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 ようやく立ち上がった頃に、聞き慣れた足音がして、はめられたことに気づいた。


「動くな」


 慌てて自室に逃げ込もうとするも、男の声がリフェンナの足を床に縫いつけてしまう。

 この男より十倍も長く生きているのに、今のリフェンナはどうしても、男に芯から逆らうことはできない。


「……ほんと、勘弁してよ」

「何の話だ。まったく……どうして避けるのか、教えてもらおうか」

「女が男から逃げるってことの答えは、ひとつしかないんじゃないの」

「誤魔化すな、リフェンナ」


 肩を掴まれ、向き合う形になる。

 マトラドの青い、アドルヴェリアと同じ目が、リフェンナの目を見ている。その青に映る自分が嫌いになったのは、その青が好きだったからだ。


 ここ数ヶ月、毎夜、思うことがある。

 もし自分が不死でも魔女でもなければ、幸福に身を浸す未来を掴めたのだろうか。

 そんな夢を描こうとして、毎夜、すぐに打ち消した。きっとそんなはずはなくて、不死でも魔女でもリフェンナという名前でなくても、幸福には縁遠い場所でみじめに死んでいたはずだ。

 今でこそ本物のひとでなしだが、ただの人間だった頃でさえ、呪われたクズのような人間だったのだから。


 マトラドは呪いを持たない。

 マトラドが愛したあの女もそうだった。この男は呪いの有無くらいで他人を決めつける男ではないが、リフェンナはほとんど確信に近いくらいの強さで、「マトラドは呪い持ちとは結ばれない」と考えている。


「不死者にも痛覚はあるのよ、クソガキ。手を放して。肩が潰れそうだわ」


 普段と変わらない声を意識して、笑ってみせる。

 もうマトラドも、薄々、感づいているはずだ。なんのために気づかないふりをしているのかは知らないが、どうであれ、こちらから説明してやるつもりはない。


「これからしばらく忙しいの。だからおまえに構ってられる時間は作れないわ。悪いけど、他の女をあたってちょうだい。おまえなら誰だって喜ぶわ」

「タガルが妙なことを言っていた。おまえから目を離すなってな。何をするつもりなんだ」

「あいつとはずいぶん会ってないけど。タガルに訊いてみて。私も私が何をしでかすのか気になるし」


 リビラの一員である、タガル・ティ・トルヴァグという男の顔を思い出しながら、なんだかんだマトラドとタガルは仲がいいなあ、と笑いそうになる。

 表向きは犬猿の仲とされている二人だが、長いこと近くにいたからこそ相手のことは自分が一番知っている、とお互い自覚済みなのだろう。


 ついこの間、店を訪ねてきたタガルに悟られてしまったのか。

 軽薄で自分のことしか見ていないようなタガルだが、その実、他人の顔色をよく見ている。明日にでも会いに行って、一発か二発か殴らなければ。


 マトラドは少しだけリフェンナから離れたが、それでも近くに立ったままだった。

 女にしては背の高い方であるリフェンナだが、マトラドはそれより頭一つ高い。自然と見下ろされる形になって、不愉快に思ってしまう。

 いつからこの男は、リフェンナの庇護の対象でなくなってしまったのだろう。

 いつからリフェンナは、この男の庇護の対象になってしまったのだろう。

 ただでさえ曖昧な関係だったのに、より一層、説明のできない関係になってしまった。悲しいのか苦しいのかはわからないが、妙に孤独に感じた。


「……祭り、行かなくていいの」


 声は思いのほか沈んでいた。


「見回りに行きなさいな。あんたの役目はそういうことでしょ」


 アドルヴェリアに倣って、マトラドは毎年、祭りの夜は見回りに出ている。今年も例外ではないはずだ。リフェンナの孤独に、付き合わせるつもりはない。


 指摘をされて、間違った行動を取り続けるほど、マトラドは愚かではない。

 苦い顔をしたのち、


「また来る。夜中に」


 と言い残して背を向けた。


 その背を追いたくなって、やめる。

 わけがわらないくらいに精神が揺らいでいる、と自嘲した。彼も弟子もいない部屋は、慣れているはずなのに、不気味なほど底冷えしていた。

 次にマトラドが来たら、もうきっと二人の間に言葉はいらない。彼が求めていたのはそういう時間だった。そんな目をしていた。


 断ち切りたいと思って相応の態度を取っていたのに、変にそわそわしてしまって、無意味に部屋を掃除しはじめてしまう。シーツは毎日取り換えているし、ちょうど一昨日、新しいものを買ってきたばかりだ。明日の朝に取り換える分も用意してある。


 そんなことを考えて、思う。


 どうしたってリフェンナはあの男から逃れられない。あの男のためになることをしてやりたい。

 だから、待つと決めたのに。待てないなと思ってしまう自分がいることに、情けなくなった。

 今のこれは待っているわけではなく、ただ、心地良いと感じてしまっているがゆえの甘えだ。情けない。消えてしまいたい。


 頬が緩むのを感じた。いっそ一緒に死んでしまえたらいいのに。

 あの男を死なせるなんて、リフェンナにはできないけれど。







 再会と言うと大げさな気もするが、その男と会うのはおよそ十三年ぶりのことだった。

 前任のアドルヴェリアが失踪して、マトラドがリーダーを継いでから、彼は慣れない仕事を懸命にこなそうと少しの暇も作らなくなった。

 もともとアドルヴェリア個人としか関わるつもりのなかったリフェンナは、自分からリビラに近づくこともなく、その拾い子たるマトラドとも疎遠になった。

 彼も彼でリフェンナに頼ることもなかったため、自然、会わなくなったのだ。


 最後に見たのは彼が十五の頃だったか。

 その倍ほどの時間が経てば、誰でも大人になるだろう。その上リフェンナは記憶力が秀でているわけでもなく、一瞬、誰なのかわからなかった。


 妙に冷える曇りの日だった。祭りの本番でもあった。ちょうど、この男が青い目の女に拾われた日のように。

 相変わらず客も来ないまま店を開けていたリフェンナは、訪れた彼をじっと見つめて思い出そうとした。


「……マトラド、だね」


 必死に記憶を探って名前を引っ張り出すなんて、普段のリフェンナなら絶対にやらないことだった。

 そのときそうやって、なんとしても思い出して一致させなければと感じたのは、今となっては理由がわかる。


 マトラドは、継いですぐの頃よりずいぶんと落ち着いた様子で、余裕のある男になっていた。

 雰囲気がどことなくアドルヴェリアに似ている。最後まであの女は自分の子どもを作らなかったが、確実にその精神は受け継がれていた。


「久しぶり、だな」

「誰だかわかんなかったよ。なんの用かしら。十年も顔を見せないで」

「悪かった。忙しかったんだ」

「いいよ、知ってる。とにかく上においで。お茶くらいなら出せるよ。話しづらいことなんでしょ」


 二階に招き入れると、マトラドはため息に似た息を吐いた。


「変わらないな」

「何が」

「生活感がなさすぎる。あと、埃だらけだ」

「まともに生きてないもの、生活感なんて出るわけないでしょう」

「昔もそうだったな」

「そうね。ひとでなしは変わらないのよ」


 答えながら、リフェンナは指をパチンと鳴らした。かつて同じようにしたのを思い出す。この男が拾われたあの日、同じように指を鳴らして、同じように掃除をした。

 それなりに埃のなくなった部屋で、ソファに促す。一度、下に戻って茶を淹れた。

 長らくそんなことをした記憶がなく、手順を間違ったのか、それとも分量を間違ったのか、少し口にしてみれば驚くほどまずかった。作り直す気にもなれず、そのまま出すことにする。


 さて上に持って行こう、とトレーに乗せて持とうとしたとき、横から伸びてきた手がそれを取っていってしまった。マトラドだ。彼はごく当然のように、二階へ向かった。


「なんで」


 座っていろと言ったのに。リフェンナより背が高くなったマトラドの背中は、知らない男のような気がした。


「階段は危ないだろう。物を持っていたらなおさら」

「おまえはお客だよ」

「居間にあげてくれたってことは、店の客としては迎え入れられたわけじゃないようだからな」

「なるほど、そういう解釈もあるわけね」


 知らない間に立派な人間になっていた。

 言葉に甘えることにして、先に上がっていく彼の背中を追う。


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