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【1】次期王妃、婚約を破棄される(1)

新しいお話です。よろしくお願いいたします。

 ――なんという愚かなことを……。


 クリスティアン・ヘーゼルダインは、眩暈を覚えた。

 冷徹な顔には表情ひとつ浮かべないまま、心の中で悪態をつく。


 ――クソが……! ここまで愚かだったとは……。


 同時に、自分の運命を嘆いた。


 なぜ、こんなことになってしまったのか……。あの日、自分にもっと力があったなら、こうはならなかったはずなのに……。

 砂を噛むような苦い記憶が心に蘇る。あの屈辱を払拭するために、必死に努力して宰相の地位まで登りつめた。


 それなのに……。

 間に合わなかった。


 いつか、すべて正すと心に誓ったのに、何も覆すことができなかった。

 愚かなのは、自分も同じではないかと、ヘーゼルダイン自嘲する。


 そして、絶望した。


 ――この国は、もう終わりだ。


*   *   *  


「今、なんとおっしゃいました?」


 王の執務室に呼ばれたアイリス・ブライトンは目の前の人物に聞いた。


「おまえとの婚約を破棄すると言ったのだ、アイリス」

「なぜですか? そもそも、私たちの婚約はそんなに簡単で破棄できるものでは……」

「黙れ。このポンコツが」

「ポンコツ……?」


「先日の父上の葬儀でも、おまえは諸外国の王族を誤った席に案内したそうだな。母上が気づいて正しいお席にご案内してくださったからよかったものの、危うく外交問題に発展するところだったではないか」

「え……っ」


 アイリスは青い目を見開いた。顔を上げた拍子に長い銀髪がキラリと光る。

 この人はいったい何を言っているのだろう?


 アイリスの顔前で、見事な細工に彩られた王の椅子にふんぞり返っているのは、ブラックウッド王国の第一王子ノーイック・リンドグレーンだ。

 アイリスの婚約者でもある。今のところは、まだ。


 寝ぐせのようにくしゃくしゃ乱れた赤毛と薄いグレーの瞳を持つ、二十歳にしては幼い印象の貧弱な若者。顔にはそばかす。

 とても姿勢が悪い。


 一週間前、年の瀬も押し迫ったある日、風邪をこじらせて寝込んでいた前王ヴィンセント・リンドグレーンが崩御した。

 享年四十六歳。あまりにあっけない死であった。

 唐突で、若すぎる死でもあった。だが、そこに陰謀めいた事件は絡んでいない。


 本当にただの風邪。


 王が崩御したので、第一王子であるノーイックが即位することになった。ブラックウッド王国のしきたりにより、即位は王の崩御から百日後、今から約三か月後になる。


 その間、王座は空位となり、神木を護る大司教が国を治める。実際に政務を行うのは宰相だが、暫定的な元首は大司教だ。

 だから、今のノーイックはまだただの王子で、王の椅子に座る資格はない。


 ちょっと突っ込みどころが多すぎて、どこから突っ込めばいいのか悩む。とりあえず、喫緊の問題から取り組むことにした。


「私たちの結婚は、十年以上も前に国王陛下がお決めになったもので……」

「だから、その国王陛下だった父上はもういないんだよ! 次の王は僕だ。僕の妻は僕が決める」

「ですが……」

「十年以上もお妃教育を受けてきたくせに、ろくに仕事もできないおまえが悪い。王妃の仕事は母上に頼むから、おまえはとっとと王宮から出ていけ!」

「ディアドラ様に……?」


 アイリスは玉座の右手に控えている赤い髪の女性、ディアドラ・ネルソンに目をやった。

 前王の側妃だった人だが、ブラックウッド王国では最初に生まれた子どもが王位を継ぐため、第一王子の産みの母である彼女は、女性王族が執務を行う第二宮殿において王妃と二分するほどの権力を持つ。


 王妃だったハリエット・リンドグレーンとは水と油。

 ハリエットからお妃教育を受けていたアイリスのことも目の敵にしている。アイリスのどんな小さなミスも、見つけるや否や百倍くらいに大きくして延々と周囲に広めていた。


 それだけなら、まだいい。

 実は、ディアドラは仕事ができない。ものすごくできない。ミスもめちゃくちゃ多い。放っておいたら、それこそ国が傾くレベル。


 ディアドラのやらかしに気づいたアイリスが常にフォローしてきたから、なんとか事なきを得てきたが、ディアドラがやらかした山のようなミスは、どういうわけか、すべてアイリスがやったことになっていた。

 意味が分からない。


 今回の席順の件にしてもそうだ。それぞれの国の事情や友好関係などを無視したとんでもない座席表を作ったのはディアドラで、その危うさに気づいて直前になって作り直したのがアイリスなのだが、どういうわけか、それらの流れが全部、逆になっている。

 そのことに気づく者はいない。毎度のことながら、不思議だ。


 アイリスのした仕事をことごとく自分の手柄にするのもディアドラのやり口だった。

 そのせいか、ディアドラの評価は高い。とても。

 なんだかなぁと思うが、いちいち言い訳をするのも、自分のした仕事を「自分がやりました!」とアピールするのもあまり品のいいこととは思えず、ずっとスルーしてきた。


 その結果がこれだ。アイリスは今、婚約者からポンコツ呼ばわりされている。


 ディアドラがにやりと笑った。

 厚く塗られたおしろいに深い皺が刻まれ、真っ赤な唇が大きな弧を描く。細く眇めたグレーの目でアイリスを冷ややかに見下ろしている。


 こぼれそうになるため息をのみこみ、ノーイックに視線を戻す。


「本気で、私に出て行けと……」

「だから、さっきからそう言っている。おまえはお払い箱だ」


 嘲るような、それでいて、どこか卑屈に見える笑みを浮かべてノーイックは言い放つ。


「それに、王妃には、もっとふさわしい女を見つけてある。おまえみたいにいちいちうるさいことを言ってくる出過ぎた女ではない。もっと素直で、従順な女だ」


 アイリスの脳裏に赤みのある金色の髪が浮かんだ。


「まさか、ヒルダ・リグリーではないでしょうね」


 ノーイックは視線を逸らし、ぐっと言葉をのみこんだ。そばかすの目立つ幼い顔をかすかに赤く染めている。その横顔を、アイリスはまじまじと見た。


(嘘でしょう?)


 嘘だと思いたい。


 ヒルダ・リグリーは半年ほど前にディアドラが連れてきた、どこの馬の骨ともわからない女性だ。男爵令嬢と紹介されたが、リグリー男爵などという名は聞いたことがない。

 赤っぽい金髪とグレーの目を持つ彼女は、いわゆるボンキュッボン、出るところがしっかり出ている見事な肉体を持っている。甘ったるい声で話し、媚びるような微笑を常に浮かべていて……、はっきり言って、ノーイックの好きなタイプだ。


 だが、ヒルダは何もできない。

 確かに素直というか、バ……、いや、頭のネジがアレな感じで常に笑ってはいる。

 だが、本当に何もできないのだ。


 語学も数学も統計学も歴史も外交論も学んでいない。マナーはお粗末というか、それ以下。人の話を聞いても、十のうちの一すらも理解していない。聞いているのかどうかも怪しい。


 あれで王妃が務まるか? 

 務まるわけがないだろう。王妃の仕事をなめてもらっては困る。


 言いようのない怒りが胸の奥に渦巻くが、今のアイリスには手の打ちようがなかった。


(どうしたらいいのでしょう、ハリエット様……)


 王の崩御により王妃としての身分を失ったハリエットは、葬儀の後、早々に王宮を去ってしまった。アイリスの後ろ盾になる人はいない。


 ディアドラがニッと笑う。


「いつまでも、未練たらしく次期王妃の座にしがみつくのはみっともないですよ、アイリス・ブライトン。本当に、みっともない。あー。みっともない」


 三回も「みっともない」を繰り返し、ククク……と嫌な忍び笑いを漏らしながらディアドラが聞いた。


「それとも、ノーイックに未練があるの?」

「あ、それはないです」


 思わず即答してしまった。ノーイックが激怒する。


「お、おまえに、そんなことを言われる覚えはない! ぼ、僕だって、おまえなんか、願い下げだ!」

「どうも。失礼しました」

「とにかく、もういい! おまえの顔など二度と見たくない! さっさと出ていけ!」


 真っ赤な顔で喚き散らすノーイックを見ているうちに、これはもうだめだなと思った。

 同時に、自分にまとわりついていた無数の細い糸がプツプツと切れてゆくのを感じる。


 投げ出してはいけないと思って、ずっと我慢してきた。けれど、もう、限界だ。なんだか全部がどうでもよくなってしまう。


 もういい。もう、頑張れない。

 この人たちと一緒に国を背負うなんて、無理。絶対、無理。


 泣きたいような気持ちと、どこかさっぱりした空っぽな気持ちとが同時にこみ上げてくる。


「わかりました。出ていきます。今までお世話になりました」


 完璧なカーテシーで国王と王太后になる予定の二人に最後の挨拶をする。


 部屋の隅で、表情一つ変えずに控えている氷の宰相にちらりと目をやった。

 黒髪に黒い瞳の背の高い男。見た目通りの冷徹さから「氷の宰相」と呼ばれている人物。


(ごめんなさい、ヘーゼルダイン。ブラックウッド王国のことは、あなたに丸投げするわ……)


 逆に言えば、ヘーゼルダインがいるから投げ出すことができる。

 彼は優秀だ。

 それに、若い。宰相としては史上最年少の三十五歳。


 建国以来の切れ者と言われ、すでに稀代の名宰相と謳われている。

 彼がいれば、だいたいのことはなんとかなると思えた。


たくさんの小説の中からこのお話をお読みいただきありがとうございます。

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どうぞよろしくお願いいたします。

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