保線員Kさんの話
俺たちは、基本、車両が動いていない場所や時間帯に働いている。いわば鉄道の裏方だ。
列車を走らせているのは運転士だが、その安全を守っているのは俺たち技術職なんだ。
俺の仕事は軌道の点検と保守。
深夜、終電が行って駅が閉まった後にメインの仕事が始まる。軌道内を実際に歩いて、レールや枕木に異常がないか調べるんだ。
もちろん一晩で全区間をチェックするのは無理だから、日ごと、班ごとに区間を決めて、何日もかけて確認していく。日によると数キロも歩くこともあって、なかなか体力的にきつい仕事だ。しかも作業が遅れると、翌朝の営業運転に影響するからな。常に迅速かつ丁寧が求められる。
それでも、真っ昼間の作業よりはだいぶマシだと思ってるんだ。
特に高架区間は、夏は暑いし冬は寒い。だが、夜間だけで終わらない作業なんかは、運行ダイヤの隙間を縫って昼間にやらざるを得ない。
もちろん事前に周知はするし、列車がやってくる時刻には軌道から退避するんだが、場所によっちゃ作業している目と鼻の先を百キロ近いスピードの快速が通り過ぎていくんだ。一歩間違えたら、と想像したらだいぶヒヤっとするよ。
ああ、怖い話ってそういう意味じゃないのか……。
うーん、期待に添えるような怪談じゃないんだが、保線員の間では有名な話をひとつ。
さっき言った夜間作業で、地下区間のトンネルに入ることも多い。そんな時は、レールの点検に使う工具の他に、溶剤とスポンジを持参していくんだ。
何でかって? 落書きを消すためさ。
トンネルの壁面に、時たま落書きされてることがあるんだよ。
どんなって……まあ、子供の絵だよ。へったくそな人間やら、花やら、動物やら……電車もあったかな、幼稚園児が自由帳に殴り書きしてるようなやつ。
妙だろ、地下鉄のトンネルの壁に子供の落書き。
区間に拘わらずいろんな場所に出てくるんだが、決まって線路から一メートルくらいの高さに書かれてるんだ。ちょうど子供の手が届くくらいの位置だろ? しかも画材は全部クレヨンときてる。
車両の窓から見えるわけでもなし、害はなさそうなんだが、ほっとくわけにもいかない。子供のいたずらとはいえ、立派な建造物等損壊罪だからな。
で、見つけたら、保線作業の傍ら手分けして消してるんだよ。
いやいや、外部から侵入なんかできないよ。トンネルに入るには地下駅のホームから軌道に降りるしかないが、そんな奴がいれば監視カメラに写ってるはずだ。
でもな、絶対に書いた奴はいるんだ。だって、俺は犯人らしき奴を見かけたことがあるんだからな。
去年の……夏頃だったかなあ。時刻は二十四時を過ぎてたはずた。
トンネルの中は一定間隔で蛍光灯に照らされている。レールの様子を確かめながら歩いて行くと、五つか六つ先の照明の下に、人影がいくつも見えた。
一瞬、別の班の奴らと鉢合わせしたのと思ったが、今夜この路線の点検に入っているのは俺たちだけのはずだ。
不思議なのは、蛍光灯の下にいるのに、そいつらの姿ははっきり見えないんだ。視力? 両目とも一・五だよ。馬鹿にするな。
どんなに目を凝らしても、人の形をしていることしか分からない。まるで影絵みたいだったよ。ただ、そのどれもが小さかったから、やっぱり子供だと思った。
もちろん怒鳴りつけたさ。こらあーっ! って。
いくら送電が止まっているとはいえ、こんな所で遊んでちゃ危ないじゃないか。作業の邪魔にもなるしな。
そうしたらそいつら、蜘蛛の子散らすように逃げていった。十人はいたんじゃないかな。きゃあきゃあ笑ってる声が聞こえた。
何人かで追いかけたが、とても追いつけなかったよ。足場の悪いバラストの上なのに、あいつらすばしっこいったら……案の定、その辺りの壁には落書きが残ってたよ。
まったく、ただでさえ人手不足の職場なのに余計な手間をかけさせてくれる。
え? そいつら何者かって?
知らないよ。知ってたら親の所に文句言いに行くよ。
たぶん外から来ているんじゃないんだと思う。
そこに住んでるんだよ。もしかしたらここに鉄道が引かれるずっと前から。
昼間は電車が行き来してるもんだから、夜中に遊んでるのかもしれないなあ。それ考えると、ちょっと気の毒か。
いずれ大きくなって余所に行ってくれればいいんだが、この路線が開業した当初からいるらしいんだよ。なかなか成長しないのか、それとも世代が変わってるのか、どっちなんだろな。
俺が見かけたのはその一回こっきりなんだけども、落書きは相変わらず続いている。
そうそう……最近、ヘルメットを被った人間の絵をよく見かけるようになったんだ。目を吊り上げて口を開いて、怒った顔してんの。
これどう見てもKさんでしょうって、若い奴に笑われたよ。俺あんなに怖い顔してるかな。




