No.4 胸のでけぇ女が好きなのは分かったよ
「挨拶ぅ?」
コージローはサングラスの奥の目を丸くし、心底意外だと言わんばかりの声を上げた。まるで「教師が挨拶をする」という概念が、この世に存在しないとでも思っているような反応だ。
そのふざけた態度に、黒いスーツを隙なく着こなした男──ファン・ダンテは、呆れを隠そうともせずに小さくため息をついた。
彼は気を取り直すように咳払いを一つする。
「当たり前でしょう。新しく赴任してきた教師が挨拶もなしに学園内を歩けば不審者が歩いてると生徒達に勘違いされても文句は言えませんから」
ダンテの正論に、コージローは露骨に面倒くさそうな顔をした。唇を尖らせ、視線を明後日の方向へ逸らす。その風貌は、教師というよりはチンピラのそれに近い。ダンテはその子供のような態度の男を無視し、傍らに佇む少女へ向き直った。
「ジフさんは先に教室へ戻っていてください」
「はぁい」
ジフは気の抜けた返事をすると、そそくさと校舎の方へ逃げていく。ダンテはその背中を見送りながら、胸の内で密かな感動を覚えていた。
あの手のつけられない不良少女が、素直に大人の言うことに従ったのだ。
同時に、コージローという男への感心が湧き上がると共に、教師として、そして魔法使いとしての自分の無力さが胸を刺す。自分には、彼女を動かすことはできなかった。
「そういえばお前さん、名前聞いてなかったな」
不意に投げかけられた言葉に、ダンテは我に返った。
「あ、自分ですか」
そういえば、名乗ることも、名刺を渡すことすら失念していた。スカウトに必死すぎて、社会人としての基本動作が抜け落ちていたらしい。仮にも大人の魔法使いであり、人にものを教える立場の教師だというのに。
ダンテはバツが悪そうに視線を落とした。
「…ファン・ダンテと言います…」
「えーっと…めげるなよ、これからだぞ」
落ち込みようが顔に出ていたのだろう。教師としては先輩であるはずの自分が、教師生活わずか数時間の男から励まされている。なんとも情けない話だ。
ダンテは強引に気持ちを切り替えた。
「と、とりあえず校舎に戻りましょう、コージロー先生が受け持つクラスDの皆さんに挨拶をしに行かなきゃなりません」
「クラスD?」
聞き慣れない単語に、コージローが首を傾げる。
ダンテは歩調を緩めず、この学園特有のシステムについて説明を始めた。
「リオハイムには学年という概念がありません。入学出来る最低年齢はありますが、年齢関係なく科目の試験やレポートの進み具合でクラスが毎年4月に振り分けられるんです!」
へぇ、とコージローが感心したように声を漏らす。どうやらリオハイムの事を全く勉強せずに赴任してきたらしい。ここで初めて学園のシステムを理解したようだ。
「じゃあ卒業とかはどうすんだよ…」
コージローの問いに自慢げにダンテが答える。
「その科目やレポートを終わらせれば、最速で3年で学園を卒業がすることが出来ます、5年で一定の課題をこなせられなければ留年か、または退学かをその生徒と生徒の親に選択してもらいます」
ダンテは少し胸を張って答えた。
特殊ではあるが、意外と理にかなったシステム。この学園が自堕落になったのは、システム自体のせいではない。しかし、コージローには一つ、どうしても聞いておきたいことがあった。嫌な予感をひしひしと感じながらも、彼は問いかける。
「…もしかすっとだが、そのクラスDってのは」
「言葉が悪くて申し訳ないのですが…いわゆる落ちこぼれのクラスです」
ダンテは深々と頭を下げる。
リオハイムの教師陣では、コントロールすることはもちろん、魔法使いとして教育することさえ困難になってしまった吹き溜まり。それを、賢者とはいえ教師経験のないコージローに一任するのだ。
ダンテの胸中は、申し訳なさと自身の不甲斐無さでいっぱいだった。
「そりゃよかった」
意外な言葉だった。
ダンテは顔を上げる。少し目を見開き、コージローの方を見たまま動きを止める。サングラスでコージローの表情は分かりにくいがとても嬉しそうに笑っている。
「そうでなきゃやりがいが無いよなぁ。俺ぁやるんなら1番になりてぇ性分なんだよ」
ガシッ、とコージローの太い腕が、ダンテの肩に回された。
「ダンテよぉ、簡単じゃあイケねぇよなぁ。物事はよぉ」
コージローはニヤリと笑い、力強くダンテを引き寄せた。至近距離で、サングラス越しの視線が射抜いてくる。
「ムズけりゃムズい程『なり甲斐』があるもんだ。一番になるってのは」
その不敵な笑みに、ダンテも釣られるように笑顔になった。この男となら、この腐りきった学園でも何かが変えられるかもしれない。
ダンテも笑顔で言う。
「難しいかもしれないです」
コージローの動きが固まる。表情も固まる。
え?笑顔でなにをそんな否定的な事を?と。
頭の動きも止まる。
「学園に確認したら副担任には別の教師が当てられるという話になっていまして…サポート出来ないわけじゃあないんですが…直接は難しい、です」
なんだそりゃあ、と思わず声が出るコージロー。
まるで学園側に向上心というか、誠意が感じられない。コージローがこのリオハイムに来たのは、他でもないファン・ダンテの熱心な交渉があったからこそだ。
大きな仕事をしたはずのダンテが、コージローとバディを組まずに別のクラスを担当する?そんな不可解な人事に、コージローの表情が曇る。
リオハイムは「マジックコンペティ」10年連続最下位を回避する為に動いているはずではないのか? 懐疑心が鎌首をもたげる。
「…こりゃあ『上』も相当堕落してるな、まぁ考えてみればそりゃあそう、か」
魔法学園一世一代の晴れ舞台で9年連続最下位になってようやく動く決断力の遅さ、並の学園なら2年連続最下位でもあの手この手で最下位脱出を計るはずだ。
「んで、その副担はどんなヤツだい」
「えっと…目つきが悪くて…黒髪で長くて…胸、胸がでかい、胸がでかいです!!」
ダンテが意外とムッツリである事が分かった瞬間である。
「外見じゃなくて内面だろ!性格だよ性格!!とりあえず胸がでかいってのはメモっとくがよぉ!」
コージロー、ダンテ。共に男の子である。
すいません、とダンテは恥ずかしそうに顔を手で覆う。
「えっと内面は……」
言い淀むダンテに、コージローは呆れたように助け舟を出す。
「…ダンテ、ここにゃ俺らしかいねぇ。ストレートに言ってくれて構わねえ」
コージローのアドバイスもあってか、ダンテが半ば怒りつつ言う。
「…バカでプライドが高い胸のでかいアホな女です!!!!」
言葉を選びながら話していたダンテが口汚い罵倒の言葉でなければ表現出来ない奴らしい。
ダンテがとにかく胸が好きなのは伝わった。
「挨拶ぅ、行くわ…」
二人は互いの健闘を祈る様に、無言で相手の肩を叩き続けた。前途多難な教師生活の幕開けだった。




