episode2-12 ナンパ
非常に難解な数式を前に内心で頭を抱えていた俺は、キンコンカンコンという四限目終了のチャイムを聞いて大きく脱力した。
今日は通常の時間割とは異なり、午前中は臨時の全校集会とLHRで半分が潰れ、残りの半分は英語表現と数学の授業となっていた。
全校集会では全生徒たちの前で桜ノ宮・委員長と共に表彰を受け良い気分だったし、LHRも大した内容ではなかったため半ば聞き流していたのだが、後半は苦手科目の連続でかなり脳が疲労した。しかもここから更に午後は古典と世界史、物理が待っている。休校明けだってのにいきなり飛ばし過ぎだろ。
ともあれ、腹が減っては何とやらだ。飯にしよう。
これまで昼休みのほとんどは睡眠に費やしていたため随分とご無沙汰だが、咲良第二高校には食堂がある。
過密スケジュールから解放された今、眠気もそれほどないし久しぶりに行ってみるのも良いだろう。
「あれ、氷室くん。今日は自分の席で食べないんですか?」
「珍しいねー」
席を立ったところで、ちょうど教室を出て行こうとしていたらしい委員長と大崎から声をかけられた。
「たまには学食にでも行こうかと思ってな」
「あははっ、いっつもこの時間は眠そうなのに今日はしゃきっとしてるね!」
「奇遇ですね。私たちも今日は食堂にするつもりなんです。良かったら一緒にどうですか?」
別に俺は構わないが、大崎は良いのだろうか。
俺とこいつはあんまり絡みないぞ。
「んあ? 私は全然良いよ」
「そうか。じゃあ一緒に行くか」
俺の視線に気づいた大崎は親指と人差し指で輪っかを作り笑いながらOKと示してきた。
「入学したての頃に何回か行ったくらいだけど、なんかメニュー変わったか?」
「日替わり定食は結構変わってますよ。他はそうでもないですね」
「相変わらず安くてそこそこ美味しいよ。学生の味方だね」
……今朝から思ってたんだが、なんか大崎の距離感が前と違うっていうか、妙に馴れ馴れしいな。委員長と絡んでる時は前からこんな感じだったけど、俺とはあんまり話すことはなかったはずだが。
「なあ、大崎ってそんな感じだったか? あんまり話したことないよな?」
「えー? そりゃだって、氷室くんって何かとっつきにくいっていうか、俺に関わるなって感じの雰囲気だったから」
「そうか?」
「そうでしょ。いっつも机に突っ伏して寝てるし、ほとんど話しかけるチャンスなかったもん」
あー、言われてみればそうか? 休み時間は移動教室じゃなければ基本仮眠をとってたし、たまにスケジュールに余裕がある時の昼休みなんかは美月が遊びに来てクラスメイトが話しかけられるような状況でもなかったか。
「でも今日は誰でもウェルカムって感じで話しやすいね。あと今の氷室くん可愛いから親しみやすさは全然違うかなー」
「はっ、元は強面で悪かったな」
「それもそうだし、すぐ堀口と喧嘩しようとするじゃん? 沖嶋くんにも突っかかるし、りりちゃんとも仲悪いし、なーんか治安悪い雰囲気だったんだよね」
治安悪い雰囲気ね。まあ、売られた喧嘩は買う主義だし暴力沙汰に無縁ってわけでもないからあながち間違いでもないな。
「大崎の言い分もわからなくはないけどよ、だったら見た目が変わったくらいで俺への印象が変わるもんか?」
「わかってないなー氷室くんは。可愛いは正義なんだよ? 可愛ければ治安悪そうなところも魅力の一つになるんだから」
「そういうもんか」
だとすると容姿の力ってのは偉大だな。こんだけ悪い印象があっても可愛いってだけでここまで歩み寄られるもんなんだな。
「あ、でも勘違いしないでね。たしかに氷室くんは凄く可愛くなったけど、私はみーちゃん一筋だから。ねー、みーちゃん!」
「あんまりベタベタしないで下さい」
大崎は猫撫で声をあげて唐突に隣を歩いている委員長に抱き着き、委員長は慣れた手つきで大崎を引き剥がす。
女子は男子と違って友達同士のスキンシップが多いイメージがあるが、これがそういうことか。
というか委員長、大崎にたいしては若干塩対応なんだな。親しいがゆえにというやつか。
「外見的な要因もあるかもしれませんけど、氷室くんが命をかけてみんなを助けたという事実も大きいと私は思いますよ」
「別に学校の連中を助けるためにってわけじゃねーけどな」
「理由はどうあれ、氷室くんが多くの命を救ったという結果は変わりませんから」
俺だって面と向かって、お前らのためにやったわけじゃない、なんてツンデレムーブをかますつもりはない。
助けられた側からすれば、俺にどういう目的があったかなんて関係ないだろうしな。鷹揚に構えて礼は受け取ってやるまでだ。
「そういえば氷室くんは、お手洗いや更衣室はどうする予定なんですか? まさか男子に交じってとは言いませんよね?」
「そういうのはマニュアル化されてるらしくてな。教員用のを使わせて貰えるらしい」
「そうですか、少し安心しました。男女で別れる授業はどうなるか聞いてますか? 体育とか」
「女子の方って聞いてるよ。身体能力は完全に女だからな」
そんな雑談をしながら歩くこと数分。
食堂に近づくにつれて徐々に人通りも多くなってきた。
「……なんか見られてるな」
最初はあまり気にしていなかったが、周囲に人が増えたことで気が付いた。
別に視線を感じ取ったとか、第六感が目覚めたとかそういう話ではない。
そこらを歩いてる生徒たちがあからさまに顔や視線をこちらに向けて来るのだから流石にわかる。
「そりゃ今話題の三人の内二人が並んで歩いてるからねー」
「全校集会で顔を覚えられてしまったみたいですね」
「そういうことか。なんなら桜ノ宮も誘っとけば面白かったかもな」
三人が一堂に会して飯を食ってたらさぞや注目されて面白おかしい噂の一つや二つも流れたかもしれない。
「食堂はもっと生徒多いだろうし落ち着いて食べれないかもね」
「他の利用者にも迷惑をかけてしまいそうですし、購買で何か買って別の場所で食べましょうか?」
「ははっ、人気者はつれーな。俺はどっちでも良いぞ」
ジロジロと見られちゃいるが、この視線は悪意から来るものじゃない。
感謝や尊敬、あるいは好奇心なんかがほとんだだろう。
耳を澄ませてヒソヒソ話を聞いてみれば、「俺あの先輩に助けて貰ったんだ、いいだろ」「あんな中学生みたいな子がダンジョンを踏破したの? やば~」「先輩、ダンジョンでは格好良かったけどこうして見ると美人だよな~」「おい、お前ちょっと連絡先聞いてこいよっ」などという声が聞こえてくる。
「やあ、凪ちゃん。初めまして」
「あ? 誰だお前?」
食堂に隣接している購買へ向かいがてら生徒たちの噂話に耳を傾けていた俺は、背後から肩を軽く叩かれて声をかけられた。
振り返ればそこには見知らぬ男子生徒がおり、なにやら爽やかな笑顔を浮かべている。
「あれ? 俺のこと知らない? 校内じゃそこそこ有名なつもりだったんだけど」
「知らん」
元の俺ほどじゃないが背はそこそこ高く、髪はブラウンのセンターパート。それ以外に特徴らしい特徴は無い優男……、後は顔が多少整ってるってことくらいか。
俺はホルダー以外の生徒のことはほとんど覚えてないから、こいつが同学年なのか、先輩なのか後輩なのかすら知らない。
そして俺が知らないということは、無能力者か、もしくは異能を隠してるかのどちらかということだ。
「どしたん氷室くん? って、愛川先輩じゃん」
「大崎の知り合いか?」
「や、知り合いではないけど有名人でしょ。咲良第二高校三大イケメンの一人、三年の愛川先輩だよ」
知らねー。なんだそのくだらない称号は。今時三大イケメンて。
てか、多少顔は良いかもしれんが、これだったら沖嶋の方がイケメンじゃないか?
「ちなみに残り二人の内一人は沖嶋くんですよ」
「委員長まで知ってるのかよ。で、愛川先輩? でしたっけ? なんか用すか?」
「お礼を言っときたくてさ。ほら、こないだのダンジョンアサルト。俺も巻き込まれてたんだけど、誰とも合流できなくて超不安だったんだよね。でも凪ちゃんのお陰で助かったから」
「そりゃ良かったですね」
朝に色々呼び止められたりプレゼントを貰ったのと同じだな。
どうも、ダンジョンアサルトに巻き込まれた被害者の中でも委員長が回収出来てなかった生徒は俺への感謝が強いらしい。中には崇拝しているのかというレベルで拝み倒して来た奴もいたからな。
この愛川とかいう三年生もそういう類いだ。いきなり下の名前でちゃん付けとは馴れ馴れしい上に若干気色悪いけどな。
「いや、マジでめっちゃ感謝してるんだよ? ちゃんとお礼したいから、今度エスコートさせて欲しいんだ。行き先と日程の調整したいから連絡先交換しようよ」
「そんな暇じゃないんで別にいらないっすよ。感謝してるのはわかりました」
「それじゃ俺の気が済まないんだって。ほんと凪ちゃんの予定に全部合わせるからさ? ね?」
鬱陶しいな。バイトは減ったとはいえ、平定者を目指すための努力は一日たりとも欠かすことは出来ない。暇じゃないというのは遠慮などではなく紛れもない事実だ。
「氷室くん、これナンパです」
「てか先輩、氷室くんは男子ですよ? その辺わかったうえで言ってるんですか?」
「え゛っ!?」
コソコソと委員長が耳打ちしてくるのと同時に、大崎の発言を受けた愛川とやらが驚きの声をあげる。
こいつ、マジで俺が男ってことを知らなかったのか。つーか今のナンパだったのか。
しかしまあ、ちょっと確認すればわかることではあるが、あの全校集会で俺の名前と顔を覚えただけの生徒なら確かに俺が男だってことを知らないのもあり得るか。別に俺は元から有名人ってわけでもないしな。
「……マジ?」
「2-Cの氷室凪だ。今は特異変性の影響で女になってるけどな、元は男だぞ」
先輩だから一応敬語を使っていたが、こんな脳と下半身が直結してそうな輩に払う敬意はない。
「なーんだ、そういうことなら早く言ってくれよ。色々考えて損したぜ」
「お前が勝手に勘違いしたんだろ。つか寄りかかってくんな、重いんだよっ」
俺が男だということを知った途端、雰囲気が変わって更に馴れ馴れしく肩を組んで体重を預けるようにもたれかかって来た。
「んー、でも胸はある。小っちゃいけどな」
愛川は肩を組む際のドサクサに紛れて、肩越しに回した手で俺の胸を軽く揉みそんなことをのたまいやがった。
「触んなボケ!」
「えー、良いじゃん男同士減るもんでもないし」
強引に振り払って悪態をつくと、愛川は悪びれもせずにそう言った。
まあ実際のところ俺はそこまで気にしちゃいないし確かに減るもんでもないと思うんだが、美月が嫌がる。
「次にセクハラしたら殺す」
「あはは、じゃあ今日はもうやめとくよ。感謝してるのは本当だから、凪ちゃんに嫌われたくないし」
「しっし」
愛川はけらけらと笑いながら俺たちが来た道の方へ去って行った。
「とんでもねー野郎だ。ほんとにあんなのが三大イケメンとかいう奴なのかよ?」
「んー? 元々軽い感じで真面目な子には受け悪かったけど、あそこまで距離感バグってる人ではなかったような……」
「大丈夫でしたか氷室くん? まさかあんなことをするとは思わなくて、止められなくてすみません」
「別に委員長は悪くないだろ。にしても、女ってのも面倒だな」
あんまり深く考えてなかったが、ああいうタイプの男に絡まれることもあるわけだ。美月が口を酸っぱくしてあれこれ言って来たのも今ならわかる気がするな。




