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 祭りの当日は朝から王都中が明るい喧騒に満たされる。

 通りには出店が立ち並び、身分も歳も関係なく、上から下まで騒ぐのだ。


 リフェンナはもう何十年もまともに祭りに参加していない。

 三日間のうち、前夜祭には出かけたりするものの、残り二日、特に本番である二日目の夜は家から一歩も出ない。


 あまり表に出ないため、世間にリフェンナの顔が知られているわけではない。

 リフェンナの顔だけを見て魔女リフェンナだとわかる者はいないだろう。

 それでも、万に一度でも声をかけられるのが嫌で、貴族らもよく出歩く祭りはどちらかというと苦手なのだ。他人との関わりが面倒で仕方がない。


 店も閉めたままだ。せっかくの祭りなのだから、とリーフィールを自由にしてやるためでもある。


「先生は今年もひとり寂しく籠ってるんですか」


 弟子を取ってからというもの、彼はリフェンナと祭りをまわりたいのだろう、毎年同じようにそう声をかけてくれた。


「うん、行かない。楽しんでおいで。金は足りてるの」


 そして、リフェンナは毎回その誘いを断っている。

 あからさまにシュンとしたリーフィールは、そのあと口をとがらせて、


「お金くらいありますよ。毎月毎月、使いきれないくらいくれるのはどこの誰ですか」


 と文句を言った。


「それは私だね。今夜はたくさん使うといいよ。足りなくなったら取りに戻ればいい。腐るほどあるからね」

「先生……そんな風だと、いつか刺されますよ」

「刺してくれる人がいるなら、それは本当に嬉しいことだわ。そういう人に出会ってみたいものよ」

「……やっぱり僕、今日はずっと家にいますよ」


 しっかり準備をして、今すぐにでも出られる格好をしていたのに、弟子はリフェンナの隣に座った。ソファが沈む。

 居間は、外の騒ぎ声が遠く響いていた。


「最近、おかしいですよ、先生。何かあったんですか」


 心配そうにこちらの顔を覗き込んでくる弟子に、この子は本当に優しく育ってくれたなあ、と他人事のように思いながら、微笑みを返してやった。


「何もないよ。何か起きるのはきっとこれからだから。おまえが気にすることではないわ」


 それは確かな拒絶だった。

 昨日、女王に話したことをリーフィールに話せるほど、リフェンナ自身まだ吹っ切れているわけではなかった。情けないことだけれど。


 だから伏せるしかない。弟子は少しだけ泣きそうな顔をした。

 かわいそうなことをしている、申し訳ないことをしている、とは思うものの、これからを考えると、今、この弟子をたくさん傷つけてやった方がいいかもしれない。

 別れと拒絶は人生につきものだ。長く長く生きていくことになるのだから、自らの心身を守るためにも、敵は全員殺すくらいの憎しみも覚えていた方がいいだろう。

 いちばん信頼している師からの裏切りは、そういうものを育てるにはうってつけだ。


 夜色の瞳はこちらをじっと見つめてきて、リフェンナは醜い思考のすべてを見透かされているような気持ちになった。

 若く、幼い目はまだ澄んできらめている。ずっと一緒にいられたらいいのに。そんなことは叶わないし、叶えるつもりもないけれど。


「おまえは、私に拾われてしまって、不幸だったろうね」


 ぽろ、と零れた言葉に、リフェンナ自身、驚いてしまった。口が緩くなっている。確かにリフェンナの中にあった言葉だが、言うつもりは少しもなかった。

 弟子は目を見開いたのち、静かに怒る。


「先生、いくら先生でも、そういうのは許せませんよ。それは僕に対して失礼でしょう。不幸か、なんて、他人に訊いちゃいけませんよ。この世に不幸じゃない人がいると思ってるんですか。みんな不幸ですよ。この世には不幸な人しかいなくて、だからこそみんな幸せなんですよ。それを……不幸だった、なんて、勝手に決めつけるのはおかしいじゃないですか。そういうことは、いちばん言っちゃいけないものです。わかりますか。不幸な人に、不幸だなんて言っちゃいけないんですよ、わかりますか」


 リフェンナにはちっともわからなかった。

 ほとんど涙声のそれは、リフェンナには理解のできない話だったし、世間一般から見ても、正しいとは言い難い。決めつけて世の中を見ている。自分は世の中というものを知っていると思い込んでいる。


 その未熟さが愛おしく思えて、リフェンナは弟子を抱きしめた。できるだけ強く。まだまだ子どもで、まだ、成長できる。リフェンナが失ってしまったものを持っている。自ら手放したというのに、今更になって、後悔してしまっている。


 この子がいつか、正しい死を迎えられますように。ひとりでさみしく世の中から消えていく羽目になりませんように。自分と同じ道を辿りませんように。

 そう、祈った。存在の不確かな何かに祈るのは、リフェンナの長い人生で、初めてのことだった。


「先生、おかしいですよ、ほんと、最近、変ですよ……」


 リーフィールはぼろぼろ涙をこぼしながら、そう繰り返した。

 この弟子は、たまにこうして泣き出す癖があった。そのタイミングは彼が本当に言いたい言葉を呑み込んだときだ。


 無理に聞き出すことはせず、抱きしめながら背を優しく叩いてやる。ぽん、ぽん、とゆっくりと。

 頑張って普段通りに話そうとしているのだから、こちらも真摯に応えてやらねばならない。とても誠実に。


「三日。あと三日、待っていてくれないかな。必ず話すわ。私の……情けないけど、私の心の整理が、まだついていないの。三日だけ、待っていて」


 言いながら、なんだかわけがわからないまま、物事が勝手に進んでいくような気がした。

 魔女を辞めると決めたのはリフェンナで、すべてリフェンナが望んだからこそ起きた変化なのに、雰囲気に流されている感じがする。

 リフェンナもわからないまま、世界が変わっていくようだった。実際に変わっているのは、リフェンナだという自覚は、ある。


「先生、もしかして、そういうことですか」

「……うん。きっと、おまえが思っている通りよ。でも、ちゃんと私から言わせてね。それまで待っていてくれるかしら」


 そう言ったときだった。

 突然、あの痛みが襲ってくる。今度は腹だった。思いきり胃をねじられているように、ぎりぎりと痛んだ。思わずリーフィールの体に縋ってしまう。


 ハッとして、リーフィールは「先生、先生、どうしたんですか」などと声をかけてくれたが、リフェンナに答える余裕はない。


 は、は、と細切れの息が漏れる。縋りついたまだ小さな体が戸惑っているのを感じる。

 唇を噛む。滲んだ血の味に、場違いな安堵を覚えた。まだ、自分は人間だったのだと、思えた。人間だと信じられた。

 同時に思い知らされる。こんなことでしか実感を得られない、その事実こそが、リフェンナがひとでなしである証明なのだと。

 ――いつだって頭の隅から離れないあの男とは、違う生き物なのだと。


 いや、生き物と言うにも不確かだ。生きているのか死んでいるのか、リフェンナにはもうわからない。

 不死者とは、生きながらに死んでいて、死んでいながら生きている、そんな不気味な存在だ。

 どんなに人間に擬態しようと、かつて人間だったことがあろうと、今、この現在において、リフェンナはただの「ひとでなし」、ただの「化け物」でしかない。


 賢い弟子は、リフェンナの痛みの原因もわかるだろう。どうにもならない痛みであることも。

 リフェンナの師が残していった本を、この弟子はしっかりと読んでいる。彼が読んだ中には、リフェンナが置かれている魔法使い特有の状況も、書かれていたはずだ。


 途切れ途切れに大丈夫だと伝えても、笑ってしまうほど自分の言葉に説得力は感じられない。


 痛い。痛い、のに、頭だけはよく働く。

 それも自分のことしか考えられていない。情けないなあ、と思いながら、リフェンナは意識を手放すことにした。

 自分に魔法をかけて、意図的に気絶することで痛みから逃れるのだ。このところよくあることだった。いつその魔法が解けるかは、リフェンナにもわからない。ずっとそのまま眠っていたかった。







 目覚めは予想よりはるかに早かった。

 二時間ほど後、マトラドの訪れと共に、リフェンナの感覚はゆっくりと開きはじめる。


 寝ぼけたように靄のかかった頭で、マトラドを認識する。

 すっかり夜になってしまったらしく、机には一本の頼りないロウソクの灯りがあって、その橙にてらてらとマトラドの黒い目が照らされていた。

 リフェンナはソファに横になっていた。体を覆う布は弟子の優しさだろう。数年前に比べて、人間らしい世界にいる実感がじわじわと体に広がっていった。


「……リーフィールね。あの子が、呼んだんでしょう」


 口元が緩むのを感じる。出した声は掠れていた。マトラドが、呆れた顔をする。


「もう夜だぞ」

「見ればわかるわ。……あの子は」


 上体だけ起こして居間を見回す。弟子の姿はない。

 気だるげにリーフィールを探すリフェンナに、マトラドは弟子からの伝言を口にした。


「溜まり場に行くって言ってたぞ。今夜は帰らないんだと」

「そう。……そうなの」


 気を使ってくれたのだろう。

 マトラドと二人きりにしてやった方が、リフェンナは喜ぶと思ったのだろう。リーフィールが考えそうなことだ。リフェンナに育てられたわりに、弟子は優しく育ってしまった。


 リーフィールはどこまで話したのだろう。

 リフェンナの痛みの原因は、マトラドにだけは知られたくない。この男を、これ以上、苦しませたくはない。


 だからといって、どこまで聞いてるの、なんて尋ねることは墓穴を掘るに近い。リフェンナにそういうことをしれっと尋ねる才は皆無なのだ。

 弟子がいないのなら、無理に動く必要はない。起こした体をまた横にして、顔まで布を被った。

 マトラドの顔を見ていられるほどの元気はない。


 そんな態度が気に入らなかったのか、マトラドが布をはぎ取ってしまった。

 これは結構、怒っている。眉間の皺は深い。


「返して」

「いくつか質問がある」

「私に答える義理はないわ」

「ある。おまえは俺の」

「おまえの何だというのかしら」


 リフェンナが強く言えば、マトラドは苦い顔をしてぐっと詰まった。


「私、おまえの何かになった記憶はないのだけれど」


 マトラドにとって、リフェンナはどういう存在なのか。

 一言では言いづらいはずだし、そもそも彼はリフェンナにとって知人が拾った子どもでしかなかった。つい数年前までは。こちらがそう思ってそう接していたのだから、特別な関係になるのは容易ではないはずだ。気持ちの問題として。


 赤ん坊の頃から、この男のことを知っている。

 この男にとってリフェンナは母ではないし、リフェンナにとってもこの男は息子ではない。赤の他人とは言えないが、友人でもなく、まして恋人でもない。知人、と言うのが一番なのか。


 とにかくそんな関係で、何かになるはずがない。


「帰ってくれるかしら。見ての通り、体調がよくないのよね」

「……リフェンナ」

「ああ、心配いらないわ。魔法使い特有のものって、前にも言ったでしょう。死にはしないわ。不死者は死なないから不死者なのよ」


 マトラドから布をひったくり、また頭から被る。

 痛みの過ぎた体に問題はないはずなのに、鉛のように重く感じた。


 鼓膜を心地よく揺らす、低く魅力的なマトラドの声は、少し掠れていた。リフェンナの名を呼ぶ。その声音が呆れなのか、それとも他の何かなのかは、リフェンナにはわからない。


「飯はちゃんと食べたのか」


 なかなか出ていかないマトラドが問う。返事はしない。


 しばらくすると離れていく音がして、ようやく帰ってくれるかと油断してしまった。マトラドが階段を下りていく微かな音もしっかり聞いた。

 緊張が解けると同時に、体から力が抜ける。馬鹿だなあ、と自嘲しつつ、転がり落ちるようにソファから抜け出した。無駄なほど時間をかけて。


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