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 祭りが過ぎて、約束の三日が経った。


 朝からリーフィールに落ち着きがない。歳のわりに大人びている弟子だが、やはりまだ子どもだなと少し安心した。

 同時に、この子どもを置いていく自分が恥ずかしくなる。

 これでは、アドルヴェリアと変わらない。

 魔法使いの弟子となった時点で、リーフィールは覚悟の上だっただろうけれど。


「リーフィール」


 正午過ぎ、弟子を応接室に呼び出して向かい合う。


「待たせたわね、ちゃんと全部話すわ」


 以前のようにまずい茶を淹れて、差し出す。

 リーフィールは見たことがないくらい神妙な顔をした。


 誤魔化しても仕方がない。

 リーフィールの性格上、回りくどく言うのも嫌われてしまう。突き放して裏切って、自分を憎んでもらおうと思っていたが、三日置くことでリフェンナの中に躊躇いが出てしまっていた。

 まったく、あの男のせいでここまで人間臭くなってしまった。リフェンナは、ひとでなしの自分をそれなりに気に入っていたのに。


「来年の祭りの日に、おまえを魔法使いとして正式に認めるわ。修行は終わり。そして私はお役御免。たったそれだけのことよ」


 つとめて明るく話せば、リーフィールは呆れたため息をついて、何かもごもご喚きながら頭を抱えた。


「三日も待てって言うから、もっとまともに、もっと真剣に話してくるんだと思ったのに。だから身構えたのに……」

「おまえも薄々わかってたんでしょ。そんな相手に、真面目に話せると思うの」

「これだから先生は……。弟子の気持ちを考えてくださいよ」

「そうは言っても、私が魔法使いの弟子だった時代は、もうずいぶんと前のことだからね。それに、私の師匠はもっと変だった」

「そういうことじゃないんですよ。先生の師匠がどんな人だったとか、どうでもいいんです。年寄りの悪いところですよ」

「確かに。ごめん。でも、わかってほしいのは……そう。私は私の勝手でおまえをひとりにするから、偉そうにすることも、悲しい顔をすることも許されないってこと。それだけは、わかっていてほしい」

「……わかってます。はあ、変な先生を持つと弟子は大変ですよ、もう」


 リーフィールはそうは言ったが、少しだけ震えているように見えた。それに気づかないふりをして、カップの中身を飲み干した。


 最後まで、勝手な師匠でいよう。

 この三日で決めたのは、それだけだった。弱みをいくら見せようと、リフェンナといえば自分勝手でひねくれもので、何よりひとでなしだったと、長年つみあげた評価を守ろうと決めたのだ。


 それはリーフィールのためではなくて、やはりリフェンナ自身のためだった。

 これからリフェンナは、魔法使いとしての立場を失い、ただの人間になる。

 生家は未だ続いてはいるし、こちらの存在も認識して、交流もある。しかしそこに戻るわけにもいかない。

 ただの人間として、四百年ぶりに生まれ直すのだ。この体のままで。


 一切の魔女としての存在が世界から消える。

 恐怖こそないが、虚しさは否定できない。せめて最後まで『魔女リフェンナ』という存在であり続けることで、空になっていく器を保っていたい。


 弟子はそんなリフェンナの考えをわかっているのか、いないのか。

 どうであれ、リフェンナは弟子を置いていく。他の何もかもと同じように。


「……おまえにも、教えておくわ。魔法使いとしての人生を手放す方法を」


 ずきずきと頭が痛む。

 深く呼吸を繰り返し、痛みをいなしながら、リフェンナ自身が教えられた日のことを思い出す。

 遠い記憶は掠れ、ぼやけ、定かではない。それでも決して忘れてはならない、不死者にとって最も重要なこと。


「何かを始めるなら、それをやめるための方法から学ばなければならない。魔法も同じ。終わりありきの始まりよ。終わらないものは始まらないの。始まらないものが終わらないように。これから話すことは、前にも一度だけ簡単に話したけど、絶対に忘れないで。他の何を忘れても」


 師の珍しい真剣な表情に気圧されたのか、わずかに怖気づきそうな表情をしたリーフィールだったが、けれどしっかりと頷いた。


 リフェンナは語る。


 不死の魔法は、弟子を取った時点から解けはじめていく。気づかないうちに少しずつ少しずつ、人間に戻っていく。

 その速度は個人によってまったく異なり、唯一共通するのは、かたく「魔法使いをやめる」と決意した瞬間から加速するということだ。


 不死の魔法は精神に依存する。しかし、やめると決めてしまえば、もう二度と魔法使いには戻れない。

 どんなに強くやめたくないと思い直したとしても、一度決めたことは覆せなくなるのだ。後を継がせる前に弟子が死んでしまわなければ、絶対に。


 まず、体のあちこちが発作的に痛むようになる。予測はできず、どんな薬も効かない。

 その後、痛みの発作が減ると、今度は不眠を患うようになり、それをこえると次は過眠になる。


 痛みの期間が最も長く、やめると決めたら早めに国王に報告へ行かなければならない。

 国側の処理もあるが、一番は儀式の日取りを決めるためだ。日取りを決める、というのが重要で、決定すればその日に向かって魔法がほどけていく。決まらない間はずっと痛みの発作に襲われてしまう。


 そうして、弟子にその地位を譲る儀式を行ったその日に、完全な人間に戻ってしまう。


 とても簡単な流れだ、とリフェンナは言った。

 端的に言えば思うだけでやめられる。けれど、心の底から思っていなければ、絶対にやめられない。

 魔法が解けはじめることも、自分では気づけないことも多いし、他人からはもっと気づかれない。


「だから、魔法使いに、不死になる前に、どんなことがあったらやめるか決めておくの。そうしてずっと忘れないでいれば、ある程度わかりやすくやめられるわ。あまり苦しまずに済む」

「先生は、どう決めておいたんですか」

「私は……決めなかった。ずいぶんと叱られたけど。絶対にやめないつもりで魔女になって、だからずるずるここまで生きてしまった。やめるタイミングを逃したのよ。おまえはこうならないように」


 儀式を終えて、師にリーフィールと同じようなことを聞かれ、同じように決めなかったと答えたときの、呆れかえった目を思い出す。盛大なため息と共に「あなたならそうすると思ったわ」と頭をはたかれた。


 師からはそれきりで、特別叱られた気も、直接の言葉もなかった。

 けれど他の魔法使いたちがうるさかった。そんな風だとすぐにやめてしまうだとか、まともに言うことも聞かない役立たずだとか言われたが、今となっては笑ってしまう。

 そんなことを言ってきた彼らは、もう誰も残っていない。参列者の少ない彼らの葬式は味気なく、かつて国の一部を背負って立っていたとは信じられなかった。

 長く生きすぎた者の結末など、そんなものだ。


 それから、リーフィールにはこれまでにないほど、個人的な話ばかりした。

 これまではあえて避けてきたが、リフェンナの人生はここにきて隠すほどのものでもない。誰かの記憶に残りたいわけではない。だが、これから長く生き続けることになる弟子の役に立つことが、どこかにあるかもしれない。そんな思いからだった。


 きりのいいところで話を終え、ティーセットを片づけようとすると、リーフィールが尋ねてきた。


「マトラドには、もう言ったんですか。一年後に、魔女をやめて人間になる、って」


 それだけは訊かれたくなかったなあ、と苦笑しつつ、きっぱりと答える。


「言ってないよ。言うつもりもない」

「どうして……。それじゃ、行く当てがないじゃないですか。ここにはいられないんですよね」

「うん、ここにはいられない。ここどころか、王都から出なきゃいけない。魔法使いをやめたら、身元の引き受け先がないと王都での生活は続けられないって、よく覚えておくんだよ。王都に居続けたかったらやめる前にしっかり身元引き受け人を探しておくこと。いいわね」

「誤魔化さないでください。なんで言わないんですか。言ったらすぐになってくれるでしょう、あの男なら」

「だからだよ」


 思わず、声が低くなってしまう。


「だから、言わないのよ。あの男はきっと私を受け入れてくれる。だからこそ、私はあの男に知られないまま、勝手に消えるのよ」


 わけがわからない、と言いたげな顔でこちらを見る弟子に、にっこりと笑顔を向けてやった。応接室を出る。その後ろをリーフィールが追ってきて、なんでですか、と繰り返した。


「ガキにはわかんないわよ。もうちょっと大人になったら、きっとわかると思うわ」


 何の気なしに言った言葉だった。しかし、ぴたりと弟子が動きを止める。

 それを見て、あ、と気づく。


「……ごめん」


 この子はもう、大人にはなれない。

 来年、たった十四歳で、不死になるのだ。儀式が行われたら、弟子の時間はその時点で止まり、次に動き出すのがいつかは見当もつかない。


 もし、魔法使いをやめ、不死を終え、人間に戻ったとしても、生きられるのは十年かそこらだ。

 長い時間を不死のまま生きた代償として、人間に戻れば虚弱で短命になる。


「……いいんですよ。弟子になるって、最後に決めたのは、僕自身ですから」


 それは本心からの言葉ではあるのだろう。落ち込んだ声だったが、震えてはいなかった。


 リフェンナは二十五で不死になった。

 弟子入りしたのは九つのときだったが、師が変わり者で、最も長い修行期間として未だに記録が更新されていないくらいだ。

 充分に人間としての経験も積んだうえでの不死だったため、ある程度、人間としての自分を捨てる覚悟はできていた。その上、未練はもとよりなかった。


 けれど、リーフィールはまだ十三だ。

 いくら自分で決めたこととはいえ、少しのためらいもないとは言えないだろう。まして、彼にはリフェンナの弟子になる以外の選択が残されていないも同然だった。


「大丈夫ですよ、先生。僕は、一人でもやっていけますから。誰かさんのおかげで、生活力は充分に身につきましたからね。ほら、しかも僕って、かなり賢いじゃないですか」

「……どこでそんなに生意気になっちゃったのかしらね、このバカ弟子は」

「鏡見たらわかるんじゃないですか、僕がこうなった理由」


 笑顔は嘘ではない。

 そのことに安心して、リフェンナは心の中で、ごめん、と呟く。ただの人間だった頃も、不死の魔女である今も、少しも成長せずリフェンナは身勝手な女だ。


 自分の短所がわかっていてなお、正そうとしない。

 何よりそれがリフェンナを最低たらしめる要素であると、自覚はある。


 弟子は本当に賢いから、これからの一年で、すぐにたくさんの魔法を覚えるだろう。

 今だってもうほとんどのものを覚えてしまっているのだ、あとは応用の仕方を教えるのみだ。


 恐ろしいのは、彼が覚えたほとんどの魔法は、彼自身が本を読んだり師の姿を見たりして身につけたものである、ということだ。

 リフェンナは基礎くらいしか教えていない。実践こそ師の前でのみ行うようきつく言ってきかせたが、単純な知識量は、もはやリフェンナを超えているだろう。

 リフェンナが感覚派であり、リーフィールは理論派である、というのもある。


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