駅員Nさんの話
私はまだ入社して三年なので、怖い体験や不思議な出来事に遭遇したことはありません。
それよりも酔客に絡まれる方がよっぽど厄介です。特に金曜日の終電間際なんかは緊張しますね。女性駅員が増えたとはいえ、やっぱり私みたいな若い女は舐められちゃうんですよ。
なので、ホームのベンチで眠りこけてるお客様に声をかける時は、マニュアル通り距離を取るように十分気をつけています。
あ、ベンチで思い出した……こないだ一度だけ不思議なものを見ました。
一番線ホームの真ん中辺りにベンチがあるでしょう。あの、自販機の脇の。あれ五席あるんですけど、なぜかいちばん右端だけがいつも空いてるんですよね。
どんなに混雑している時間帯でも、他の席は埋まるのに、右端だけは誰も座らないの。おかしいでしょ? 普通は端っこから埋まっていくのに。
ずっと気になっていて、配属されて半年後くらいだったかな、H助役に訊いてみたんです。
そうしたら助役、あ、気づいた? って苦笑いして、
「あそこは優先席だから、たまにしか埋まらないんだよ」
って……。
ホームのベンチに優先席なんて設けてないのに、意味が分からなかったです。その後すぐに窓口に乗り越し清算のお客様が来たので、その話はそれで終わっちゃいました。
で、変なものを見たのはその次の週です。
朝のラッシュ時間帯で、私はいつものように旅客の整理とホームドアの安全確認に目を光らせていました。
駆け込み乗車を注意して、二番線ホームで満員に近い上り列車を見送って――ふと、向かいの一番線ホームを見たんです。
下り線のホームは閑散としていました。まばらなお客様はほとんどホームドア前でスマホをいじっていたのですが、ひとつだけ、あのベンチに座っている人影が見えました、
それも右端の、あの空席に。
私、アナウンス用のマイクを持っていなければ、わあっと声を上げていたかもしれません。
そこに座っていたのは、異常に背の高い人でした。ネクタイを締めたスーツ姿の、ごく普通のサラリーマン風なんですが、長身……というか、文字通り『体が長い』感じ。
腰を下ろしているはずなのに、上半身は手前に立っているお客様より高く、窮屈そうに折り曲げた両脚なんか私の脚の倍はあったんじゃないかな。しかも全身が針金みたいに細いの。
その人はベンチに座って、ぼーっと斜め横を向いていました。発車票の時計を見ていたんじゃないかと思います。
「お、久々に座ったなあ」
ラッシュ対応の応援に入っていたH助役が、私が質問した時と同じ苦笑いをしました。
「すぐに振替輸送の依頼が来るよ。忙しくなる」
助役の予言通り、その直後に指令センターから他社線の振替輸送依頼が入りました。X線で人身事故があったのだそうです。
この駅にも振替の通勤客がどっと押し寄せて、てんてこ舞いになりました。ベンチの長い人を気にする余裕はなくなって、落ち着いた頃に見るともういなくなっていました。
後でH助役に訊いたところ、この駅に影響が出る輸送障害が起きた時に限り、あのベンチには何かが座っているのだそうです。
私が見たような背高のっぽだったり、逆に球体に近いようなおデブさんだったり、いろんなのが座ってるって。全身が異様に黒い人とか、青い人とか、手足が昆虫みたいな人とか……ちょっと想像もつきませんが、頭だけぱんぱんに膨らんだ女性が座っていたこともあったとか。
人身事故で亡くなった方の幽霊ですか、とこわごわ尋ねたら、たぶん違うって言われてほっとしました。私オバケ苦手なんですよう。
人身に限らず、ただの車両故障や信号異常や天候不良で電車が止まる時も、やっぱりそういったものが現れるらしいんです。
気味は悪いけれど別に害はないし、他のお客様は気づいていないみたいだし、何より振替依頼情報が予測できて便利なので、この駅では昔から黙認しているんだって。
「たぶんあれも振替のお客様だと思うよ。ちゃんと改札通ってるかどうかは知らんけど」
H助役はそう言って笑ってました。
でも、めったにうちの駅を利用しないくせに、優先席をキープしとくなんて図々しいですよね。
今度見かけたら、振替証明書を持っているかどうか確認してみようと思っています。