【6】次期王太后、捨てたはずの次期王妃を迎えに来る(5)
招かれてもいないのに夕食の時間に他人の屋敷を訪ねてくるのも論外だが、そもそも約束を取り付けもしないで公爵に会おうということ自体、常識外れだ。
王族といえども、そのあたりの礼儀はきっちり守る。
しかも、たとえ数十日後には王太后となる人物だとしても、今はただのネルソン夫人でしかないのだ。ディアドラの行動は到底許されるものではない。
「失礼にもほどがある」
グレアム卿が怒りも露に立ち上がる。
「絶対に通すな!」
厳しい声音で侍従に命じたが、時はすでに遅かった。
バーンと、ディアドラが小食堂のドアを勢いよく開いた。
「ここにいたのね!」
背後で執事がおろおろしている。
グレアム卿はテーブルを囲む七人に目配せし、執事には「構わん」と短く許可を与えた。
ほっとしたように一礼し、執事は部屋から出ていき、扉を閉めた。
ここまで来てしまったなら、追い返そうとしても、無駄に揉めて時間がかかるだけだ。
「何のご用ですかな? ネルソン夫人」
ディアドラは一瞬顔を歪めたが、グレアム卿にまで「その名前で呼ぶな」とは、さすがに言えなかったらしい。
「ごらんの通り、私たちは食事の途中なのです。ご用がおありなら、手短にお願いいたします」
一緒に食事を、とは死んでも口にしないという意思が感じられた。
なのに、普段から礼儀も作法もまったくわきまえないディアドラは、ずかずかと、実に無遠慮にテーブルに近づいてきた。
背後に立たれたアイリスはわずかに身体を回してディアドラを見上げた。
「アイリス、王宮に戻ることを許します」
「は……い?」
その場にいる全員の目が点になった。
「おまえを王妃にしてやるから、今すぐ、王宮に戻りなさい」
「ちょっと、言っている意味がわかりませんな」
答えたのはグレアム卿だ。
「ノーイック殿下には、ヒルダ嬢という新たなお妃候補がいらっしゃるとお聞きしたのだが」
「ヒルダは側妃にします。アイリスを王妃、正妃にしてやるって言ってるのよ!」
グレアム卿に眉間に深い皺が寄る。
全員が無言になった。
コホンと軽く咳払いをしてから口を開いたのはハリエットだ。
「ヒルダは懐妊していますよね」
「だから、何? あなたは黙ってて」
「いいえ。黙りませんよ。アイリスに、私と同じ道を歩ませようと言うのですか」
ハリエットの声には怒りが滲んでいた。
アイリスは息をのんだ。
いつも威厳に満ち、厳しくも優しいハリエットだが、この二十年、おそらくたくさんの思いをのみこんできたのだと気づいた。
(ハリエット様……)
側妃の子であるノーイックが王位を継ぐことを、ハリエットは承知していた。
その運命を受け入れながらも、我が子であるギルバートには、いついかなることが起きても対応できるよう厳しい教育を施してきた。
今思えば、そこにはかすかな希望もあったのかもしれない。
わが子の即位を望まない妃はいない。
どれほど人格に優れたハリエットでも、葛藤はあったはずだ。
しかも、即位するのはあのノーイックなのだ。
母として、王の妃として、これほど歯がゆいことはないだろう。
ノーイックとヒルダの間に子どもが生まれれば、アイリスはハリエットと同じ道を歩むことになる。
ハリエットにとって、それは到底、容認できることではないのだ。
「あなたが歩んだ道が何だって言うの?」
ディアドラは赤い髪を振り乱し、憎々しげにハリエットに向き直る。
「王妃として、十分、いい思いをしてきたじゃないの」
「いい思い?」
「陛下、陛下って、みんなにかしずかれて、さぞ気持ちがよかったでしょうね」
赤い唇が大きく歪んでいる。
ハリエットはしばらく黙ってディアドラの顔を見ていた。
「あなたには、私がただ人にかしずかれていただけのように見えたのですか」
「いい気になって、ふんぞりかえっていただけじゃない」
「そう思うなら、あなたが連れてきたヒルダを正妃にすればいいんですよ。アイリスには、もっとふさわしい相手が……」
「アイリスは、僕の妻にします」
突然、ギルバートが言った。
「「「えっ!」」」
一同、ギルバートを見る。皆、目を丸くしている。
アイリスもその一人だ。
「王宮には戻りません」
皆の困惑をよそにギルバートが宣言する。
「いらないと言って、捨てておいて、また利用したくなったら連れ戻しに来るとか、ふざけるのもいい加減にしたらどうです?」
「な、な……」
唐突な展開にディアドラは言葉を失くしている。
「まったく、何考えているんですか! 誰が、大事なアイリスを、ノーイックなんかにやるもんか!」
「な、な、な……、なんなの!」
「アイリスは僕の妻になります! わかったら、さっさとお引き取りください!」
「な、な、なんて失礼なの!」
おまえが言うか!
おそらくその場の全員が、心の中で同じ突っ込みを入れた。
「お引き取りをと言ったのが、聞こえなかったのですか! 今すぐ帰らないなら、この場で、あなたを……」
一度言葉を切って、ギルバートはディアドラを見据えた。
緑色の瞳には怒りの炎が燃えている。
「ぶっ殺します。覚悟してください」
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