【10】オラクルストーン(1)
王宮前広場の祭壇前には、前日を同じように諸外国の王侯や国内の貴族が待機していた。
アイリスも家族と一緒に他国の王族の後ろの席、貴族の席の最前列に座っていた。
前日とは違い、ハリエットとギルバートの姿はない。
二人は王族として第五の祭祀に参列しているからだ。
半円を描く水路の外には、今日も見物に来た一般市民が溢れている。
第五の祭祀は聖殿内で行われるため、王宮前広場にいても何も見ることはできないのだが、祭祀が無事に済めば新王の即位だ。
百日も引っ張っておきながら、戴冠式は第五の祭祀の直後に行われる。
それを見物するために、人々は今から広場で待っているのである。
少し前に、現王族であるノーイックとギルバートとハリエット、そして宰相ヘーゼルダインがマクニール大司教とともに聖殿に向かった。
ディアドラとヒルダは祭壇が飾られた壇上の席に残っている。
昨日の騒ぎはまだ余韻を残していて、会場内ではさまざまな会話が交わされている。
「昨日のネルソン夫人の態度……、すごかったな」
「まるで、ゴロツキか何かみたいだった」
「あんな方が王太后になるのか……」
ディアドラを盗み見るようにしながら、小声で囁き合う人たちがいる。
少し離れたところからは、石の力について話している声が聞こえてきた。
「まだ名前が刻まれていないって、どういうこと?」
「出生順がどうとか言っていたけど……」
「石が自分でどうとかって……」
「ノーイック殿下とギルバート殿下のどちらが次の王になるか、まだ決まっていないってこと?」
ブライトン家の家族が並んで座る席でも、そわそわと落ち着きのない態度でレイモンドが壇上を見ている。
「本当に大丈夫かなあ……。はあ……」
「どうしてお兄様がため息を吐くの?」
「ジャスミン……、ギルバートは僕の親友なんだ。その彼が、運命の別れ道に立っているんだぞ。気を揉むのは当然だろう?」
「アイリスお姉様の運命の分かれ道でもあるのよね」
二人がちらりとアイリスを見る。
アイリスは曖昧に微笑み返すだけで精いっぱいだった。
とても会話に加わる余裕はない。心臓がドキドキして息がうまくできない。
「これで、もしノーイックの名前が浮かんで来たら……」
レイモンドが不吉な言葉を口にした。
「母上、本当に大丈夫なんですよね?」
「水盆が本物であることは確かだし、魔石もたぶん本物よ。マクニール大司教のお話からも、『オラクルストーン』だけ偽物ってことはないんじゃない?」
本物ならば、ちゃんとした仕事をするはずだとリリー言う。
「そういうものかな」
レイモンドが心配そうに首を捻る。
「たぶん大丈夫よ。確信はないけど」
「確信が、ない……?」
レイモンドが眼を剥く。
「それにしても、寒いわね」
ジャスミンが自分の両腕をさすった。
四月に入り、だいぶ気温が上がっていたのに、今はひどく肌寒い。
昨日は春らしい穏やかな日だったのだが、昨夜から今朝にかけて急に冷え込んだせいだ。
「ちょっと、お天気が崩れそうね」
リリーが空を見上げるのと同時に、突然、雹が降ってきた。
「きゃあ」
「いてっ」
あちこちで悲鳴が上がる。
パラパラと音を立てて無数の雹が会場内の人々を襲った。
慌てて席を立つ人が何人もいたが、しばらくすると雹は収まった。
「あー、痛かった」
ジャスミンが頭を覆っていた両腕を下ろした。
その直後、今度は遠くで稲光が光った。
ピカッと光ったかと思うと、少しの間をおいて、バリバリバリ……と激しい雷鳴が響く。
「ひぃいー……」
雷を大の苦手とするグレアム卿がリリーにしがみついてぎゅっと目を閉じる。
バリバリバリ……。
二つ目の雷が鳴った後は、ぱらぱらと少しの雨を降らせただけで、雷鳴は遠のいていゆく。
やがて、時々、雲の間から光を漏らしながら、遠くで音がするだけになった。
「怖かったなぁ」
グレアム卿が涙目になって空を見上げる。
リリーも興味深そうに同じ方向を見た。
「何か、相当、不穏なことが起きているのかしら」
アイリスは周囲を見回した。
濡れた服をハンカチで拭いている人、まだ空を見上げている人、慌てて逃げだした先から自分の席に戻ろうとする人などが目に入った。
空はまだ暗く、空気は重かったが、怪我人などは出ていないようだ。
祭壇の上では、ディアドラが厚化粧の上からでも青く見える顔でぎゅっと目を閉じて座っている。
ヒルダは相変わらずだ。
ぽうっとした顔で、雷鳴が去った方角に目を向けている。
空が徐々に明るくなる。
再び晴れ間が見え始めた時、第二宮殿に続く回廊にノーイックの姿が現れた。
今日のために用意させた豪華な上着を身に着け、毛皮付きのマントまで羽織っているが、足元は何やらふらふらしている。
祭壇の前まで来ると、青い顔で唇を震わせた。
何か言いかけたようだったが、結局、何の言葉も発することなくその場にへたりと崩れ落ちた。
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