episode2-6 世界からの消失
「それと、情報の隠蔽はするけれど氷室くん自身も気を付けて。思わぬところから流出する可能性があるから」
そう言って桜ノ宮が懐から取り出したのは、小さな杖のような装飾が吊るされたネックレスだった。
「お前それ、如月の星の杖か?」
如月は祖父に回収されたなんて言ってたが、どうしてそれを桜ノ宮が持ってるんだ?
「如月博士のパトロンになる代わりに実物を預かったのよ。念のためだったけど正解だったわ。この星の杖にはデータを取るための録画と録音機能が内臓されてるの。当然、あの日のことも記録されてたわ」
「なっ!? じゃあ如月の爺さんも俺の異能のことを知ってるのか!?」
「ええ。でもそういうことに関心のあるタイプじゃないみたいで助かったわ。資金提供にあたって、ダンジョン内部の出来事は他言無用って条件を快く承諾してくれたから」
「お、お前、そんなことまでしてたのか」
正直そんな可能性は考えてもいなかった。よくもまあ気がつくもんだ。
「あー、てかじゃあそれにかかった費用って完全に俺のためってことだよな? よく考えたら忍さんも仕事なんだし金がかかってるよな……。それって俺の取り分だけで払えそうか?」
「無理だし、気にしなくていいわ。星の杖については元々目を付けてて、今回の件は切っ掛けに過ぎないから。一連の騒動のドサクサで資金も引っ張れたから別に私の財布は傷んでないしね。ま、今後はこういう強引な手は難しくなるでしょうからむしろ良いタイミングだったわ」
桜ノ宮がそう言うなら無理に食い下がる気はないが、にしても、元々目をつけていたか。
「忍さんはそもそも――」
「あたしはお金で仕事は受けてないからね~。凪くんちゃんはなーんにも気にしなくてオッケー!」
「そういうこと。それに商談の時にも言ったけれど、私にも利があると判断したことしかしてないから、自分のためになんて思い上がらないでね」
「はん、わーったよ。んじゃありがたく受け取っておくといたしますよ」
こいつの腹を読むことなんざ出来そうもねえし、本気なのか気を遣ってるのかわからないが、金はあって困るもんでもない。素直に頂戴するとしよう。
「そういや、ダンジョン資源の取引で不利にならないようにって言ってたけど、結局いくらになりそうなんだ? 商談の時は最低で10億って話だっただろ?」
「ああ、そういえばまだ言ってなかったわね。氷室くんが協力的だったこともあって鉱脈の調査は順調に進んで、つい昨日予算が決まったわ。2年更新で100億の契約、一人頭20億ね。税金がかかるから実際手元に残るのはもう少し減るでしょうけど」
「ひゃ、100億、な。……いや、10倍になってんぞ? どういうことだ?」
「ちゃんと振れ幅があって、最低限の額ならって言ったでしょう。あと2年分だから単純な10倍ではないわよ。まあ、細かい契約内容は後で契約書を見せながら教えるわ。氷室くんだけじゃなくてみんな知ってた方が良いでしょうし」
言ってたがここまで上がるとは思わんだろ。
いや、そりゃあって困るもんでもないと言ったが、正直すぐには使い道が思いつかないぞ。
冒険者として活動するなら色々入用になっただろうが、ホルダーはあんまり装備を揃えたりなんてしないしな。
元々バイトしてた理由の魔術大学にも入る意味なくなっちまったし。
うーん、まあそれを考えるのは今じゃなくて良い。後回しにしよう。
「大体そんなところかしらね。最後に一つ聞いておきたいんだけれど、旗下の冒険者をダンジョン外で戦わせることは出来るのかしら?」
「試してねぇけど、多分出来る」
何でもないことのように、ついでと言うようなトーンで投げかけられた桜ノ宮の問いに、待ってましたと言わんばかりに間髪入れず答える。
しれっと聞いてきやがったが、この密会の本題はこれだったんだろ?
わざわざ別室に移ったのも、情報の隠蔽や偽装に特化した魔術師を同席させたのも、このためだ。
そして俺の、どうしても世の中から隠し通さなければならないこともこれだ。
やはり桜ノ宮、気づいていたか。
「……根拠は?」
「これだ」
膝の上に乗せていた小さなショルダーバッグを持ち上げ、中が見えるよう口を桜ノ宮の方に向けて蓋を開く。
俺の方からでは見えないが、桜ノ宮と忍さんにはバッグの中が真っ黒に見えているはずだ。
そして
「出て来い、シロップスライム」
俺の呼びかけに応えるようにバッグの中から琥珀色の液体があふれ出した。
その体積はとても小さなバッグに入りきる量ではなく、そして床の上でぶるぶると動くその様はただの液体には見えない。
桜ノ宮は見覚えがあるだろう。
「なるほど、マジックバッグにシロップスライムを入れてたのね」
「ああ、これが根拠じゃ弱いか?」
「十分よ。下手に冒険者を使って検証も出来ないし、むしろよく思いついたわね」
マジックバッグやポーションといった魔道具は、ダンジョン外では効果を発揮しない。
にも拘わらず、この小さなマジックバッグには、明らかに外見上の容量を超える体積のシロップスライムが収まっていた。
それはつまり、俺の異能の影響下において、ダンジョン外であろうと魔道具が本来の効果を発揮することを意味する。
ならば冒険者もまた、俺の旗下に入ればダンジョン外でも力を発揮できる、そうは考えられないだろうか。
「本当にとんでもない異能に目覚めてくれたわね、氷室くん」
「俺もまさかとは思ったんだけどな」
ダンジョン内でホルダーの異能を使えるようにするのは大した問題じゃない。むしろ良いことばかりだ。
だがダンジョン外で冒険者の力を使えるようにするのは大問題だ。
「ごめん、黙って聞いとくつもりだったんだけど、凪くんちゃんこれマジでヤバイよ。わかってる?」
「はい。最悪、俺は消されますね」
よくても軟禁か監禁か、少なくとも自由がなくなるのは確かだな。
冒険者が俺の旗下に入った時、ダンジョン外で異能強度はいくつになるのか。それ次第だが、半端な強さならリターンよりもリスクの方が大きいと判断されるだろう。
「ダンジョン外では無力であるからこそ許されている冒険者の集団が、一瞬で大きなホルダーの勢力に早変わりですから」
「冒険者業を営んでいる企業が放っておかないでしょうし、さらに言えば国が動くわね」
「葵ちゃん、あたしのこと呼んどいて正解だったね~。この件は念入りに偽装しておくよ!」
・ ・ ・
その後細々とした擦り合わせを終え、桜ノ宮は考えたいことがあるからと氷室を沖嶋たちのいる部屋へと先に返した。
忍と名乗った魔術師と桜ノ宮は氷室の去った応接間の中で会話を続けている。
「大きなお世話かもだけど、護衛は葵ちゃんが手配してあげた方が良いかなってお姉さんは思うよ」
「言われなくてもそのつもりです。氷室くんには悪いですけど、一般人の伝手なんて高が知れてますから」
異能での戦闘で生計を立てていく場合、最低ラインは強度4、一般的には強度5、精鋭と言えるのが強度6、一握りの天才が強度7とされている。
そしてここまでが、特別な伝手を持たない一般人の手が届くか届かないかのギリギリの範囲でもある。
「氷室くんのあてがどの程度かは知りませんけど、異能強度が7ともなればお金だけじゃなく時間の都合もありますし変な拘りがある人も多いですからね」
「うんうん。その点葵ちゃんなら伝手も沢山あるもんね!」
「別に、あなたが直接護衛してくれても良いんですよ?」
「そこまで暇じゃないよー」
魔術師はけらけらと楽しそうに笑いながら桜ノ宮に言葉を返す。
「それにしても、流石にあのレベルは葵ちゃんでも手に余るか~」
「テロでもするんならいくらでも活用方法は思いつきますけど、真っ当に運用しようとすれば氷室くんの人権は保障されませんよ」
桜ノ宮が氷室凪の持つ特異な力を利用しようとしているのは事実だが、だからと言って何をしても良いとまでは考えていないらしい。
そんな桜ノ宮の言葉を聞いて、魔術師は一層ニコニコと楽しそうに笑みを深めた。
「だから葵ちゃんって好きなんだよね~。まー、情報のことは心配しなくて良いよ。凪くんちゃんがボロ出さない限りは探りすら入れさせないからさ」
「助かります。お礼というわけではないですけど、多少余裕ができそうですから例の件の調査に力を入れるつもりです」
「ほんと? 葵ちゃんが手伝ってくれるなら百人力だ! ナデナデしてあげる!」
「結構です」
伸びて来た手を軽やかにかわしてバッサリと断る桜ノ宮だが、拒絶の言に反して声音は明るく顔には微笑みを浮かべていた。
お抱えの魔術師とは言っても、通常であればここまで距離感が近いのは珍しい。
魔術師というホルダーは大変革以前より存在しており、かつては特権的に世界の陰でその力を振るっていた。そのせいかホルダーの中でも高圧的で性格の悪い者や人格が破綻している者が多く、半数近くは魔術師に非ずんば人に非ずという選民思想を持っているほどだ。
そんな中にあって忍と名乗った魔術師は態度こそふざけているように見えるが、内面はとても魔術師とは思えないくらいに良識を弁えている。
かと言って聖人と言えるほどの善人や人格者というわけでもないが、それがむしろ桜ノ宮とは波長が合ったのか、二人は随分と昔から友好を深めている。
「ただ、以前にも一度簡単に調査はしましたけど結論は都市伝説の域を出ないというものでした。本当に存在すると思いますか? 『世界からの消失』なんて現象が」
「あはは、確証がないから困ってるんじゃ~ん。でもまぁ、間違いないよ」
半信半疑といった様子の桜ノ宮に対し、魔術師はけらけらと笑いながら断言した。
「何にもないのにあたしみたいになる魔術師はいないよ。絶対にいたはずなんだ。あたしを人間にしてくれた人が」
顔も名前もわからない、そんな人物が本当に存在したのかすら定かでない、どこかの誰か。
姿はなく、痕跡はなく、思い出はなく、ただ、何かを忘れているはずだという焦燥感だけがある。
『世界からの消失』
いつから囁かれ始めたのか、それは都市伝説のように、脈絡もなく様々な地で噂されている。
曰く、最初は姿が薄れていき、徐々に痕跡が消えていき、思い出すらも失われてしまう。
曰く、関りの薄い者からその存在を認識できなくなり、思い出を失い、いつしか誰の記憶にも残らない。
曰く、胸を焼き焦がすような焦燥感だけが残り、それすら時の流れに吞まれてしまう。
曰く、最後は何も残らない。




