【10】オラクルストーン(2)
聖殿の中庭には一本の大きな木が聳えている。
ブラックウッド王国の象徴でもある神木、聖なる樹木、ブラックウッドだ。
その根元に置かれた四角い石が誓約の石「オラクルストーン」である。
マクニール大司教とハリエット、ノーイックに続いて、ギルバートは中庭に足を踏み入れた。
ヘーゼルダインが後に続く。
二歳の時に一度来たことがあるらしいのだが、さすがに記憶には残っていない。
中庭の入り口に立って、ギルバートは聖域であるその場所をゆっくりと見回した。
白い石を敷き詰めた床。
円形の水路の囲まれた神木と『オラクルストーン』。
王宮前広場に置かれた写しは、この神木と石を象ったものだとわかる。
水路の水は神木の背後にある泉から湧き出ているようだ。
大司教の他に、聖殿を護る司祭たちが隅で待機している。
四角く黒い石が目に入る。
そこには何も彫られていない。
周囲がわずかに透き通る黒い石は、沈黙を現すように静かにそこにあるだけだ。
大司教が石の前に設えられた簡素な祭壇に向かう。
祭壇の奥の黒い石に銀の水差しから何かを注いだ。
聖水だ。
リリーが持つ水盆の聖水とは別の、聖殿の庭に沸く泉から取ったものである。
石の表面が艶やかに輝いた。
「では、始めましょう」
大司教が祭壇に向かって祈りを捧げる。
それが終わるとノーイックを振り向いた。
「葡萄酒を」
控えていた司祭がノーイックにグラスを差し出す。
ノーイックがそれを祭壇に置いた。
石は沈黙を保ったままだ。
ノーイックが一歩下がる前に、空気が冷たくなった。
パラ……、と音がしたかと思うと、氷の粒があたりに落ちてきた。
「雹だ」
無数の雹が中庭全体に勢いよく降り注ぐ。
「うわっ」
「いた……っ」
司祭たちが、屋根の下に逃げこんだ。
氷の粒を受けながらマクニール大司教がノーイックに尋ねる。
「パンと花も捧げる勇気がありますか?」
当然だとばかりにノーイックが司祭を睨む。
「あるに決まってる」
大司教は無言でノーイックを見ている。
ノーイックの顔が怒りに歪んだ。
「僕が、第一王子だ。生まれた時から、ずっとそうだったじゃないか。なんで、今頃になって、間違いだったとか言われなきゃならないんだよ!」
大司教が頷く。
「王になる覚悟がおありなのですね?」
「だから、あるに決まってる!」
「では、どうぞ。パンを」
別の司祭が差し出したパンを乱暴に掴んで、ノーイックは祭壇に向かってずんずん歩き出した。
空がパッと光った。
祭壇まであと数歩というところで、バリバリ……と大きな雷鳴があたりに轟く。
「うわぁああ……っ」
ノーイックが両手で頭を抱えてしゃがみこんだ。
投げ出されたパンが宙を舞う。
「嫌だ! 怖いよ!」
バリバリ……と二度目の雷鳴があたりに響いた。
「僕のせいじゃない! 僕がやったんじゃない! 全部、母上がしたことじゃないか……!」
空が再び光る。
白い石を敷き詰めた床の上で、投げ捨てられたパンが光の中に浮かび上がる。
「もうやめる! 僕は、王になんかならない!」
その瞬間、空を染めた稲光は小さくなり、雷鳴が遠ざかる。
しゃがみこんでいたノーイックが這うようにしてギルバートたちの立つ中庭への入り口に戻ってくる。
別の司祭が新しいパンを手に持って、今度はギルバートに近づいてきた。
床に落ちたパンは別の司祭が拾い上げ、丁寧に埃を掃っている。
大司教が法衣の袖を振って手招く。
「ギルバート殿下。パンを祭壇に」
ギルバートは頷き、パンを受け取る。
ゆっくりと祭壇に向かい、静かにそれを置いた。
石が光りだす。
石から放たれた光は、やがて幾筋もの帯になって中庭全体を跳ねまわった。
眩しさに、全員が目を覆った。
光のダンスが小さくなって目を開けると、石には新たな王の名が刻まれていた。
――ギルバート・リンドグレーン。
「おめでとうございます。新国王ギルバート陛下。これをもって、無事に王位は継承されました。元首としての私の役目は終わりです」
大司教が穏やかに告げる。
司祭たちがギルバートに向かって頭を下げた。
最後にギルバートは祭壇に花を捧げた。
石がキラリと光る。
祝福するように。
どこか、ほっとしたように。
中庭を出る時にハリエットが聞いた。
「ノーイックはどこですか?」
司祭たちが顔を見合わせる。
一人の司祭が答えた。
「先に出ていかれました。よほど雷がお嫌いなのでしょう」
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