【8】そもそもなぜこんなに複雑な祭祀が必要なのか(2)
「クリスティアンの話を信じる根拠についてよ」
リリーが一同を見回す。
「とにかく、聖水は本物。ここまではいい?」
グレアム卿とレイモンドがこくこくと頷く。
「大勢の人が聖水を持つようになって、ディアドラの本性が表に出てきた。無能で身勝手でなんでも人任せにしているくせに、何かあると、責任を押し付ける。いいところだけは自分の手柄にして持っていく」
「うむ。あんな方だったとはな……」
「驚きましたよね。あの優秀説は、いったい……。あっ」
グレアム卿とレイモンドが顔を見合わせる。
「やっと、理解してもらえたみたいね。つまり、ディアドラは『白の魔石』を使って、事実を捻じ曲げてきたんだ思うの」
「なるほど……。にわかには信じがたいが、言われてみれば、確かにつじつまは合うな」
「そういうことだったんですね」
「もしかしたら、ずっと前から持っていて、側妃になった時も石の力を使ったのかも……」
「「なるほど」」
グレアム卿とレイモンドが妙に納得する。
ディアドラ優秀説を信じていた二人でさえも、ヴィンセント王がディアドラを側妃にしたことについては説明しがたいもやもやを抱いていたようだ。
それぞれ一人掛けソファに座っているギルバートとハリエットが驚いたような顔でリリーを見ていた。
リリーは続ける。
「クリスティアンの話に戻るけど、もしこの仮説が全部合っているとしたら、ノーイックが生まれた時も、ディアドラが石を使ったとしてもおかしくないと思うんだけど」
「確かに……、確かにその可能性はあるな」
グレアム卿が唸る。
珍しく表情を崩したヘーゼルダインが、虚を突かれたような顔でリリーを見ている。
「では……、では、私の記憶は正しかったのですね」
「そうだと思うわ」
ヘーゼルダインは深く長い息を吐いた。
「ただ、記録まで改竄されたとなると、証明するのは難しいかも……」
当時、関わった人たちは、自分が残した記録を正しいものだと信じているはずなのだ。
記憶そのものが書き換えられているので、金品で懐柔された人のように口を割ることもないだろう。
「なんということだ……。ようやく信じていただけたのに……」
ヘーゼルダインの呟きが静かな室内に落ちた。
ショウガ入りビスケットと紅茶が運ばれてきたが、誰も手を付けようとしない。
十日後には第三の祭祀があり、その九日後には第四の祭祀が行われる。
さらにその翌日、新たな王が即位する。
簒奪の王が。
「残すところ、あと二十日か……」
ビスケットの皿をじっと見つめながら、レイモンドが呟いた。
それからふいにヘーゼルダインを見る。
「ところで、ブラックウッドの下の石には、もうノーイック殿下の名前が彫られているのですか?」
「いいえ」
ヘーゼルダインが首を振る。
「マクニール大司教にも確認しましたが、まだ名前は彫られていないようです」
「石に名前を彫るのにどのくらいかかるのか、僕にはよくわからないんですけど、そろそろ始めないと間に合わないんじゃないですか?」
誓約の石はリリーの水盆と同じ黒曜石でできている。
「そもそも、百日もかけて祭祀を行うのは、名前を彫る時間を稼ぐためなんじゃ……」
レイモンドが疑問を投げかける。
だが、ここでハリエットが意外なことを口にした。
「あれは人の手で刻むものではないのですよ」
「え、どういうことですか?」
「ヴィンセントが即位した時、私は聖殿の中庭にいました。そこで、石が自ら王の名を刻むのを見ましたから」
「石が、自ら刻む……?」
ハリエットによると、大司教と王が供物を捧げると『オラクルストーン』が光を放ち、気づくとヴィンセント王の名がくっきりと刻まれていたという。
まるで昔からそこにあったかのように、深々と。
「第五の祭祀に参列するのは、大司教と司祭たちを除けば王族と宰相のみです。ギルバートとノーイックも参列していましたが、当時はまだ二歳でしたから、覚えていないと思いますが……」
ギルバートが緑色の目を見開き、わずかに首を振る。
リリーが聞いた。
「ディアドラは?」
「彼女は王族ではありませんから」
第一王子の母であっても、側妃は正式には王族とは見なされない。
他の場合はともかく、祭祀の当日、聖殿の中庭に脚を踏み入れることは許されなかったという。
「つまり、オラクルストーンも本物の神器ってことね」
リリーの青い瞳がきらりと光った。
「だったら、チャンスはあるんじゃない? というより、私たちにしか、チャンスはないんじゃない?」
「オラクルストーンも本物の神器だから、そこには正しい王の名が刻まれるということ……?」
アイリスが呟くと、我が意を得たりとばかりにリリーが大きく頷く。
「クリスティアンの話が本当なら、『オラクルストーン』に刻まれるのはギルバートの名前だわ。そして、私はクリスティアンの話は本当だと信じてる」
「私も信じるぞ」
グレアム卿が胸を張る。
「簒奪者はネルソン夫人とノーイックだ。天は不正を許さない」
それでも、ヘーゼルダインの顔に安堵の笑みは浮かばない。
「そんなにうまく行くでしょうか」
冷徹な顔のまま低く呟く。
「うまくいくわ」
リリーの顔に一片の迷いもない。
母のその顔を見つめながら、アイリスは、自分の心臓が大きく鼓動を打ち始めるのを感じた。
(ギルバートが第一子……、本当の王位継承者……)
にわかには信じられない。
ヘーゼルダインが嘘を言っているとは思わないが、これまでずっとノーイックが次の国王だと信じてやってきたこと、なんともやりきれない気持ちを抱きながら、ディアドラと折り合いをつけなければと思ってきた日々、それも投げ出さざるを得なかった日のことを思うと、そんなにうまくいくだろうかという不安のほうが大きい。
ヘーゼルダインの言葉はそのままアイリスの言葉だ。
『そんなにうまく行くでしょうか』
だが、リリーは自信たっぷりに言い切る。
「大丈夫よ、クリスティアン。あなたが見たことが正しいって、きっと石が証明してくれるわ」
まだ頷こうとしない宰相と、半信半疑の家族と友人とその息子を見渡し、宣言した。
「聖水の女神の末裔である私が言うのよ。神器は本物。伝説の力を今も宿している。オラクルストーンも同じこと。石は必ず正しい王の名を刻むわ」
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