episode2-8 湯上探偵事務所
各種手続きや桜ノ宮との調整、異能の検証など、慌ただしくしている内に休校期間はあっという間に過ぎていき、とうとう明日から学校再開だ。
これまでは学校なんざ魔術大学に入るまでの通過点程度にしか考えていなかったが、今は学校に行くのが待ち遠しいと思うほどに気分が高揚している。
目標を達成するのは一筋縄ではいかないだろうが、その過程も含めて楽しみだ。
ただその前に、最後に一つやっておかなければいけないことがある。
俺は高校入学からほぼ毎日のようにバイト漬けの日々を送っていたわけだが、冒険者になったことで魔術師への道は絶たれたためバイトを続ける理由がなくなった。金銭面で困ることも当分はないだろうしな。
そういうわけでここ数日、掛け持ちしていた複数のバイト先に顔を出し、代わって貰ったシフトの穴埋めや辞める旨の連絡をしていた。月末付近ということもあり幸い来月のシフトを提出する前だったため大きな迷惑をかけることもなく、ほとんどは円満に送り出して貰うことが出来た。見た目の変化にはそこそこ驚かれたけどな。
そして今日、残り一つとなったバイト先に臨時でシフトに入って欲しいと頼み込まれ最後のバイトをする運びとなった。どちらにせよこの最後のバイト先には別の用事もあったからちょうどいい。
「にしても、やっぱわかりづらいよなぁ」
駅から徒歩20分ほども歩いたところにある雑居ビル群の一角。
中でもひときわ古びた小さなビルの3階に構える地味な事務所が、俺の主なバイト先である湯上探偵事務所だ。
表には看板を出しておらず、入口の扉にお手製感満載の表札が吊り下げられているだけ。
インターネットのHPは存在するため住所や電話番号はわかるが、内容は長らく更新されていない。
たま~にそれを見たお客さんから電話が来ることもあるが、宣伝不足なせいか基本的には閑古鳥が鳴いている。
「おはよーございまーす」
そんなやる気があるんだかないんだかわからない事務所のドアをいつものように開くと、中には三つの人影があった。
「いらっしゃ――あぁ、氷室くんですか? ニュースは見ましたが、本当にまあ可愛らしくなってしまって」
艶のある黒髪をオールバックにした褐色肌の女性が、お客さん向けの営業スマイルから身内向けの柔らかい表情に切り替えて話しかけてきた。
俺の元の姿にも負けない高身長でありながら華奢な体つきでスタイルがよく、パリッとした黒スーツがよく似合っている。
「どうも、久しぶりですねショウさん」
彼女は湯上ショウ。この湯上探偵事務所で主に外部への窓口や広報、内部事務などを担当している事務員さんだ。バイトの採用やら教育やらも一任されているらしく、バイトを始めたばかりの頃、基本的な仕事はショウさんから教わっていた。
そういう経緯もあってこの事務所の中では一番親しい相手であり、ダンジョンアサルトに巻き込まれ冒険者になったことや、特異変性の影響により姿が変わってしまったこと、金銭的な問題はなくなったためバイトを辞めることは全てショウさんを通して話している。
「二人とも、話しておいたでしょう? このお嬢さんが氷室くんですよ」
ショウさんの背後に隠れてフシャーと威嚇の声をあげている黒髪ボブカットの少女が湯上マオ。
さらにその後ろで震えながら恐る恐るこちらに視線を向けている黒い短髪の少年が湯上レツ。
そういえば初めて俺がこのバイト先に来た時もこんな反応だったか。
外見的にはマオは高校生程度、レツは小学校高学年程度に見えるが、どちらも学校には通っておらず現場の実働隊として働いている。
以前社長に児相とかが来るんじゃないかと話したことがあるのだが、ウチは訳ありだから大丈夫なんて言って気にも留めていなかった。
多少気にはなったが、別にマオもレツも学校に通いたいという気持ちはないらしく、外野が口出すことでもないかとそれ以上の追究はしていない。
「うお、なんだよ?」
「……匂いが違う」
ショウさんの言葉を受けて、黒い猫耳猫尻尾が特徴的なマオが俺に近づき、すんすんと匂いを嗅いでから再びショウさんの後ろに隠れて冷たい視線を向けてきた。
「特異変性で性別が変わっちまったんだよ。そりゃ匂いも変わるだろ」
そんな俺の言葉に納得したのかしてないのか、マオはわざとらしくフンっとそっぽを向いた後、事務所のソファの上に寝転がり膝を抱えて丸くなりスマホを弄り出した。
「ったく。レツ、お前のビビりは相変わらずだな。最近はマシになったと思ってたけど、俺の気のせいだったか?」
「だ、だって、凪くん、いつもと全然違うんだもん……」
下手にちょっかいかけても余計に機嫌を悪くするだけなので、マオは放置してレツへと話かける。
レツは初めてあった時から異様に怖がりで、いつも何かに怯えているようにオドオドしている。それでも最近は、少なくとも俺が一緒に居る時はここまでひどくはなかった。
「男がそんな小さいことでうだうだ言ってんじゃねぇ! ホラー耐性強化合宿の日々を思い出せ!!」
「ひぃ! 怖いこと言わないでよぉ! 思い出したら寝れなくなっちゃうじゃんっ! でも、ほんとに凪くんなんだね……」
レツはレツなりに自分のビビりを克服しようと、苦手なホラー映画に挑戦するという修行を行っていた。ただし夜に見るのは怖すぎるらしく、日中仕事がない時かつ事務所に誰かが居る時に限ってだった。
そんな甘っちょろい修行を見かねた俺が以前この事務所に泊まって夜通し一緒にホラー映画鑑賞会を開いたのだが、あまり効果は得られず、むしろトラウマが出来たとでも言うようにレツからは非難を受けている。
「だからそう言ってるだろ。ショウさん、もしかしてみんなまだ信じてない感じですか?」
「いえ、この二人はまだ幼い部分があるのでそのせいでしょう。社長たちはちゃんと認識していますよ」
「ならいいんですけど。そういや今日社長は?」
「いつも通り放浪中ですよ。帰りの予定は聞いてませんね」
ショウさんはやれやれとでも言いたげに肩を竦めて両手をあげた。
相変わらず芝居がかった仕草というか、如何にもなジェスチャーをする人だ。
この事務所のボスである社長はふらりといなくなって数日帰って来ないということが度々ある。ある時は遠い地のお土産を片手に帰ることもあれば、ある時はひどく困った様子の依頼人を連れてくることもある。旅行なのか営業活動なのか、はたまた特定の目的はなく成り行きに任せているのか、詳細は不明だ。
「ちなみにイブはライナーと一緒に浮気調査の最中です」
「マジすか? ライナーさんには向いてなくないですか?」
「元々は氷室くんにお願いするつもりでしたが、今後はそうもいかなくなるでしょう? 次の子もいつ決まるかわかりませんし、出来ることは増やしていかないといけませんからね」
「確かに、それはそうですね。じゃあ今日の俺の仕事は?」
基本的にこの湯上探偵事務所における俺のポジションは雑用係だ。現場に出て正規メンバーの補佐をすることもあれば、事務所に残って電話番や来客対応、事務仕事をすることもある。覚えることは多く、またマニュアル通りだけではない対応力が求められるが、その分給料はこの地域の一般的な高校生の水準よりも高い。だからメインのバイトはここだった。
「マオと一緒に留守番です。お客さんが来るかはわかりませんが、電話対応と来客対応を教えてあげてください。事務仕事はまだ難しいでしょうから、教え終わったら氷室くんはそれを」
「あー、そういうことになりますか」
これまでマオとレツは来客対応や電話番はほとんど任されていなかった。マオは気分屋に加えて好き嫌いが激し過ぎて接客なんて出来るはずもないし、レツは初対面の相手には怯えちまってこれまた接客にならんからな。
とはいえ、先ほどショウさんが言っていたように出来ることを増やしていかないと、ということなんだろう。
「まだレツの方が向いてると思いますけど」
「仰りたいことはよくわかりますが、レツは子供ですから。電話番だけならともかく接客させるとなると色々問題が……」
「……たしかに」
レツも当たり前のように現場に出たりしているため感覚が鈍っていたが、そういえばまだまだ子供だもんな。学校行ってないだけでも大丈夫なのかって思うのに、接客なんかさせたら児童労働で通報待ったなしだ。
「そういうわけですからマオの面倒を頼みます。私とレツは迷子のペット探しにこれから出ます」
「了解です。やれるだけやりますよ。ああ、終わったらちょっと相談があるんですけど良いですか?」
「ええ、もちろん。成果にかかわらず夕方までには戻る予定です。氷室くんの送別会を開くつもりでしたから、その前に時間を取りましょう」
「送別会って、そんな大げさな」
「いえいえ、一年ちょっとの短い間でしたが氷室くんはよく頑張ってくれましたから。イブも感謝していましたし、もちろん私も感謝しています。真面に働ける人材の重要性を再認識できました」
「……それって褒められてます?」
マオやレツ、ライナーさんや社長と比較されて真面と言われてもあんま嬉しくないぞ。
「ふふ、褒めていますとも。君と過ごした日々は面白可笑しい驚きの連続でした。人と過ごすのも悪くないと、心から思えるくらいにはね」
「……? まあ、お役に立ててたんなら良かったです」
「僕もっ、僕も感謝してるから! 今までありがと、凪くん……」
「あー、ったく、この後送別会してくれるんだろ? そういう言葉はその時までとっとくもんだぜ?」
こんなつもりで出て来たわけじゃねえのに、調子狂うな全く。
「そうですね。お別れの言葉はまた後で。行きますよレツ」
「う、うん!」
「留守番は任されました」
カランコロンとドアベルの音を鳴らして出て行った二人を見送り、自分の仕事に取り掛かるため後ろを振り返ると、目の前に何らかの物体がそこそこの速度で迫って来ていた。
「うおっ!?」
咄嗟に顔を手で庇いつつ大きくのけ反る。どちらか一方でも当たりはしなかったかもしれないが、脅威を遠ざけるように反射的に身体が動いていた。
「何しやがるマオ!!」
「……別に」
キャッチすることに成功した物体はマオのスマホだった。
人様の顔面に向かって物をぶん投げておいて、別にとはなんだ別にとは!
「喧嘩売ってんなら買うぞ、こら」
元の自分であれば握り潰していてもおかしくはないほど本気でスマホを握りしめ、出来る限りドスを利かせた声を発そうとするが、相変わらず今の俺の喉から響くのは可憐で麗しい声ばかり。
「返して」
「っ!?」
気が付けば、ソファで丸まっていたはずのマオの声が俺の背後から聞こえ、勢いよく振り返ればいつの間にかその手には例のスマホが収められている。握りしめていた俺の手の中に、スマホはない。
こいつがホルダーだってことは前から知ってるが、具体的になんの能力なのかは知らない。瞬間移動の類か? テレポートとアポートがセットになっているタイプなら、一瞬のうちに背後をとってスマホを取り返すことも可能だ。
「おい、どういうつもりだ。お前がクソ面倒くせーのはいつものことだけどよ、仕事はちゃんとしてただろうが」
基本的にマオが任されるのは迷子のペット捜索依頼や遺失物の捜索依頼だ。異能の効果なのか知らないが、こいつはその手の探し物が滅法得意で、少なくとも俺が組んでる時は見つからなかったことは一度もない。
多分今日の仕事も、いつも通りなら俺とイブさんがペアで、マオとライナーさんがペア、ショウさんとレツが留守番という割り振りになっていただろう。
「辞めるって聞いた」
「はぁ? それが今なんか関係あんのかよ」
「ふざけないで。私が人嫌いなの知ってるはず。あなたが辞めたらまた新しく人が来る」
「知らねーよそんなこと」
マオが人間不信つーか身内以外の他人を毛嫌いしてるのは知ってるが、こいつは俺のことも認めちゃいない。いっつも無愛想だし発言は刺々しいし、常に不機嫌なんだ。
「つーか、代わりに俺がいなくなるんだから別にお前にとっては大して変わらないだろ」
気に入らない他人が一人減って、新しく気に入らない他人が一人増えるだけ。差し引き0ってわけだ。
「違う」
「……なんだってんだよ。良いから仕事するぞ」
静かに否定するその声は、どこか怒気を孕んでいるようにも聞こえた。
今日はいつにも増して不機嫌だな。虫の居所でも悪いのか。
「私は認めない。辞めるなんて許さない」
「いや、別にお前の許しとか――っおい!? どこ行きやがった!?」
マオが認める認めないなんて関係ないと言おうとしたのだが、話の途中でマオが姿を消した。恐らく異能を使ってどこかへ移動したのだろう。
あいつがいないと任せられた仕事を達成できないが、かといって探しに行くことも出来ない。事務所には今俺しかいないのだから、もぬけの殻にするわけにはいかないだろう。
召喚獣に探させるか? いや、召喚主が近くにいないと野良のモンスターだと思われて騒ぎになる。
一応マオが逃げたことはショウさんに一報入れとくか。
「相変わらずわけわかんねーやつ」
しょうがないので直接の指導は諦め、引継書を作っておくことにする。後のことはショウさんとイブさんがなんとかするだろう。元々は俺がいなくても何とかやってたみたいだし、いざとなれば社長が放浪をやめて働くだろうしな。




