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お姫様の妹、醜い悪役の私

 まつ毛を濡らす生ぬるい水滴の感触に、重い瞼を開いた。

無駄に広い部屋特有の澄ました空気が私の鼻を通り抜ける。そして、自分が冷たくて硬いアスファルトの上ではなく、絹のように優しいシーツの上に横たわっていることに気づく。上半身を起こすと、金銀宝石があしらわれた豪奢な部屋が視界に飛び込んだ。壁には金色の塗装で蔓草の模様が描かれて、向かいに置いてある鏡台の上には、色とりどりの香水瓶のようなものが散乱している。こんなにも沢山の光を同時に見るのははじめてで、目が乾いて痛くなるような気がした。


 長い夢を見ていた。

それが、"夢"であっても"夢"ではないのだということに気づくのに、たいした時間はかからなかった。この世界に存在するはずのない発明や、地名が矢継ぎ早に流れ込むのに、私はその全てを当然のように理解していた。

 私が最初の人生を生きていた頃の、そのすべてが夢となって、私の目前に蘇ったのだ。


 その頃、私は水道代もまともに払えないような、貧しい家に生まれた。子供を身篭ったことが判明した瞬間恋人に逃げられて、女手一つで私を育て上げた母は、私が12の時、病にかかって死んだ。灰になった母が収められたツボひとつ抱きかかえて、それまで顔も知らなかった人間の養子になった。そこはおとぎ話に出てくるような大金持ちではなかったけど、東京の中心にある一軒家で、小さいがよく手入れされた庭があった。

 そして、たとえ私が悲劇のヒロインではあっても、シンデレラではないことに気がついたのは、その時からだった。

 その家には私よりひとつ年下の一人娘……里奈がいた。誰もが振り返るほど美しい少女だった。髪の毛一本一本から、つま先に至るまで、すべてが精巧に作られたお人形のようだった。フリルのスカートや、リボンのカチューシャが、まるで彼女のために作られたように存在していた。

 義理の両親は、私を表面上は愛してくれた。衣食住を与えて、渋々といった様子ではあったが、私立中学校の学費も払ってくれた。けれども食卓に上がるのはいつだって里奈の話題だった。私の100点満点のテストよりも、名門中学校の肩書きよりも、美しすぎる実娘の方が彼らにはずっと大切だったのだ。気づけば私は彼女の引き立て役に徹するためだけに、その世界に存在していた。義父母が望むように、親戚の集まりではいつも里奈と並んで座った。彼らは私と里奈の容姿が比較され、血の繋がった娘の方が褒めそやかされるのを喜んでいたからだ。


 これは全て私に課せられた試練なのだと、何年間かは健気に耐えた。私は知らなかったのだ。シンデレラは信じ続けたから報われたのではない。誰よりも美しかったから、王子様に見初められただけなのだということに。


 高校二年生の頃、好きなクラスメイトの男子がいた。

サッカー部のエースで、絵に書いたようなカースト上位の人間だったのに、そういう種類の人々がしがちな、他人を無意識に選別して見下すような感じがなかった。隣の席の彼はいつも、春の日に吹き付けるそよ風のような優しい笑顔で挨拶してくれた。そのたびに緊張して声が高ぶる私にも、「どうしたんだよ」なんて軽く茶化すだけだった。好きだったけど、告白しようとは思わなかった。ただ彼が隣の席にいて、私に笑いかけてくれるだけで、私の身に余るほどの幸せだったのだ。

 そう、彼がただ笑いかけてくれるだけでよかった。それなのに、私はその権利すら持ち合わせなかった。いや、"奪われた"のだ。

 ある朝いつも通り登校したら、隣の席の彼は私に背を向けて窓を眺めていた。ただ外に気を取られて、私が登校したことに気がついていないだけだろうと思ったが、椅子を引いても、カバンを置いても、彼はこちらを振り向きもしなかった。


「おはよう」


それまで自分から挨拶したことは一度も無かったけど、何かがおかしいような気がして、声をかけた。それでも彼は振り向かなかった。明らかに、意図的に私を無視していた。


「な……なんで無視するの?なんか気に障ることした?」


勇気を振り絞って放った言葉は、彼の背中めがけて空虚に跳ね返った。頭が真っ白になった。そもそも私と彼は挨拶しか交わしたことのないような関係で、私に彼の気分を害することが出来るわけはなかったのだ。

それでも、私たちの様子がおかしいことに気がついたクラスメイトがちらちらとこちらを見やるのを気にしてか、彼はやっと振り向いた。彼の羨ましいほどぱっちりとした目が冷たく沈んでいるのを、私はそのとき初めて見たのだった。


「里奈ちゃんが……昨日俺に、泣きついてきたんだ」


彼の口からその名前が出てきた時、私はもっと混乱した。里奈は同じ学校に入学したけれど、学年が一個下で、彼と関わりがあるとは思わなかった。私は動揺して、震える声で聞き返した。


「里奈?なんで?」


「お前。里奈ちゃんを虐めてるんだろ、家で。養子で可哀想アピールばかりして、親の愛情を独り占めしようとして、裏では里奈ちゃんに暴力振るってるって」


「……は?」


彼の口からついて出た言葉は、何から何まで、まったくの嘘偽りだった。どちらかといえば、親の愛情を独り占めしているのは里奈の方だった。それでも里奈が美しく生まれたことに、里奈に責任はないのだから、彼女をなんとか憎まないように生きてきたのだ。


「お前がそんなやつなんて知らなかった。もう俺とは関わるな」


彼はそう言い終えると、また背を向けて窓の方に視線を移した。私たちの会話を聞いていたのだろうか?教室の四方八方から、私を非難するようなざわめきが耳に入った。「里奈ちゃんをいじめてたんだって」「里奈ちゃんが可愛いから嫉妬してるんだろ」「シンデレラのお姉さんみたい」その時に気がついた。彼はわざわざ、私を"罰する"ために、このことを大声で言ったのだ。

 内臓の奥から怒りと混乱が満ちていくのを感じた。わざわざ嘘をついた里奈への怒りと同じくらい、私の言葉を何一つ聞こうともせずに悪と決めつけた彼に腹が立った。教室にいた全てのクラスメイトにも。 私が里奈よりも美しくなかったから、私の言葉は無価値だったのだ。同じ学年でさえなく、きっとそれまで話したことさえなかったはずの里奈の言葉には価値があったとしても。

 だって古くから、虐めるのはブサイクで、いじめられるのは美しい人だから。彼らはその道理が常に正しいのだと、信じて疑わないのだ。


 家に帰るや否や、里奈の部屋にノックもせずに押しかけた。一発殴ってやらなければ気がすまなかった。ベッドに横たわってスマホを弄っていた里奈はまるで、私が来ることをわかっていたかのような飄々とした笑みを浮かべていた。


「なんであんなことしたの?なんで……なんで、嘘をついたの」


私が何を言っているのか、里奈はすぐに理解したようだった。もしかしたらなにか誤解があったのかもしれない。里奈はそんなつもりがなかったのかもしれない。そんな、ほんの少しの希望さえ打ち砕かれた。


「なんでって、気に食わなかったから。お姉ちゃんが幸せそうにしてるのが」


「は?私が幸せかどうかなんて、あんたには関係ないでしょ」


人形のように欠点のない顔。知らなかった。その滑らかな顔に悪意が滲むと、こんなにも恐ろしいものなのか。腹が底冷えするような感覚だった。責めているのは私で、責められているのは彼女のはずだったのに、なぜか、いま刃を向けられているのは自分であるような気がした。


「関係ないわけないじゃん。"悪役"が"ヒロイン"無しに幸せになったらダメでしょう」


「悪役?ヒロイン?何を、言ってるの」


「だーかーら。純情可憐なヒロインには、いつだって嫉妬に狂った醜い悪役がいないといけないの。不幸ぶった義理の姉なんて、まさに適役じゃん?」


里奈の鈴の音のような声が、私の脳内で幾度となく反駁する。

いつの間にか、握りしめた拳から生ぬるい血が流れていた。あまりにも力を込めすぎたせいで、爪が肉を突き破ってしまったのだ。それでも痛みは感じなかった。眼前に広がる現実の方が、そんな痛みよりもはるかにおぞましかったせいだろうか?

 奈落の底に突き落とされたような気分だった。落とされても落とされてもその果てにたどり着くことのない、そういう人生を、私は今生きているのだと知った。いくら健気に生きてみても、少しでも幸せになりたいと願った瞬間、ナイフを向けられる。醜い悪役は、美しいヒロインを差し置いてはダメなのだから。

 怒りに白く霞む視界の中で、妹は笑っていた。誰もが自分のものにしたくなるような、花が咲いたような笑顔。他人の人生を足蹴にしているその瞬間でさえ、あんなに美しいのだ。


私は捨て台詞のように吐き捨てた。


「絶対、あんたよりも綺麗なって、幸せになってみせるから」


その瞬間、まんまと彼女が仕組んだゲームのプレイヤーにさせられたことにも気づかなかった。


 私は高校を卒業すると、自宅から通える距離の大学に進学したのにも関わらず一人暮らしを始めた。じきに彼女が追いついてくるのは知っていた。それでも、同じ屋根の下で何事もなかったかのように暮らすことなど出来なかった。

 大学に通いながらほとんど毎日バイトを入れて、コツコツと整形費用を貯めた。初めは二重の整形をした。異性が少しばかり私に優しくなったけど、満足はできなかった。それだけでは、里奈の美しさにはとても及ばなかったのだ。もっと、もっとしないと。ほとんど友人もつくらず、サークルにも入らず働き詰めて、いつの間にか、考えうる顔中の全ての部位にメスを入れていた。そのうち夜職でも安定した収入を得られるようになった。そのおかげでもっと様々な施術に手が伸びた。

 それでも、どれほど美しくなっても、里奈にはかなわなかった。里奈は一年後、推薦入試で私と同じ大学に入学した。たまに構内ですれ違う度に、私の心臓は砂で擦り合わされたように傷んだ。彼女の、人工物ではない自然の美しさに、私がかなうことはなかった。思えばそれは、ただの自己暗示だったのかもしれない。


 いつからか、マンションの6階にある自室のベランダの縁ギリギリに立ってみることが多くなった。遠い地面を眺めながら、あと一本踏み出せば、私はこの悪夢のような生から逃れられるのかと想像した。それでもいつも実行することは出来なかった。死んでしまったら、身を粉にして美しさを手に入れた私の人生が、どんなに歪で、ヒロインになれなかったとしても努力だけはしてきた私の人生が結局無駄になってしまうのだ。


 そうはいっても結局私はたやすく死んだ。というより、ゴミのような人生を放り投げた。然るべき場所に。

 大学で出会って、初めて出来た彼氏。読書が好きで、映画が好きで、美しいものを純粋に愛せる人だった。彼のくせっ毛の柔らかい髪の毛を撫でながら、もしかしたらこの人なら一途に私を愛してくれるだろうと無意味に信じられる人だった。それで、その期待はあっという間に裏切られた。


 彼と出会って、夜職から足を洗った私は毎晩遅くまでバイトしていた。彼は大学院への進学を目指していたので、2人で住むアパートの家賃はさしあたり私が負担するという約束だったのだ。その日も夜遅くから居酒屋で声を張り上げていたら、突然店長から呼び出された。いつもなら朝までシフトが入っていたののだが、今日は客が少ないのでもう帰っていいとぶっきらぼうに伝えられた。どう考えてもいつもより少ないなんてことはなかった。多分、私が連日働き詰めでいつ倒れてもおかしくない様子だったので、見かねた店長の優しさだったのだろう。

 店長の頑なな様子に、私はあまんじて帰宅することにした。終電が過ぎてやむを得ず捕まえたタクシーを降りてアパートを見上げたら、部屋に明かりがついているのが見えた。私の彼氏は、私を寝ずに待ち続けるような人ではなかった。そんなはずない。有り得ない。エレベーターも待たずに階段をかけ登る間、自分に言い聞かせながらも、心のどこかでは予想していた。

玄関に靴を脱ぎ捨てるようにして寝室へと向かった。寝室のドアを勢いよく開け放つと、シーツの上に彼と、案の定予想していた人物が横たわっていた。


「言ったでしょ、"お姉ちゃん"?」


まるで、私がバイトを早く上がることさえ見越していたかのような表情。あの時と全く同じだった。あの時、私を地獄へ突き落とした時と、全く変わらない。美しくなるために、どれほど金と時間を投じても、私はいつでも彼女のゲームで負け続けている。


 怯えた様子の彼が、私と妹を交互に眺めやった。あんなに愛していたはずの顔が、どうしてこんなにも憎いのだろう?私はこうやって結局、他でもない彼女によって、人生が憎しみに塗り替えられていくのだろうか。

 もはや生きている意味などなかった。私の人生は最初から、こんなふうに運命づけられていたのだ。2人が寝そべっているベッドを通り過ぎて、寝室の窓を開け放った。ベッドテーブルの上に足をかければ、柵を乗り越えるなんて容易い。せめて死ぬ瞬間は、悲劇のヒロインになってみよう。


「里奈……ありがとう。醜くて、不幸ぶっているだけの私の人生をこんなふうに、飾ってくれて」

カーテンレールに捕まりながら、柵の上に両足をかけた。瞼をつぶった。人生への執着なんて無いのに、涙がこぼれた。お母さん、今すぐ会いに行くね。母の遺骨を納めたペンダントのネックレスを肌身離さずつけていたお陰で、なぜだか母に守られているような感覚だった。


 3.2.1。手を離した。体が宙に放り投げられた瞬間、私ははじめて自由になれたのだと思った。なにかが私の手に触れるまでは。

 手の甲に、なにか柔らかいものが当たったような気がした。目を開けたら、そこには微笑みを浮かべた里奈が、逆さまになって私と空を飛んでいた。


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