3 嘘も方便な原生生物がKawaii
肥満体形のオスが叫んだ後、数秒間、静寂が店内を支配している。アイスなどを陳列している冷凍庫の稼働音すら聞こえてくるほどだ。
「何とか言えよ!」
静寂に耐えかねたのかオスが再び叫ぶ。天敵は死角でいつでもオスを無力化できるように身構えている。
何をそんなに神経質になっているのか。彼はまだ大きい声を出しているだけだ。音量の調整に不慣れなだけかもしれない。そんな初々しい可愛らしさを楽しむ余裕が無いのも天敵の悪い所だ。
「私は質問の回答を待っているだけなんだが、君が答えてくれないので待っていた。ちなみにそんなに大きな声を出さずとも聞こえているから大丈夫だ」
「質問!?」
どうやら本当に音量調整が苦手らしい。センサーの感度を少し下げよう。
「ああ、聞こえていなかったのか。君はストーカーなのか? と質問した」
「はっ! 俺が否定したところで、決めつけるんだろう? 俺がデブでブサイクでキモい奴だから! ルッキズム万歳なんだろ?」
「なるほど……デブでブザイクでキモい奴だとストーカーなのか。うーむ、だとしともデブでブサイクでキモいかどうかの判断基準がよく分からない。どうも容姿の美醜というのはよく分からない概念でな。君は自分自身をデブでブサイクでキモいと認識しているのか?」
「そう言ってるだろ!」
「分かった。では君をデブでブサイクでキモい原生生物のサンプルとして認識しよう。ちなみにそれは嫌悪すべきことなのか? 君は自己嫌悪に陥っているように見えるが」
私は率直な疑問をぶつける。デブでブサイクな下等生物 を原生生物はkawaiiと形容するのに、なぜ同種だと嫌悪するのだろうか。不思議でならない。
「……なんだこいつ、キモいな」
また急に音量が小さくなった。私を撹乱する高度な戦略なのだろうか?
「なるほど、私もキモいという点は該当するんだな?」
「……聞こえてたのかよ」
「ただ、私と君ではあまり共通点がないようだがどういうことだろうか?」
デブでブサイクでキモいオスは頭髪を掻きむしる。
「どうだっていいだろ、そんなこと。アンタ、一体何が言いたいんだ」
「確かに本題からズレていたな。すまない、原生生物に興味が尽きなくてな。つまり、君はデブでブサイクでキモくはあるが、ストーカーではないということなんだな?」
「アンタに言われるとムカつくけど、その通りだよ。断じて俺はストーカーじゃない!そんな卑劣なことはしない」
「そうか、分かった」
「ほら、見ろ!疑……今、なんて言った?」
どうやらこのオスの聴力は時々悪くなるらしい。不憫なことだ。Kawaii。
「君はストーカーではない事が分かった、と言った。時間を取らせてすまなかったな」
私はペットボトル飲料のバーコードを読み取って会計処理をする。
食料や飲料を購入する原生生物を見るとつくづく思う。我々は恒星からのエネルギーさえ一定量吸収できれば活動を維持できるが、原生生物は生存のために色々やることが多くて大変だなと。
生存に必要な物質は買わなければいけない。買うためには労働などの対価を払わなければいけない。生存のために労働しているのか、労働のために生存しているのか、分からなくなっている個体も多いとサオリから聞いたことがある。
そんなジレンマを抱えた彼らが愛おしくて堪らない。このオスもそんな一人なのだろう。
「どうした?決済手段を選んで決済しないと買い物は終わらないぞ」
そう促しても真っ直ぐこちらを顔を見つめて、画面に一切タッチしないオス。
なんだ、君も私のサングラスが気になるのか?眩しさ防止の別の方法を考えた方が良いかもしれないな。
「なぜ信じるんだ? 俺みたいな奴のことを」
「信じる?よく分からないが、君がストーカーじゃないと言うなら、そうなんだろう。もしかして言い間違えたのか?」
「いや、言い間違いとかじゃなく……その……嘘だと思わないのか?」
嘘。
ああ!そんな習性もあったな、そういえば。
不合理すぎて意味が分からないが、原生生物同士で交流する際に、あえて事実ではない事を伝えるという。
それでは情報伝達の意味が無いと思うのだが、サオリ曰く嘘がある方が交流がうまくいく事が多いらしい。嘘も方便とかいう言葉もあったな。
そもそも言語自体が多様なのに、同じ言語でも地域ごとに細かな差異がある『方便』という概念が厄介だ。
そこに嘘という私の価値観では明らかに異質な概念を混ぜられると流石にKawaiiを通り越して少し頭が痛くなる。
なぜ、そこまで複雑にするのか?複雑な事に美徳を感じるというのか?
いや余計なことを考えるのは止めよう。原生生物の深みにハマると私も天敵のように原生生物と同化してしまうかもしれない。
まあ、このオスが嘘かもしれないというなら確かめた方が良いのだろう。
「では、聞くがさっきのは嘘なのか?」
「嘘じゃない! 俺は騙されただけだ」
「そうか。じゃあ会計をしてくれ」
やはり、意味が分からない。嘘じゃないなら、わざわざ嘘かもしれないと言及する必要がないだろう。
デブで(略)はまたキョトンとしている。確か豆が鳩鉄砲喰らった顔というのだったか?……なんか違和感があるが今は無視しよう。
「俺を信じてくれるんだな?」
「君の回答を受け入れる事が『信じる』ということなら、そうだろうな」
デ(略)は黙り込む。今度こそ腹痛だろうか?トイレはあちらだぞ、と言いかける前にデ(略)はゆっくりと適正な音量で話し始めた。やっと音量調整に慣れてくれたのか。
「……初めてだよ。俺の言う事を何も疑わず、鼻で笑わず受け入れてくれた奴は。アンタ、変な奴だけどイイ奴だな。なあ聞いてくれ。アンタなら話が分かる気がする」
いや、それはとんでもない人選ミスだぞ。そもそも私は人ではない。そんな初歩的なミスをするのはKawaiiと思うがな。
それにしても、私の擬態はどこか問題があるのかもしれない。多くの原生生物に変だと思われてしまう。
「君が会計をしてくれるまで、私はここから動けない。だからー」
「じゃあこのまま話す。他に客が来たら中断するからさ」
まあ良い。これもまた原生生物の生態を知る良い機会になるだろう。
「好きにしたらいい。ただ、会計はしてくれ」
「ああ、もちろん!俺はな……その……いよいよ話すとなると恥ずかしいな」
ああ、Kawaii。自分から話すと言っておいて恥を感じる不合理さ。
「そのなんだ……マッチングアプリを使っているんだよ」
マッチングアプリ。それは知っているぞ!
サオリから聞いた事がある。
「なるほど。繁殖相手を探しているんだな?」
「そんな邪な考えじゃない!なんだよ、繁殖って」
「繁殖相手を探すのは良くないことなのか?種として当然の行為だと思うが」
思わず「我らには不要な行為だが」と口走りそうになって思い留まる。天敵の言う事に従うのは癪だが、Kawaiiを堪能するためには私が宇宙人だとバレない方が良い。
「いや、言い方がまずいんだって。繁殖相手じゃ生々しすぎるだろ。ヤリモクっぽいし。人生の伴侶というかパートナーというか、そういう存在を探しているんだよ」
ヤリモクという言葉が気になったが、話が進まないので今は黙殺した方が良いだろう。言っていることは良く分からないが、どうやら繁殖が目的ではないのかもしれない。
マッチングアプリは交尾の相手を探すアプリだと認識しているが、誤っているのだろうか。
「では、交尾はしたくないということか?種の繁栄を考えると非常に理解しがたいが、君達の文化ではそういうこともあり得るとは聞いた事がある」
「交尾……アンタ、やっぱり変だな」
「そうか? 貴重な意見感謝する。改善するよう努めよう。で、交尾はしたくないのか?」
「いや、それは……」
オスは目を逸らす。
そんなに難しい質問ではないと思うのだが。
原生生物は時折、思考能力が格段に落ちる時がある。一体どういう脳の構造をしているのだろうか。そんな生態に興味・愛着が溢れ出てくる。
「答えられないのならそれでいい。さあ、会計をしてくれ」
「したいか、したくないかで言ったらそりゃしたいさ! 言わせるなよ、そんなこと」
「そうか、ではやはり繁殖相手を探しているのだな」
「もうそれでいいよ……」
「それで、相手は見つかったのか?」
「ああ、一応マッチはしたんだ。それで今日会ったんだけど、その後が問題でさ」
オスは興奮気味だ。音量がまた少し大きくなっている。
「交尾できなかったのか?」
「いや、何度も言うけどいきなりヤるようなゲス野郎じゃないよ、俺は」
「じゃあ、何が問題なんだ?」
「なんと美人局だったんだ」
ツツモタセ?
知らない言葉だ。私が持っているこの星の情報から推測するに、言葉の響きから節足動物……昆虫あたりの一種だと思われる。
「君は昆虫と交尾できるのか?」
「……わざと言っている? ちょっと意味不明すぎるんだけど」
ガタンっ。
事務室から大きな音が聞こえてきた。
どうやら、事務所に居たメスが通用口から出ていったようだ。そこはスタッフ専用だと注意をしなければいけない。
「アイツ、やっぱりここに居たのか!!」
デブでブサイクでキモいオスはそう叫ぶと、その重量に見合わない俊敏な動きで退店していった。
……会計済ませてないじゃないか。
それを追いかけて天敵も出ていく。
仕方ない。擬態個体をもう一つ生成し店番を任せて、彼らを追いかけることにしよう。
メスに出口の注意とオスに会計の催促をしなければならない。
私は雇用されているだけとはいえ、店長なのだから。