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『拝啓、マチルダお姉さま。あまりお話しする機会がありませんでしたが、お姉さまがどこにいてもエルデは応援しております。なにか不安な時は、お手紙をエルデにお送りください。
エルデより』
そうやっとこさ手紙をエルデは書き終えた。意地悪なマチルダが喜んでくれるとは思えないが、出来上がった手紙と熊の小さなぬいぐるみは、ランアイロに頼んでマチルダに渡してもらうことにした。
その日も一人本を読んだり刺繍をしていると、あまりみたことない父付きのメイドの女性がエルデのもとへやってくる。
「エルデ様、旦那様がお呼びでございます」
父からの呼び出しなんて滅多にないことだ。嫌なことではないといいがと、エルデは全身冷や汗をかいた。
美丈夫の父は、あまり表情を変えない。笑顔もエルデは見たことがない。そんな父は眉一つ変えずに告げる。
「シャーロッテ侯爵家で、お前は働きに行くことが決まった。粗相がないようにな」
侯爵家でメイドするなんて、エルデは全く自信がない。内心の動揺をおさえて、「かしこまりました」と答える。
緊張で胸がどきどきした。
「お前は最後まで笑わなかったな。主人の前では少しでも笑うようにしろ。この家の名がかかっているんだぞ」
「は、はい。あの、笑おうと努力しているのですが、どうしてだか笑みを浮かべられなくて。
頑張ります」
「笑えない?楽しいことでも考えてみれば、笑えるだろう?お前は器用よしではないんだ。なるべく愛想を使え。私もそうしてきた」
「はい」
父親が心配してくれているのか?こんなに長く父親と話したのは、エルデは初めてだ。まぁ、家のためで、決してエルデのことを思ったのではないのかもしれないが、エルデは少しうれしくなった。父親と話すのもこれが最後の可能性が高い。なんとなく覚えておこうと、エルデは父親の顔を見つめ、お辞儀した。
「もういけ」
そう言って父親が手を一回はらうので、エルデはもう一度お辞儀をして部屋を出た。
確かに少しも微笑まないのは、仕事で支障をきたすのかもしれないと、エルデは部屋に戻って鏡の前で口角をあげる練習をしてみるが、あがらない。楽しいことを想像してみるが、まったく表情筋が動かない。疲れ果ててエルデはベッドに倒れこんだ。
「はぁあ」
エルデは食べることも、笑うことも、正直好きではなかった。
少しでも好きなことをして笑おうと、エルデは屋敷の周辺を散歩することにした。一時期部屋の外に出ようとすると、乳母のランアイロは、奥様の許可が必要だと言い張って、なかなか許しはでなかったが、最近屋敷の周辺だけエルデは散歩することを許された。
エルデは屋敷のすぐそばにある池で鳥や自然を眺めるのが好きだ。
「ランアイロ、少し散歩に行きたいの」
「余計な真似をしなければいいですよ。私は少し出かけるところがありますので、三十分ほどで早く戻ってきてくださいね」
ランアイロも最初はよくエルデの行動を見張っていたが、最近はすぐどこかへ行ってしまようだった。
さっそくエルデは図鑑やノートを持ち、湖へと向かった。
虫の鳴き声に草木の匂い。エルデは自然と自分の心が、落ち着いて沸き立つのをかんじる。本当は昆虫をとらえて観察をしたいが、そんな道具もないので、無理だ。
池のそばの草むらの上に布を敷き、さっそくエルデは湖にやってくる鳥のデッサンを取りながら、図鑑の鳥の名前と種類を調べて始める。
この屋敷を出るのはもう仕方がないことだが、この湖を離れることは本当にさみしいことだった。
時間を忘れてエルデはデッサンをしていると、予期せぬ人の声がかかる。
「君は何をしているんだ?」
美しい金髪と見たことない深い緑色の瞳の、マチルダの婚約者のレイスがそこに何故か立っていた。