残された娘は父の技術で父を殺すことを願う
事件後、国防省および日本政府は対応に追われた。
新入生の大多数が死傷しただけでなく、式典に出席していた現役の指導教員、さらに新任の教員となる下士官もほぼ全員が。学校運営そのものがほぼ不可能な状況となった。そのため、国防省は士官学校の1年間の休校を発表。1年の期間は暫定とし、今後延長される可能性も示唆された。さらには遺族や負傷者への被災補償、大破した施設の修繕、今後の各式典における警備強化策の立案…。国防省はかつての戦時下における「月月火水木金金」の日々だった。そんな弱り目の国防省に祟り目となったのが国内左派関係者からの糾弾だった。
『国防の名を借りた戦争準備となる兵器強化の代償』
『武装は悲劇を呼ぶ。真の平和は非武装にあり』
もともと発足・再編のころから根強い反対意見もあった国防軍だが、事件を機に非難の声が過熱。国防大臣や幕僚長は連日会見で対応に追われた。
某日。銀座にて―
薄暗い店内で、一際明るく照らされている鉄板。その上で、バターが解けて無数の泡を作りながら煙を上げている。そして分厚い牛肉がそこに置かれると、食欲をそそる音が立った。
「ん~…疲れの吹き飛ぶ音です。いまの私を癒してくれるのは食事だけ。左派の活気がこう苛立たしいとはねえ」
焼かれていく肉を見つめながら、一人の男性が感嘆の声を漏らす。
「国民に害が及べば非難の声が上がるのは致し方ありません。まあもっとも…左派の威勢がいいのは今だけです。やつらは『国民の共感』という後ろ盾がなければ声を大きくすることができず、さりとて感情論一辺倒でまともな対案を出せやしない…。暇なクレーマーと何が違うのやら…」
そうぼやく男の隣には磯部の姿もあった。咳払いし、男をたしなめた。
「大臣…。そのような物言いは慎まれたほうがよろしい。公の場で咄嗟に出てしまいかねませんぞ」
「これは失礼。磯部中将。思想は違えど、彼らもまた等しく守るべき国民ですからね。…まあ、ならば『守りがいのある立ち居振る舞い』を求めるのも人情でしょう。平時下では露骨に嫌悪しながら、有事の折には真っ先に助けを欲するような者も助けざるをえない、現場の皆様には頭が上がりませんよ」
そう言いながら笑みを浮かべる男に、磯部はため息をついた。
大臣と呼ばれた若い男性は緒方就三郎。40歳の若さで防衛大臣に就任した俊英である。肉が焼け、それを頬張って満面の笑みを浮かべた後、ワインを口にして磯部に尋ねた。
「ところで…例の事件の首謀者ですが、『身内』である線はもう揺らぎようがないのですか」
「…はい。下士官が収集した情報や国防軍のデータベースに残されていた情報を総合し、やはり菅澤隆道が関わっている可能性が高まりました」
「その結論、漏れることはありませんか?」
「万全を喫しています」
「やれやれ…。島流しで幽閉はなく、やはり何かしらの手段を使って殺しておくべきでしたか」
そう言ってワインをもう一度口にした緒方の目は据わっている。
「それから…八神龍栄からの情報から件の士官を調査したところ、菅澤の息子である悠馬が2か月前から消息不明であることがわかりました」
「ほう…。史上最強の強化人間が目撃したという、テロリストの一員。それが菅澤の息子だったと。消息不明とありますが、彼はおろか、我が国防軍は現状海外派遣は行っていないはずですが?」
「基地関係者曰く、『ある日突然消えたとしか言いようがない』と。駐屯地の自室は荒らされた形跡はなく、たった今まで人がいたような状態だったと。私物はもちろん、外出で使う本人のバイクも駐車場に施錠したまま。なにより、靴すら部屋にあったようです」
「まあ、そこまで変化がないのなら、逆に拉致しかありえませんね。それゆえに公表もされていないのでしょう。軍施設のセキュリティーが脆弱だったと自白するようなものですしね。…中将、引き続き調査をお願いします」
「はっ。菅澤悠馬の…」
「いえ、現役士官のみならず、OBや士官学校生、その教員や保護者に至るまで、わずかでも軍関係に関わった経緯のある人間の動向をしらみつぶしに捜索してください。特に機動国防軍内をね」
「…!大臣は、まだ脱走者がいると」
「十分あり得るでしょう。菅澤はその身一つで行動しているとは考えにくい。何かしらのパトロンや賛同者、あるいは工作員による拉致行為…。杞憂かもしれませんが、杞憂とするには調査をして確証を得ねばなりません。まあ、マスコミや左翼連中からの妄言暴言は私がすべて受け止めますから、あなた方は調査に専念してください」
「承知しました」
頭を下げた磯部の前に、温められたステーキが出される。目を丸くする磯部に、緒方が食べるように促した。
「せっかく来たのですから、あなたも是非食べてください。私だけ舌鼓を打つのは不公平です」
「…恐縮です」
程よく磯部の腹が満たされたところで、緒方が思い出したように聞いた。
「そう言えば…中将、近々菅澤の「娘」に会うそうですね」
「ええ。父親との関係性がどれほどのものかはわかりませんが、何かしら情報は得られるかと」
「ふむ。ですが、精神状態はまともなのでしょうか。自分の兄に自分の妹を殺されたなど、正気でいられるとは思えませんが…」
「フラッシュバックすることはあるようですが、日常生活への支障は少ないようです。それに、彼女の方から接見を希望しているとのことです」
「…わかりました。では面会の詳細は必ず報告をください。一応、彼女は『容疑者の娘』だということ、現場の長として忘れないでください」
それから数日。磯部は権田を伴って、凛奈が入院する病室に足を運んだ。
「まずは、君の無事を喜びたい。あの惨劇の中、よく無事でいてくれた。そして、軍の長として妹さんに冥福も祈りたい。特に君を庇うようにして、と聞いている。その勇敢さ、失われたのは実に惜しいよ」
「…お気遣い、そしてわざわざ会いに来てくれてありがとうございます」
磯部の言葉に、表情を変えずに会釈もしない凛奈。ただじっと、何かを言いたげな様子のまま真っすぐに磯部を見る。磯部は咳払いを一つ挟んでから尋ねた。
「権田から聞いたが、私に頼みたいことがあるようだな。だが、まずは君からお父上…菅澤隆道について答えてもらいたい。君の知ること、思うこと、なんでもいい」
「なんでも…いいんですね」
凛奈の表情が変わる。一瞬にして、目には怒りが宿った。磯部はなおも頷く。
「…ああ、構わん。好きなように、好きなだけ聞かせてくれ」
時計の秒針だけが動く沈黙の時間がしばしあって、凛奈は堰を切ったように父親への憤怒をぶつけた。
「父は…あの男は、自分が知りたいことのためなら、母を殺すような狂った人でした。兄を含め、あいつを父親と思ったことはないです。むしろ、自分を汚らわしく感じるときもあります」
顔を伏せながら自分の二の腕を握る凛奈。
「八神…でしたっけ?私を助けてくれた彼。彼が割って入った拍子にとれたマスクの中から現れた兄の目には、光がありませんでした。あの、死体のような淀みきった黒目。そして、死んだ…殺した妹を見て笑ったときの声…、私の知る兄ではなかった。妹思いで、私と環奈の区別もできていた、優しくて…大好きな…」
凛奈の服に雫がポタポタと垂れる。それでもなお言い続ける。
「この事件も…兄をあんなのにしたのも、きっとあいつです。自分の妻を『私の偉大な実験のために、その身を借りた。死んでしまったのは仕方ない』なんて、自分から自慢してましたからね…」
「…では、妹のことについても?」
「妹…?」
凛奈の声に戸惑いの色が宿る。磯部は後ろに立つ権田に目配せし、代わりに権田が詳細を話す。『慶光新生計画』のこと、菅澤隆道はその主要人物だったこと、そして双子の妹である環奈が、彼による秘密裏の遺伝子操作にて強化人間となっていたことを…。
「あいつ…人間をなんだと思っているの…本当に汚らわしい…あいつの血が私にも流れているなんて…」
不意に、凛奈が顔を上げて磯部を見据える。そして、言った。
「お願いします…。私を、『後天性強化人間』にしてもらえませんか?妹の仇を討つために、そしてあんな奴を一刻も早く殺すために」
唐突な申し出に二人は戸惑い、権田が説得にかかる。
「な、バカなことを言うな。後天性には現状成功例はない。復讐どころか、生きられるかどうかもわからんのだぞ!」
「…妹が目の前で死んで、変わり果てた兄を見せつけられて、あいつの血が流れてるこの身体で生かされるぐらいなら、いっそ最期の実験体として使い潰してほしいです!それに、どうせならあいつが関わった研究で力を得て、あいつを殺してやりたい。お願いします!…思い出したくもなかったこと、話したんだから私の願いを聞いてくれてもいいでしょう?」
権田、そして磯部が代わる代わる説得するも、凛奈が頑として聞かなかった。
その日のうちに、磯部は緒方に報告を上げた。
「なるほど…彼女は何も知らないし、関わってはいない…それは間違いないでしょう。フフフ…しかし、実に血の気の多いお嬢さんだ」
「笑い事ではありませんぞ、大臣。情状は理解しえないわけではありませんが、そもそもが非人道的な行為。私としては、承服しかね」
「いや、私はぜひとも彼女の要求に応えるべきと思いますよ」
「大臣!」
笑みを浮かべ、さらには無謀な要求を受け入れるような物言いに、磯部は思わず声を荒げる。緒方は真顔のまま磯部を制して意図を話す。
「非人道的というなら、この計画そのものがそうでしょう。それに、後天性の危険性を確証として以後封じたいのなら、彼女の言うように最後の被験を行うべきだと思います。万が一、成功すれば国防において大きな戦力となり得ますしね」
「しかし…」
「もちろん、あなたの言うことももっともだし、私も両手を挙げているわけでもない。…が、現実問題として我々はこの事件で将来の戦力はもちろん、それを教え鍛えるための人材も失っている。一時的な
戦力低下は避けられませんし、それを少しでも補えるなら国を護るものの使命としてやるべきです。それに、被験体とすれば彼女を我々の『監視下』にも置け、動向を確実に注視できる。…所詮彼女もまた菅澤の娘であり、父親が利用しない確証もありませんからね」
緒方の判断は実に冷徹だった。磯部は聞いた。
「国防とは…そんな手を使ってまでも果たさねばならぬということでしょうか…」
緒方は返した。
「そもそも、日本の国防に対する意識は、はっきり言ってまだまだぬるい。科学が進歩し、情勢も二極化が進む中で、いつ大陸からのちょっかいが取り返しのつかないところまでくるかわからないのです。地理的にも日本はユーラシア大陸の連中が太平洋や東シナ海への進出を目論む上で最大の障壁。今は外交議論でどうにかなっていますがそれがいつ破綻するやら…」
「…大臣」
「私は国の盾として命を削ると決めた以上、どれだけ荒唐無稽であろうと、打てる手はすべて打ちたいのです。磯部中将、よろしいですか」
「…了解、いたしました」
数日後、凛奈は都内某所へ移送された。そしてその処置台に大の字になっていた。両手足だけでなく胴体、さらには頭部もベルトにて拘束されていた。
「これより、後天性強化人間への改造手術を実施します。被験者、菅澤凛奈さんで間違いありませんか?」
医師のような人物が機械的に問いかけた。
「間違いありません。よろしくお願いします」
「薬物投与開始以後、貴殿の生命が如何なる状況になろうと我々は中断も蘇生も一切しない。よろしいですか?」
「…とうに覚悟はできてます。必ず生き残ってみせます」
凛奈は言い切った。強い意志を宿した瞳で。
その後、遺伝子を改良するための薬物投与が開始された。彼女は獣が如く喚き散らす日々を過ごすことになった。




