4 意識の高い原生生物がKawaii
「レジは大体こういう感じです。これで大体の業務は教えましたかね。大丈夫そうですか?」
アキが西湖に業務を教えている。彼女は本当に優秀で助かる。すぐにでも店長になれるだろう。
そうしたら私はどうなるのか……考えるのはやめよう。
「そうですね。8割くらいですね」
「8割も覚えれば上等ですよ!」
アキは笑顔で答える。西湖は真顔で首を振る。
「いえ、8割忘れました」
「……冗談がお上手ですね。確か芸人さんなんでしたっけ?」
「ははは、嘘です。すみません。2割は覚えました!」
「一緒じゃないですか!?はぁ。まぁ分からないことがあったら、また聞いてください。あっ店長には聞かないでくださいね」
アキは私を指差してそう言った。別に私に聞いてくれても一向に構わないのだが。
「やっぱり師匠は忙しいんですかね?教えてもらいたいんことがあるんですが」
「いや、そういうのじゃなくて。師匠じゃなくて店長だしね。とにかく、ややこしくなるのでやめてください。ちなみに何が知りたいんですか?」
なるほど。私に聞くとややこしくなるらしい。ややこしい……辞書で調べなければ。
「それはもちろんサイコパワーについてです!」
西湖は顔の前で人差し指を立てて大声で宣言する。
「また、香ばしいアルバイトが入ったなぁ」
会計を済ませたのにその顛末をずっと見ていたオスはそう言った。先日の意識の高い肥満体型のオスだ。順調に脂肪をため込んでいる。良かった。その後、特に副作用などはないようだ。このままいけば、すぐにでも先日と同じ体型になれるだろう。
「まだいたの?」
アキの目つきが鋭くなる。このオスに対して敵意があるらしい。
例の件の記憶はなくなっているはずだが、潜在意識には残っているのかもしれない。このオスとはコンビニで最初に会った時から会話が活発に行われた。いや、会話というより口喧嘩というのだろう。
私も他の客と似たような状況になることがある。アキと異なり私にはまったく敵意はなくむしろ愛着があるのだがそういう場合、その客は二度と来店しないことが多い。
しかし、このオスは定期的に来店していて、ほぼ毎回アキと口論になる。原生生物は明確に敵意を向けられた方が、反射的に好意を持ってしまう習性があるのだろうか。なんという矛盾。Kawaii。
「お客様に対してその態度は、新人の教育に悪いんじゃないか?」
「相手がお客様ならね」
「お客様じゃないんですか?」
西湖は不思議そうに首を傾げた。その疑問は尤もだ。私も同じことを思った。このオスは客であることは間違いない。それも売上にかなり貢献している上客だ。
「買い物が済んで無駄話をする人はお客様ではありません」
「はぁーそうなんですか」
「店長さん、従業員がこんなこと言っているんですがいいんですか?」
オスはやはり意識が高いらしい。自分が経営しているわけでもないのに、このコンビニの心配をしている。
「君は確かに大切なお客様だ」
私は事実を述べただけなのに、なぜかアキに睨まれる。
「店長! でも仕事の邪魔をされているんです。カスハラですよ」
「おお、今話題の奴ですね」
このオスの固有名はカスハラだったか? 漢字では春原とでも書くのか?
オスが自ら名乗ったことはないと記憶しているが。西湖も知っているということはそれなりに有名なのかもしれない。名を聞いてみれば解決するだろう。
「君の名前はなんだったか?」
「え? なんでですか?まさか店長さんまで俺を迷惑客扱いするんですか?」
「私は名前を聞いただけなんだが……それともやはり君はカスハラなのか?」
「ち、違いますよ。俺はシノダです。信じるに太いと書きます。珍しい漢字でしょう?」
なぜか信太と名乗ったオスは”太い”の部分を強調してそう言った。表情も自慢げだ。
しかし、カスハラは人名ではないらしいが電子辞書で引いても出てこない。また新しい言語か。原生生物はすぐに言語を作り出すから、アップデート機能のない辞書では追いつけないかもしれない。新しい辞書を探さなくてはいけないな。
「名は体を表すとはこのことね。丸々太った立派な体をお持ちでうらやましいわ」
「はっはっは、そうだろう。もっと褒めてくれ。太さを信じる。かっこいいだろう?」
信太は胸を反らせて誇らしげな顔をしている。その様子を見て、西湖はアキに耳打ちした。信太には聞こえないだろうが、私には聞こえている。
「今の皮肉ですよね?」
「……あの人、太ってることに誇りを持っている変人なのよ。太っていると言うと喜ぶから、困ったらそう言っておくといいわ。ストレス発散になるし」
「じゃあ、俺はこの辺で失礼するよ。早く帰って、これを食べてなくてはいけないからな!」
褒められて満足したのか、信太はそう言って袋いっぱいに買った食料を掲げて退店していく。今までの会話の目的は一体なんだったのか……意味もない会話を繰り返す原生生物はKawaii。
退店したと思ったら、信太は血相を変えて店に駆け込んできた。その勢いで彼の持っている袋からいくつかのカップ麺が床に転がり落ちる。
「て、店長、大変だ! 店の外で人が倒れている」
「そうか」
私は転がり落ちたカップ麺を拾い、信太に渡しながら相槌を打った。
この地域の治安は比較的安定していて、そう簡単に原生生物が野垂れ死ぬということは無いと認識していたが、彼らは私の想定を遥かに超えてくることを何度も経験している。コンビニの前で人が倒れているということもあり得るのだろう。
私が勝手にそう解釈しているとアキと西湖も冷静さを失った声で私を非難する。
「そうかじゃないですよ、店長! なんでそんなに平然としているんですか。様子を見てきてくださいよ!」
「も、もしかして師匠のサイコパワーが悪い影響を与えちゃったのかも!」
「……よく分からないが、様子を見に行けばいいんだな?」
私は二人に言われるままに店の外に出ていく。
コンビニの店長というのは、なかなかにやることが多い。これを日々こなしている原生生物は尊敬に値するのかもしれない。