【6】次期王太后、捨てたはずの次期王妃を迎えに来る(2)
(ギルバートと、結婚……)
どこかぼうっと気分のまま、アイリスは屋敷に戻った。
ノーイックと結婚し、いずれはこの国の王妃になるのだと、まだ幼い頃からすっと言われ続けてきた。
親と離れ、国と民のために生きるべく膨大な量のお妃教育も受けてきた。
よそ見をしている暇などなかった。
違う生き方があるとは想像すらしなかった。
けれど、今のアイリスは何者でもないのだ。
第一王子の婚約者でも次期王妃でもない。ただのアイリス・ブライトンだ。
(ギルバートと、結婚……)
もう一度、心の中で繰り返す。緑色の瞳が瞼に浮かんだ。
子どもの時からよく知っている瞳だ。綺麗に整った優しい顔も、ハリエットに似て背が高く、背筋がしゃんと伸びた立ち姿も、よく知っている。
ずっと見てきた。
見すぎて、知りすぎて、空気のように当たり前になっていた。
よく笑う人だ。よく働く人でもある。領民のために尽くし、公平で誠実。
心臓が、ずっとドキドキ騒いでいる。このドキドキは、アイリスを甘い幸福感にいざなう。
(どうしよう……。ギルバートと、結婚……)
ドキドキで身体がバラバラになりそうだ。
再びリリーがお茶会を開いた。
「王宮には、もうほとんど女官がいないみたい」
「ディアドラがヒステリーを起こして喚き散らしてるらしいから」
「よけいに女官たちが離れてしまうのよ」
今日もジャスミンは学校に行っていたが、アイリスはリリーと一緒にお茶のテーブルを囲んでいた。
「そろそろ次の祭祀があるわね」
「大丈夫かしら」
二回目の祭祀は数日後に迫っている。
「前回よりは、マシに……って言いたいところだけど、あれじゃあ、怪しいわね」
「むしろ、もっとひどくなるかもしれないわ」
「あれ以上ひどく……?」
一瞬、言葉を失い、宙を見上げる。
ちょっと深刻そうに眉をひそめてみせた後、貴婦人たちはくすくすと笑い始めた。
「でも、それはそれで、ある意味、いい見ものかも」
「あの人の化けの皮が剝がれるところを、私たちも見たいわ」
王位を継承するための重要な祭祀が失敗することを望むのは、本来なら不敬なことだ。
けれど、それとこれとは別だと貴婦人たちは主張する。
「まっとうな王族なら、まっとうな祭祀ができるはずよ。うまくいかないのは、自分たちのせいじゃないの」
「だけど、あんなひどい失態があったのに、何にも覚えていないって言う人がけっこういるの。不思議よね」
「もしかして、この小瓶に本物に聖水が入っていたりして」
「ねえ、リリー、どうなの?」
「持っていると、本当に嫌なものから守られている気がするんだけど」
「実は、そうなのよ」
リリーは真顔で言った。友人たちが笑う。
「お友だちが欲しいって言ってたわ。プレゼントしたいんだけど、まだある?」
「この通り、たくさんあるわ。いくらでもどうぞ」
テーブルの上に聖水の小瓶が並べられる。リリーは気前よく小瓶を配りまくった。
友人たちが帰ってしまうと、私室に向かい、せっせと小瓶に聖水を詰め始める。学校から帰ってきたジャスミンも作業に加わる。
「もっと配るわよ。もっともっと」
嬉々として作業を続ける母の姿を見て、ジャスミンが呆れる。
「お母様、ちょっとハマりすぎじゃない?」
「そう?」
「なんだか魔女っぽく見えてきたわ」
「相手は魔石なのよ。こっちもそれなりの対応をしなくちゃ」
真剣なリリーの横顔にアイリスが話しかける。
「ディアドラ様は、本当に魔石を持っているのかしら」
「聖水を持つ人が増えて力が効かなくなっているなら、そう考えていいと思うわ」
神妙な顔になるアイリスとジャスミンにリリーは真剣な顔のまま言った。
「逆に言うと、戦えるのは私たちだけってことよ。こんな地味な作業だけど、これが唯一の方法なの。聖水を持っている人が増えれば、近くにいる人にも効果が出てくるし、もっと増えれば結界みたいな効き目も期待できるかもしれない」
魔石の力を封じたところで、ディアドラやノーイックの無能さが公になるだけだが、「ポンコツ」呼ばわりされたアイリスの名誉も多少は回復するだろう。
「意地悪でやってるわけじゃないわよ?」
「わかってるわ。本当にディアドラがその石を持ってるなら、やっぱり裁かれるべきだもの」
ジャスミンが正論を打つ。
「だったら、頑張りましょう」
聖水の女神の血を引く乙女たちは、次々小瓶を水盆に浸し、聖水を汲んで小瓶に蓋をしてゆく。
ジャスミンがふと顔を上げた。
「噂に聞く『内職』ってこういう感じかしら」
それは、何?
リリーとアイリスは揃って首を傾げた。
たくさんの小説の中からこのお話をお読みいただきありがとうございます。
下にある★ボタンやブックマークで評価していただけると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。




