【8】そもそもなぜこんなに複雑な祭祀が必要なのか(1)
居間に移動して軽くお茶を飲むことにした。
ヘーゼルダインは、めずらしく肩を落としている。
「クリスティアン、私は、あなたの話を信じるわ」
「ありがとうございます、奥様」
「身内だからというわけではないのよ。ちゃんと、根拠があるの」
ヘーゼルダインは問うような視線をリリーに向ける。
それぞれがソファに落ち着くと、リリーがヘーゼルダインに聞いた。
「あなた、私があげたガラスの小瓶をずっと持っていたのよね」
「ええ」
次に、隣の一人掛けソファに座るグレアム卿を振り向いた。
「あなたも、今はちゃんと持ち歩いているわね?」
「ああ。いつも身に着けておくように言われたからな……。ほれ」
上着の内ポケットから小瓶を出して見せる。
「それ、本物なの」
「本物?」
「本物の、聖水」
グレアム卿は、どこか妻の機嫌を取るように、視線をさまよわせながら曖昧な笑みを浮かべた。
「うーん。確かに持っていると調子がいい気はするけどなー……」
気を遣うようにそう言ったが、リリーの顔からはスッと笑みが消えた。
「信じなくてもいいけど、本当に、本物だから」
冷たく言って、プイと横を向く。
グレアム卿ははっと目を見開き、一人掛けソファの中で大きな身体をきゅっと縮めた。
リリーは斜め向かいに座るレイモンドに目を向けた。
「私がそれを、大勢の人に配っていたのを知ってるわよね、レイモンド」
「ええ、母上。可愛いお守りとして、とても流行しているようですね」
「流行させたのよ。なるべく大勢の人に持っていてほしくて」
レイモンドは話の方向性を見失ったように曖昧な笑みを浮かべる。
「聖水には、邪なものから身を護る効果があるの。だから、お守りというのは本当よ。でも、大勢の人に配ったことには、別の目的もあったの」
「それは、なんですか」
戸惑いながらもレイモンドが聞いた。
「あるものの存在を確かめること」
「存在を、確かめる?」
リリーが頷く。
「ここからは慎重に聞いてほしいの。ほぼ間違いないと思うけど……、証拠もないのに、言っていいことではないから」
「いったい、なんなんですか?」
「ディアドラは、『白の魔石』を持ってる」
「何を持ってる、ですって?」
「魔石。フォビダンストーン。失われた禁忌の石よ」
「フォビダンストーン……?」
レイモンドが苦笑する。
「まさか……。だって、その石は、何十年だか何百年だか前に行方がわからなくなった伝説の石ですよ? 実在するとは思えません」
「実在するし、持っているし、なんなら、使ってるわよ」
いやいいやいや、とレイモンドが両手と首を同時に振る。
「ありえない。今時、魔力なんて、ありえませんよ」
「もう! そんなんだから、ディアドラに騙されるのよ!」
リリーはキレた。
グレアム卿がビクッとソファの中で身体を跳ねさせたが、レイモンドはまだ余裕でにこにこしている。
「ネルソン夫人と言えば、あの優秀説はなんだったんでしょうね? とんでもないポンコツでしたよね?」
「だーかーらー、今、その話をしているのっ!」
「え? どういうことですか?」
リリーは父の隣の一人掛けソファから立ち上がった。
「ディアドラが魔石を使って、みんなの記憶を書き換えてたのよ。アイリスがやったことを自分がやったことにしたり、自分の失敗をアイリスのせいにしたり。でも、私がみんなに聖水を配ったから、魔力が効かなくなったの! それで、ポンコツがバレたのよ!」
「そうなんですか? それは、大変だ」
「大変どころの騒ぎじゃないわよ」
「ていうか、それ全部、本当のことなんですか?」
レイモンドの向かいのソファに座るアイリスをリリーが見下ろした。
肩を竦めて首を振る。
「レイモンドお兄様、にわかには信じられないと思うけど、全部、本当のことなの」
「そうよ」
アイリスの隣でジャスミンが参戦する。
「聖水は本物。お母様の水盆から、お母様とお姉様と私の三人で汲んで、小瓶に詰めたの」
「オブシディアンベイスンを見たのか」
レイモンドが身を乗り出す。
「見たわ」
「どうだった?」
「初めて、見せてもらったけど、神器でもなければ、あんなふうに水盆の中から、どんどん水が湧いてくるわけないと思ったわ。ね、お姉様」
黙って頷く。
「そうか。僕も見てみたいけど、男子は見てはいけないんだっけ?」
「見てはいけないというか、女神の血を引く乙女、つまり女性の血縁者以外は触ってはいけないんですって」
「触るとどうなるんだろう」
ジャスミンがリリーを見た。今は再び、ソファに腰を下ろしている。
「死ぬわ」
リリーの短い返答にレイモンドがぎょっとする。
「正確には、浄化されてしまうの。人間はだいたい穢れているから、ほぼ死ぬらしいわ」
「やっぱり、見なくていいです」
「そうね。やめておいたほうがいいわね」
きゅっと萎んでいたグレアム卿が会話に復帰する。
「で、なんの話をしてたんだったかな」
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