20話
握り飯を片手にため息を吐いた。この案件、責任が重過ぎる。
私は長く政治に携わってきたしいろんな仕事を経験したけれど、事今回に限っては経験も無ければ上手く解決できる自信も無かった。まずはそもそも幽霊って存在するの?という疑問からのスタート。
「いや、幽霊など人間が作ったまやかしですよ。やはり集団的な心理作用で―――」
「磁場の関係では?」
「共振現象が―――」
「麻薬が流行している可能性も―――」
「それなら流行病だってあり得る。幻覚が起こる病といえば―――」
移動中ずっと議論は続いていて頭が痛くなってきた。議論は大切だけど現場を見ないことには何もわからないのに。
「もうすぐ着くからな」
ゼンは心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
「ええ、大丈夫よ」
長旅は割りと慣れている。ただし、知識人たちの議論を延々と聞かされるのには慣れていないだけで・・・。こんなことになるなら別の馬車を用意すればよかった。大所帯だからケチッたのが悪かったわね。
森の中を通り過ぎるとようやく目的地が見えてきた。木に囲まれて聳え立つのは石を積み上げて作られた大きな砦。一見城にも見えるそれは中でドローシアとヤルマの二国間を行き来できる造りになっており、ここで働く人々のための住まいとしての機能や砦としての役割も兼ね揃えてある。
見た目は石でゴツゴツして味気なく、中へ入っても景色は大して変わらなかった。天井も床も壁も全部石。どこを見ても石。城のようにカーペットを敷いてもいないから歩きづらいったらない。まあ普段はヒールを履いた女性がここへ来ることはないから仕方ないんだけども。
「こちらです」
ゾロゾロと部下たちを引き連れ、ヘレンに案内されるがままついて行く。廊下もやっぱり薄暗くて幽霊が出そうな雰囲気がないこともない。出るって言われたら本当に出そうな気もしてくる。
「どうぞ」
ヘレンは立ち止まり扉を開けて私たちに中へ入るよう促した。私は皆にここで待つよう手を掲げて指示を出し、ゼンとフィズのみを連れて部屋の中へ。
「え?」
「え?」
「え?」
ここの所長が現れると思いきや、私たちを待ち構えていたのは見たことのある顔―――。
「なんで居るの?」
「そっちこそなんで?」
お互いに指差しながらまじまじと顔を見合わせてしまった。こんな偶然ってアリなのかと。
彼はかつての婚約者、フランシス。私の初めての恋人でもあり初めての婚約者でもある、“私の黒歴史その1”だ。腰まで長かった金の髪は肩下までバッサリと切られているけど昔の面影はちゃんと残っている。
フランシスはいやあ、と困り顔でポリポリと頭を掻く。
「まさかレイラが来るとはね。てっきり王妃様辺りが来ると思ってたから」
「悪かったわね、私で」
私は腕を組んでふん、と鼻を鳴らした。
「んで?そっちはなんでここにいるのよ。あなたいつ関所の所長なんかになったの?」
「違う違う。僕はただの代理。ここの所長が今回の事件で倒れてね、代わりに派遣されたんだ」
会いたくないから僻地に飛ばしたのに・・・なんたる偶然。
まあ仕方ないか。割と昔のことだからかそんなにショックもないし、この件が終われば私は城に帰るんだし。
「とにかく、問題なければ話を進めたいのだけれど」
「ええ、いいわ」
「じゃあとりあえずこっちに来てもらえる?」
フランシスに案内されて廊下へ出ると、再び細長く薄暗い道を更に奥へと進んでいく。
「最初に異変が起こったのは二か月くらい前なんだ。兵士の一人が夜間に白い影を見たって騒ぎだしてね。それからもう目撃証言が次から次へと」
「物が動くんですって?」
「うん」
歩きながら話していると、急に近くの部屋の扉がバタンと音を立てて閉まった。
え、何今の。
「ほらね、こんな感じで」
「誰か部屋にいるんじゃないの?」
フランシスは閉まった扉の方へ向かい、そのドアノブに手をかけて扉を開く。中はガランとしており誰の姿も無く、私の後ろに居る部下たちがわあわあ騒ぎ出した。
えー・・・。
「風で閉まったんでしょ」
「だったら隣の部屋の扉も動くはずだよ」
フランシスの言う通り廊下には似たような部屋がずらっと並んでおり、他の部屋の扉はピクリとも動いていなかった。まさか関所に着いて早々怪奇現象に遭遇するなんて。
「危険はないのか?」
そこで初めてゼンが口を挟んできた。
フランシスは肩を上下させて大きく息を吐く。
「あったり、なかったり」
「怪我人でもいるの?」
「ほら、これをご覧」
そう言ってたどり着いた突き当りの扉を開けたフランシス。扉の奥にはずらっとベッドが並んでおり救護室だと気づいた。ベッドの上には男性が数人―――。
「あ、一応レイラは入らないでね。流行り病の可能性もゼロじゃないから」
「病人が出てるの!?」
まさか病が原因で幽霊騒動が起こったんじゃ。でもそうしたらさっきの怪奇現象の説明がつかなくなる。
ゼンが突然グイッと私の手を掴んで引き寄せて来た。
「レイラ、危険だからすぐここから離れた方がいい。できれば関所自体の中からも」
「大丈夫だと思うよ」
そう言ってすぐに病説を否定してきたのは先ほど自分で病の可能性があると発言したフランシスだった。
「今倒れている人たちは皆幽霊を目撃している人なんだ。けど患者同士全く接触していない人もいる。もし流行り病だったら必ず出所があるしもっと感染者は固まっているはずだから。
実際ここでずっと看病している医師たちは一人も感染していない」
「症状はどうなの?」
「最初は顔色が悪くなって、嘔吐、頭痛などを訴えてる」
そう、と呟いて考え込んだ。
「とにかく関所の仕事の方は人員を増やせばなんとかなるわよね」
「うん」
けれどもこの幽霊騒動が解決しないことには問題は収まらない。私が連れて来たのは城の兵士や官吏たちなのだから、これは関所の仕事を滞らせないためのあくまで一時的な措置。
「とにかく、専門家に見てもらいましょう」
みんな聞いてちょうだい。と後ろを振り向いてそれぞれ話し込んでいた部下たちに声をかける。
「兵と官吏はすぐに関所の仕事の補佐へ。
学者の皆さんはそれぞれ各自自由に行動して調べてちょうだい。報告は一日に一回、朝の9時頃から会議にて伺います。
侍女は私の荷物を部屋まで運んで待機よ」
フランシスは「あ」と声を上げる。
「レイラ、君部屋はどうする?一応ここにも用意してあるけど、少し離れた場所でよければ泊まれる場所を外に用意できるよ」
「ここでいいわ」
わざわざ毎日通わなきゃいけないなんて面倒だもの。
「レイラ!」
ゼンが大きな声を上げて窘める。安全管理に厳しいゼンは外に泊まって欲しいんだろう。
「大丈夫よ、倒れたといっても数人でしょう?ここの人たちもほとんど無事なんだから」
「・・・危ないと思ったら無理にでも連れ出す」
「それでいいわ」
主人の安全を守るのが騎士の仕事。ゼンがそこまで言うならばゼンの判断に任せる。そう言うと彼は納得してそれ以上言ってくることはなかった。
疲れたので本日の業務は一足先に終えることにした。石造りの床を歩き続けたからか足が少し痛むので明日からはヒールでの移動はしない方がよさそう。
簡素な部屋だったが関所に豪華さなど求めていない私は気にならない。ヒールを脱いで固い椅子に座れば足を肘置きに乗せてくつろぐ。
「はー、やっと落ち着いたわね」
同乗者がずっとぴーちくぱーちくうるさかったんだもの。まあ専門家としては自分の名を上げるために活躍したくて必死なのはわかるんだけど。
侍女たちが私の脚を冷たいタオルでさっと拭いてくれた。あーきもちー。
「そっちは問題ないか」
「はい、大丈夫です」
ゼンとフィズは部屋周辺の安全確認を終えると揃って部屋の中へ戻ってくる。
「あなた達も休んでいいのよ」
長旅で疲れたでしょう、椅子はまだたくさんあるんだし座ったら?
そう言うとフィズは遠慮しますと一言だけ言い残して再び部屋の外へ出て行った。本当に態度が固いわフィズって。
一方ゼンはカチャカチャと食器の音を立てて食事の準備を始めた侍女の横に立ち、出された食事をまじまじと見つめた。
「変なものが混じってないだろうな」
「先ほど毒味いたしましたが特に何も無かったそうです」
「ならいいが・・・」
どこまでも心配性だな、とも思うけど王女として公式に訪問した以上はあまり気を抜けないのも事実。幽霊騒動が起こってるいつ何が起こるかわからない建物の中だから特にね。
「ゼンはご飯一緒に食べてくれないの・・・?」
一人は嫌だな、と座ったままお願いするとゼンは微笑んで頷いてくれた。やったあ。
ゼンがどかりと腰を下ろすのは私の向かい側の席。
「びっくりしたわねえ、まさかフランシスに会うなんて」
「そうだな・・・まさかだよな。相変わらず派手な人だった」
「そう?あれでも大分落ち着いたと思うけど」
昔はもっと言動が自信に満ち溢れていて人をどこか見下すような節もあった。容姿も頭も家柄にも恵まれた彼は常に人に囲まれていて人気者、要はカリスマ性があったということなんだろう。
フランシスとの交際は本当に楽しかった。馬が合うという表現がぴったりなほど出会ってすぐに意気投合して付き合うまでもそう時間はかからなかった。割と箱入りで育った私には彼の存在のすべてが刺激的で新鮮で、今までの交際経験の中で一番夢中になったのが彼だ。
「嫌なら言ってくれよ。すぐに別の場所に飛ばす」
ゼンが言うと本当にやってしまいそうで怖い。
「仕事だもの、別に気にしないわよ」
フランシスとの一件は私の中で消化しきっていると思う。会っても辛くもないし仕事に支障はないだろう。
テーブルに食器が並ぶのを眺めながら微笑んだ。幽霊だろうと過去の恋人だろうとゼンがいてくれれば何も怖くない。
ゼンはふう、と小さく息を吐くと「そうか」と言っていつものように笑ってくれた。





