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 座っていられないくらいの頭痛に発展し、頭を抱えて地面に倒れこむ。

 マトラドの慌てた声が聞こえた。よりによって、この男の前で、こんなところを見せてしまうなんて。自分が情けなかった。


「リフェンナ、どうしたんだ」


 どうもしていないから、気にせずどこかへ行ってほしい。

 言いたくても声にする余裕がない。呼吸が浅くなる。苦しい。痛い。情けない。


 このまま気を失ってしまいたかった。それくらいの恥だ。

 他の誰の前でもこんな醜態は見せたくないのに、よりによってマトラドの前でこんなことになってしまうなんて。彼のことだからこんなことがあったとは誰にも言わないだろうが、心底心配して、しばらく構ってくるはずだ。

 放っておいてはくれない。リフェンナは、それが嫌だ。


 しかし、リフェンナは気絶することもできず、痛みを受け入れていくことしかできなかった。

 どれだけそうして耐えていたか、リフェンナにとってはとてつもなく長い時間に思えたが、実際にはほんの数分だっただろう。突然襲ってきた痛みは、突然去っていった。

 こわばっていた体から力が抜け、ようやく呼吸が楽になった。


「リフェンナ」

「大丈夫……なんでもない」

「なんでもないなんて、おまえ」

「なんでもないから。おまえが気にする必要はないわ」


 ふらつきながら立ち上がると、当然のようにマトラドが腕を貸してくれる。

 それを断って、リフェンナは笑んで見せた。弱々しい笑みにしかなっていないということは、リフェンナ自身もよくわかった。


「たまにあるのよ、だから気にしないで。見ての通り、もう治ったわ」


 両手を広げて、もうなんともない、と表現してみせる。

 当然、マトラドは納得してくれなかった。不満げな顔でいつからそうなんだ、どのくらいでそうなるんだ、と迫ってきた。


 滲んだ嫌な汗をぬぐい、マトラドから目をそらす。

 それはうまく言えない。どうすればマトラドが納得して、かつ、これ以上の追求を許さずに済ませられるか。

 痛みの名残で働きが鈍くなった頭では、少しも思いつかなかった。


 仕方なく肩をすくめて、不死者に特有のものよ、とだけ答える。嘘ではない。言葉を抜いただけで。


「だから、おまえが心配したところで、特に何もできないのよ。魔女には魔女の体質がある。おまえは人間だからね、わからないよ」

「……本当に、それだけなのか」

「本当にそれだけよ。大丈夫、死にはしないわ。不死者に死は似合わない」


 調子が戻ってきて、軽くそんな風に言えば、まだ納得はしていないが引き下がってくれた。内心胸を撫で下ろす思いだった。マトラドの前で、弱味を見せるわけにはいかない。今すぐ忘れてほしかった。


 よく遠慮というものを知らない、と言われてしまうリフェンナだが、流石にこのままマトラドと二人で溜まり場に居続けられるほど図太くはない。

 もう店に帰ることにした。帰ってもやることはないが、ここに居続けるよりは暇をもて余して虚空を見つめている方がましだ。


 マトラドは送っていくと言ってくれたが、丁重にお断りして、一人で溜まり場を出る。

 来たときと同じ道を辿っていると、途中で二人のリビラの仲間と出会った。彼らはごく普通に、嬉しそうにリフェンナに挨拶をしてすれ違っていく。不思議な感覚だった。

 リビラに出入りするようになって、以前とは比べ物にならないほど、リフェンナを人間扱いする者が増えた。

 ひとでなし、ひとでなしだと自ら言い続けてきたのに、悪さばかりで生きている者たちに慕われてしまっている。

 それも、リフェンナの都合のいい勘違いでなければ、その好意はとても純粋なものだ。嬉しいのか、それとも他の感情なのかはわからない。

 とにかくこの状況が数年前まではありえないもので、自分がほんの少し戸惑っている、ということだけは確かだ。







 店に戻れば、弟子の少年が読書をしながら店番をしていた。

 たいして客の来ない店である。見た限り、今日も誰も来なかったのだろう。

 それでいい、と思う。もともとリフェンナ一人で切り盛りしていた店で、弟子を取る前は気まぐれで店を開けたり閉めたりしていた。

 客は来ない方がいい。厄介なだけだ。


「早かったですね、先生。マトラドといちゃいちゃできましたか」

「……リーフィール、おまえはいつからそんなことを言うようになったのよ」


 リーフィールと呼ばれた弟子は、ちらと師であるリフェンナに目を向けただけで、またすぐに読書に集中しはじめた。愛想のない弟子だ。


 夜色の髪と瞳を持つこの少年を弟子にとったのは、三年ほど前のことだっただろう。

 路地でボロを纏っていた姿に惹かれ、連れ帰って弟子にした。あの頃に比べれば同一人物だとは思えないほど、リーフィールは綺麗な少年になったし、性格も立派にひねくれた。


 このところずっとリーフィールに店を任せていたため、たまには減りも増えもしない在庫の確認でもしてみようと、無造作にディスプレイされた多種多様な小物を見て回る。

 とても小さな店だから、溢れている商品が客に圧迫感を与える。薄暗いし、置いてある商品は一目では用途のわからない奇妙なものばかりだ。

 何より、リフェンナの店は、表に看板を出していない。よって、ここが店であることすらほとんど知られていない。


 ここにあるすべての商品は、リフェンナによって作られた魔法道具である。

 暇つぶしに作っては増えていく道具を、適当に売って処分している。それがこの店だ。

 他の仕事の収入で生活には困っていないから、店は本当に暇つぶしであり、気まぐれの商売である。


 在庫は片手で足りる程度しか減っていなかった。まあそうだろうな、と特に気にすることもなく、リフェンナは奥の部屋に入っていく。

 奥は応接室になっており、特別な客だけを通すことにしている。店先にいるのはもっぱらリーフィールであるため、リフェンナはここに籠っていることの方が多い。

 窓のない部屋だから昼でも薄暗く、時間の流れを感じにくい。リフェンナはここに様々な本や道具を持ち込んで、二階の自室より好んで使っている。


 居住スペースは二階で、リーフィールと二人で暮らしている。水回りはもちろん一階だ。応接室の隣の部屋が台所と居間、その更に奥には小さな風呂場がある。


 応接室を通り過ぎ、久々に自分で茶を淹れて、リーフィールにも持って行ってやる。すると彼は純粋に驚いた顔をした。

 リフェンナの顔と、淹れたての紅茶を交互に見てから、「毒でも入れたんですか」と言った。


「失礼ねえ、バカ弟子のくせに」

「誰がバカですか」

「いらないならいいのよ」

「……ありがとうございます」

「よろしい。普段からもっと素直でいなさいな」


 カップを渡し、リフェンナは応接室に戻った。

 奥への扉を閉める直前、ちらと振り返って見た弟子の口元の緩みを微笑ましく思う。

 弟子がひねくれてしまったのは、師たるリフェンナがひねくれきった性格をしているからだろう。少なからず責任を感じているし、罪悪感もあった。


 机の上に積み上げられた書類を乱暴に床へ落とし、ティーセットを置く。

 ばさばさと結構な音が響き、埃が舞い上がるのが見えたが、構わない。カップに入り込んだ塵は息を吹きかけて飛ばし、ポットから色の濃い紅茶を注ぐ。

 紅茶は渋いくらいに濃い方が好きだ。腰かけて口をつければ、いい具合にまずかった。今回も上手くできた。


 こんなにまずいお茶をもらってくれる上に、お礼まで言えるリーフィールは、本当はよくできた子なのだろう。

 普段からなんだかんだ言ってもちゃんと他人の好意を受け取り、感謝ができる少年だ。

 ひねくれてしまったけれど、その芯はまだ曲がっていない。魔法使いを目指す以上、ある程度はひねていないと他の魔法使いと渡り合っていけないだろうが、世間とともに生きるには、このままでいてほしい。

 リフェンナのように、わざわざ他者との関わりを絶つ必要はない。


 まずいまずいと思いながら、背もたれに体を任せきる。

 金を惜しまず妥協せず、こだわって職人に作らせたこの椅子は、何時間座っていても体が痛くなりにくい。


 やることもなく、ひたすらにお茶をすすりながら、部屋の壁に並ぶ本の背表紙を眺める。

 作りつけになった本棚は、入口付近以外はすべて本が詰まっていた。リフェンナの師であった魔女の残したものである。

 四百年も生きていながら、リフェンナはこれらの半分も読んでいない。


 不死になって無気力になった。

 もともとそうなるために魔女を目指したのだから、それを悪とは思わない。

 選んだのは自分であり、目指したのも自分であり、責任を取るべきは自分だ。後悔はない。



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