XXX XXX4
赤い月が僕と彼女を見下ろしている。非現実的な世界が僕の前に広がっている。
ああそうとも。ここは僕にとって現実ではない世界だ。
僕が異分子であると思い出させてくれる。
異質で異分子で、だからこそできることがある。
どうしてそれができるかはわからない。もしかしたらこれは本当はもとの世界に戻るためのものなのかもしれない。
でも僕は彼女に伝えなくてはいけない。たとえそれを言うことで、することで僕が取り返しのつかない状況になったとしても。
生きたい、この先に進みたい願っている彼女に対する懺悔が、罪滅ぼしができる
今にも泣きだしそうな彼女に告げる。
「人間にならない?」
僕の言葉はもしかしたら震えていたかもしれない。
うまく笑えているか自信がない。
地面にしりもちをついている時点でかっこなんてついてはいない。でも今はそれどころじゃない。
彼女はあっけにとられたようにぽかんと口を開けて固まってしまった。
さっきまで動かなった何かが、窓の外の何かがざわついている。
「……なにをいって」
ようやく出た彼女の言葉も容易に想像できるものだった。
「人間にならない?って言ったんだ。
君の今のままの存在では消えるしかないけど人としてなら、人の一緒は短いかもしれないけど、少なくとも今ここで終わりではないよ」
零れ落ちそうなくらい目を開いて彼女は僕を見ている。
でも徐々に先ほどまでの怒りに満ちた色が抜け落ちていくのがわかる。
「信じられるわけがない…それは…まるで…」
それはそうだろう。突拍子もないことを言っていることは十二分にわかっている。
でも僕はこのためにここまでお膳立てをしたんだ。彼女を生き延びさせるために。
「今ならできるから。君を人間にすることが僕にはできる。
僕はこの物語の作者だ。
だからこそ物語に介入することができる。
おそらく一度きりだけど、物語を改変することができる。
この普通を強いられる世界で、特別な物語を本当に平凡なものに変えることができる。
君を、そうとも君を、
中庭にいた少女は都平阿坂の妹であると」
それこそが普通であることを強要されるこの世界において、唯一のイレギュラーだ。
いいや違うのかもしれない。
この物語を書き換える力を使ってこそ、彼女は平凡な女生徒に、そして力を使い切った僕は何の力も持たない平凡な男子生徒になるというわけだ。
本当に神様がいて僕にこの力を与えてくれたのか、
それとも僕のえがいたこの世界の強制力が僕にそうさせるのか僕にはわからない。
僕はずっと、ずっと考えていた。
都平阿坂として生を受けてからずっと。この彼女にとって救いのない物語のストーリーを何とかして変えないといけないと思った。
でもどうしようもないこともわかっていた。
彼女の運命は行き止まりの、袋小路だ。
彼女の存在を助けるのは信仰だ、では信仰を増やせばいい。
でも石碑に対する噂を広めたとしても所詮噂だ。信仰ではない。貢物、祭り、祈りすべてが足りない。
よしんば足りたとしても……
来年の春、雪解けとともに割れる石碑の運命を回避できない。
だから、この学園に入学するまで、彼女には穏やかな最後を迎えてもらうしかないと考えていた。
僕なんかじゃなくもっと彼女を見てくれる人と一緒に。
でも、この学園に入学して、初めてあの石碑をこの目にした時。ほほをそっと風が撫でた。
その瞬間はっきりと理解したんだ。
この物語のスタートラインに都平阿坂がたったその瞬間。
僕にはこの物語に介入できる力が、能力があると。
喜んだのもつかの間、自信がなくかった。
彼女が生きたいと、存在し続けたいと願っているか、それがわからなかった。
怖くなったとも言っていい。
僕は彼女をはかなく消える存在であると、設定したけれど、
彼女自身がそれを受け入れてしまっているとしている。
じゃぁ。ひょっとしたら、彼女はもしかしたら
この長い、長い彼女の運命を終えたいと考えているのではないだろうか。
怖くなったのだ。
だから確かめることにした。
彼女が生きたいと願っていると確かめることにしたのだ。
目論見は当たった。僕は賭けに勝った。
だからこそ、僕はすべてを捨てて、彼女に提案することができる。
「これこそが、僕がこの物語の作者である証左だ。
君に待ち受ける物語は本来。消滅だ。
でも僕ならそれを変えられる」
僕は畳みかけるように彼女に告げる。
「何のために君に真実を伝えたと思う?消えゆく君に消えるのはしょうがないから諦めろなんて人でなしのようなことをいうわけがないだろう。
真に君がもう消えるしかないのであれば、少しでも君に穏やかに過ごしてもらえるように僕は、はからったさ。
でもそうじゃない。
別の方法がある。
チャンスがある。
未来がある」
息を大きく吸い込む。強い言葉を彼女にぶつける。
「君は消えたくないのだろう」
彼女が僕をみつめている。目に浮かんでいる感情は。読み取るのは野暮だろう。
「意味が欲しいと思わないのかい?」
彼女が言葉を発する前に畳みかける。ここで決めないといけない。彼女を説得しなくてはいけない
「君はここで終わりを迎えたりしない」
ひゅっと彼女が息をのんだ。
でもこんなに感情が高ぶっても涙を流せないというのは本当に、彼女は人間ではないのだな。
それでも彼女は最後まで自分の生まれた意味を探していた。でも見つけられずに最後を迎える。
それはとても悲しいことだ。たとえ特別ではなくても生きている以上、この世にある以上、意味があってほしい。そう思うものだろう。
だから彼女に、何もない彼女に、何にも慣れない彼女に、人としての人生を渡したい。それが僕の作者としての役割だろう。
「……生きてみたい」
どのくらい時間がたっただろうか。数秒のようにも、何時間もたったようにも思える。
そして彼女はゆっくりとしゃべり始めた。
「…意味が欲しい」
「明日が欲しい」
「このまま消えるのは苦しい」
「でも……お前が許せない。」
この言葉さえ予測済みであった。そうだろう。僕はひどい人間だ。
自分が美しいと思う物語のため、彼女に意味を与えなかった。それなのに時間だけを与え、そして最後に奪った。無意味を背負わせた。
「お前のことを思うと怒りが浮かぶ。男どもが私の正体を解き明かせなかった時とは別のものだ。
同じように感じるのに、お前に対するもののほうがずっと大きい」
「そっか。多分それは憎しみっていうんじゃないかな。人になったら理解できるかもね」
うつむいた彼女の顔は見えない。
彼女はもう、地面にしりもちをついている僕の上に座り込んでしまっている。
座り込んでいるはずなのに重みを感じない。
「お前が許せないのだ。お前の力を借りたくない。お前にかかわってはいけない。お前を拒みたい。
でも……でも…それよりも強く思うのだ。ここで消えたくない。
お前の言う、私という存在に意味を持てる。その言葉がとても……
今までもらったどんな貢物よりも甘く感じるのだ」
僕は瞼を閉じる。じんわりとこみあがってくる気持ちにあらがえない。
「お願いだよ。全部僕のせいにしていいから。憎んでくれていいから生きてほしい」
涙をこらえたかすれ声で、僕は彼女にささやく。大きな声を出したら泣いてしまいそうだった。泣くことは許されていない。
僕を憎むことで君が意味のある人生を送ってくれれば。あんななにも成し遂げられずに、僕たちに振り回されて消えるのだけの終わりは、どうしても許せなかった。
「おねがいだよ」
もしかしたら涙は出ていたのかもしれない。驚くほどに情けない声が出た。
「……いいだろう。そこまで言うのであればお前の願いを叶えてやろう。つまらなかったらお前を殺してやる」
懇願する僕の言葉にようやく彼女はのそのそと顔を上げ、言い放った。
あぁ。あぁ。よかった。
でも人になったらそういった物言いは控えてほしいな。真代さんに対するようにうまく人のふりをしてくれればいいのに。
「わかった。ありがとう」
僕は彼女の下から抜け出し、立ち上がる。そして彼女に手を貸して立ちあがらせる。
そして、そして僕は初めて彼女の両手を握った。ぎゅっと握り締める。
冷たい。知ってはいたけど。こんな感じなんだ。知らない感触だ。
にっこり笑って彼女に告げる。
うまくは笑えていないことは知っていた。
「君に名前を与えよう」
新しい名前。君に運命から抜け出させるための名前。
「君の名前は都平連理」
連理。連理の枝。もう離れることはないという約束。祈り。
「都平阿坂の双子の妹だ。」
兄妹であれば分かち合える。
「僕たちは肉体を二つに分けて双子として生まれた」
僕のものをきみと分けあたえよう。たとえそれが何であったとしても。
「僕と君は同じ高校に通う生徒だ」
窓のざわめきはもう聞こえない。月は白金に輝いている。
触れ合う手はもう冷たくない。