることができれば、ディアドラは世界会議に掛けられて、おそらく極刑、死罪を言い渡されていたでしょうね」
「持っているだけじゃなくて、しっかり使っちゃてたんですものね」
ジャスミンが肩を竦める。
アイリスは祭壇の後ろに立つブラックウッドの木を見つめた。
聖殿の中庭にある神木の写しだというその木にも、神の気は宿っているように感じる。
「死罪にはならなくても、ディアドラ様は、もう石の力を使うことはできないわ。いずれ、いろいろなことが明らかになるんじゃないかしら」
アイリスが言うと、リリーとジャスミンが勢いよく頷く。
「そうね」
「王太后になるという野望も打ち砕かれたわけだし」
「どのみち、王宮にはいられなくなるわね」
「どうなるのかしら? ノーイック殿下と一緒にどこかに領地をもらうの? なんだか甘すぎない?」
「ギルバートの命を狙ったことが証明されれば、相応の罰が下るわよ」
「島流し的な?」
本当のところは、二人も、ディアドラの死までは望んでいなかったようだ。
少しほっとしたような顔で、あれこれ話し始める。
手持無沙汰にあたりを歩き回っていた人が、ブラックウッドの下の黒い石を見て何か言っている。
「石に、ほら……」
「え、さっきまでは何も……」
人の輪が大きくなる。
「本当だ。ここにもギルバート陛下のお名前が……」
「じゃあ、やっぱりこれは、本物の……」
どうやら、写しの石にも王の名が刻まれているようだ。
アイリスたちも見てみようということになり、揃って椅子から立ち上がる。
しばらくして、家令が現れ、侍従たちが人々を王宮内に招き入れ始める。
石を眺めているアイリスたちにグレアム卿が言った。
「そろそろ午餐会が始まるようだぞ。我々も行こう」
これまでの百日間、第一の祭祀や第二の祭祀でのノーイックの失態や、第四の祭祀からの十日間で見せつけられたディアドラたちの品性のないふるまい、最後の最後にはヒルダの王に対する凶行という荒れに荒れた王位継承までの日々を思うと、午餐の席は嘘のように穏やかなものだった。
ここでも裏でハリエットやアイリスが働いたため、席順はもちろんのこと、料理の内容や出される順番も完璧だった。
その点も含めて、ギルバートの即位を祝う最初の行事として相応しいものになったと思う。
「よい午餐だったな」
車寄せで馬車が来るのを待ちながら、グレアム卿が満足そうに腹を擦る。
「なんだか、盛沢山な一日でしたね」
レイモンドもほっとしたように笑ったが、続けてこう聞いた。
「ところで、ギルバートはどこに行ったんだ? 今日はまだ、リンドグレーン邸のほうに戻るんだろう?」
「さっき、誰かが呼びに来てたみたいだけど……」
ジャスミンが正面扉を振り返りながら言う。
「もうちょっと待っていれば、そのうち来るんじゃない?」
「ジャスミン、ギルバートはもう王になったんだから、敬語を使わなきゃダメだぞ」
「あら、お兄様だって……」
わちゃわちゃと会話を続ける兄と妹の声を聞きながら、アイリスは王宮の建物を見上げた。
長い間、妃教育を受けてきた第二宮殿。
(またここに戻ることになるなんて……)
ノーイックに婚約を破棄され、逃げるようにここを去った日のことも、「捨てられ王妃」などと呼ばれていた日々も、ほんの少し前のことなのに、すごく遠い昔のことのようにも思う。
(長い百日間だったわ)
不思議な力に導かれた百日間でもあった。
* * *
「ヘーゼルダイン、待たせたかい?」
王宮の裏手に広がる草地に立っていると、ギルバートが現れてヘーゼルダインに声をかけた。
草地にはいくつもの石の板が等間隔に並べられ、それぞれの板の脇にブラックウッドの木が植えられている。
「いいえ。陛下」
「陛下か……。やめてくれと言っても無理だろうな」
ギルバートが居心地悪そうに頬を掻いたが、ヘーゼルダインは淡々と答えるしかない。
「そうですね。慣れていただかないと」
「ところで、用事ってなんだい?」
抱えていた包みをギルバートに差し出す。
「ヴィンセント王から、こちらをお預かりしておりました」
ギルバートが包みを開く。
たくさんの宝石を散りばめた黄金の剣が現れた。王剣に匹敵するほどの見事な剣だ。
「これは……?」
「リンドグレーン家に伝わる剣だそうです。王剣よりも古いものだとか」
「ずいぶん、見事な剣だな」
「なんらかのはずみで、あなたが王になった時はお渡しするようにとヴィンセント王よりお預かりしておりました」
「なんらかのはずみって?」
ヘーゼルダインは何も言わず、ままかすかに首を傾けた。
「僕が王にならなかった時は……、ていうか、ならない予定だったはずなんだけど、どうすることになっていたんだい?」
「ノーイック様の次の王にと」
ヘーゼルダインはヴィンセント王の言葉をギルバートに伝えた。
『どうか、ヘーゼルダインがうまく導いてやってくれ。ノーイックには無理でも、次の王には少しでもいい王になってほしい。余とノーイック、二代続けて無能な王ですまなかったな』
ギルバートは視線を落とした。
「あの人は、無能な王だったのかな」
「私には、そうは思えませんでした」
自分の器をきちんと知り、有能な王妃に素直に頼り、宰相の意見に耳を傾けていた。
余計なことは何もせず、国をよくしたいという願いを抱きながら玉座にいてくれた。
「よい王であったと思います」
「そうか」
ギルバートがわずかに頷く。
「影は薄かったけどね」
風が吹いて草が波打つ。
「第五の祭祀まで王の名がオラクルストーンに現れなかったことが、今回を含めて三回あったて大司教が言ってただろう?」
「そんなことをおっしゃっていましたね」
「あれ、今回以外の二回って、放蕩の末のご落胤と、父上の時だったって言ってたけど、父上はどうして最後の祭祀まで名前が現れなかったのか、知ってるかい?」
ヘーゼルダインは黒い瞳をギルバートに向けた。
「いいえ。知りません」
「マクニール大司教にもわからないらしいんだ」
「そうですか」
「それで、これは母上の想像なんだけど、たんに、ものすごく影が薄かったからじゃないかっていうんだけど……」
まさかね、とギルバートが笑う。
まさか、とヘーゼルダインも返した。
ギルバートが足元に横たわる平たい石に持っていた花を供えた。
「父上、あなたの次の王には僕がなりました。アイリスが王妃となってくれます。よき王と王妃となり、国と民のために尽くしたいと思います。どうか、見守っていてください」
再び風が吹く。
石の脇にはブラックウッドの若木が植えられている。
梢を鳴らす若木を見上げ、ヘーゼルダインは胸の内で思う。
(影が薄すぎて……)
あの方らしい。
薄く、どこかぼんやりとした水色の春の空を見上げ、ヘーゼルダインはかすかに微笑んだ。
「氷の宰相」と異名をとる彼にとっては、年に一度、見せるか見せないかの貴重な微笑である。
――この国は、救われた。
梢が軽やかな葉音を立てている。
宰相として最初に仕えた静かで気の弱かったヴィンセント王。
とても影が薄かったその王のために、ヘーゼルダインは静かに黙祷を捧げた。
了
いったん終わりです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
白い石ちゃんの続きがあるかも(ないかも)。
たくさんの小説の中からこのお話をお読みいただきありがとうございます。
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