15話
身支度を終えて時間になっても私は部屋から出られなかった。
「姫様、そろそろ時間です・・・」
「ええ、そうよね」
わかってるんだけど勇気が出ない。
ゼンは来てくれただろうか。一世一代の賭けの結果を知るのが怖くて、私は剣技大会が始まる時間になっても会場へ行くことができずにいた。こんなことしてても結果が変わるわけではないのに。
おずおずと私の様子を伺ってくる侍女たちに向かって言った。
「わかってるわよ。優勝賞品が現れないなんて駄目よね。行かなきゃいけないのはわかってるのよ」
はあ、と今日何度目になるのかわからないため息を吐き出す。
「そうだ、お酒飲んで行こうかしら」
「お酒を召し上がるならお食事になさってください」
「嫌よ。気分悪くなって吐くのが目に見てるもの」
こんな緊張状態じゃ胃は内容物を受け付けない。でもアルコールくらいなら飲めるから何も摂取しないよりマシでしょ、と侍女にグラスを催促すれば彼女はしぶしぶ用意を始めた。
ところが。
「はいはい、そこまで」
フィズが部屋の外からやって来ていきなり私の腕を掴み、否応が無しに私を部屋の外へ引きずり出す。
「ちょっと!乱暴よ!」
「優しくしてたらずっと引きこもったまま出てこないでしょう。自分が覚悟して決めたのならちゃんと自分で見届けてください」
フィズは正論魔でゼンみたいに優しくない。ああ、せめて一杯くらい飲みたかったわ。
ふくれっ面で会場まで引きずって来られると、その熱気に中へ入るのを戸惑うくらい圧倒される。人の多さもさることながら観戦している人たちの声が大きく響いて、去年まではなかった異様な盛り上がりに困惑した。
「なんだか入り辛い・・・」
ここで姿を現したら大注目を受けるに違いない。
「遅れるからでしょ」
正論だけどやっぱり優しくないフィズ。
しかし正論なんて今は何の役にも立たないわけで、私は結局柱の陰から会場を覗くことしかできなかった。そのままふくれっ面でいるとフィズから呆れたような大きなため息を吐かれてしまう。
「ご心配なさらずともちゃんと来てますよ、ゼンなら」
「本当!?」
「ほらあそこに」
フィズが指した場所を見れば確かに赤い髪の毛の人物が・・・。
ってゼン、私が陰から覗いてることに気付いてる。めっちゃこっち見てる。ってか怖い!
ゼンは背景に炎が燃え盛っているかの如くオーラを発しこちらを睨んでいた。あれは絶対怒ってるやつだ、しかもかなり。
私は真っ青になってフィズの肩の服を掴み前後に揺らした。
「ねえ、ゼン怒ってるんだけど!」
会えてすっごく嬉しい、と同時に恐ろしい。ゼンは私に求婚しに来たというよりも文句を言いに来た様子。これは後でとんでもなく長い説教を食らう予感がプンプンする。
「当たり前じゃないですか。ご自分のやったことをよくよく顧みてくださいよ」
「そ、そうよね」
卑怯極まりない呼び出し方をしたわけだから怒られるのも当然か。まあそれはいいわ、ゼンが来てくれたんだから。
彼に会えたという事実で顔に熱が集まるのが分かり、私は手で顔を仰いだ。ふう、落ち着かないと余計出辛くなってしまう。深呼吸、深呼吸。
「レイラ?」
後ろから聞きなれた声が聞こえてビクリと身体が飛び上がった。
「ぅぎっ!・・・父様」
恐る恐る振り返れば父様が私を見下ろし首を傾げていた。相変わらず今日も私の父様は素敵な男性だ。父親でなければ昔の私だったら即効で求婚していただろう。
「何をしている。早く入りなさい」
「はい・・・」
ドナドナ。売られる子牛の如く顔面蒼白でとぼとぼと父様の後に続き会場の中へ入る。シンと静まり返ることはなかったけれど父様と私が現れたことに気付いた人々は一斉にこちらを振り向いた。参加者にとって私はこれから勝ち取りに行く景品だ。そのねっとりとした独特の視線はかなり不快だった。
ええ、わかってるわよ。自業自得、因果応報ってね。
一番見やすい場所である王族用の観覧席の隅に立ち、少し高目の位置から戦っている人々を見下ろした。本来なら貴族のお遊びとしてや催される恒例行事だから今回は全く勝手が違う。今は2組の試合が行われている最中で去年とは違い見知った参加者はほとんど居なかった。
「座らないのか?」
父様に椅子を勧められたけれど首を横に振る。座ったら緊張の糸が切れて気を失いそうだったから。
「母様は?」
「怖くて見れないそうだ。・・・たぶん部屋でまだ泣いてるだろう」
「ああ・・・」
母には本当に申し訳ないことをしてしまった。女性として、また夫に愛される妻として、今回私が優勝賞品になるのは一番母様が辛かっただろう。あの人はちょっと臆病で怖がりだから余計に。
試合が進む度に心臓の音が徐々に激しくなっていく。過度の緊張からか耳鳴りやめまいも起こったが、その度に深呼吸を繰り返してなんとか乗り切った。しかし一秒一秒が身体に圧し掛かってくるかのように重く遅く感じるのは結果を知るのが怖いからだろうか。
それでも自分の行いが招く結果だ。私はドンと構えて受け入れなければ。胸を張ってここに堂々と立っているのは、私のなけなしのプライドの為せる業。
父様は戦いを控えているというのに椅子にゆったりと腰をかけて片手で頬杖をついていた。剣技大会は前年の優勝者の出番が最後の最後の一戦のみなのでそれまで父様は暇になる。その父様に挑戦するのがゼンだったらいいのにと思うのは過ぎた願いだろうか。
ん?待てよ?
よくよく考えてみると、最後に残ったのがゼンだとして、そうしたらゼンが父様に挑戦することになる。万が一ゼンが父様に勝ったら―――私はゼンと結婚することに!?
うわあああああああ!と頭を抱えて身悶えた。うっかりしてたわ、そこまで考えてなかった!ゼンから城まで会いに来させることだけを全力で考えていたからそこまで考えが至らなかった。・・・私の馬鹿。
「レイラ?」
「な、なんでもないです・・・」
深呼吸、深呼吸。
落ち着いて。色々考えるのは剣技大会が終わってからでいいじゃない。それにあの父様が誰かに負けるなんて想像してもできないくらいだし、ゼンが挑戦者となっても彼が勝てる確率はかなり低いと思う。
強いのは強いんだけどね。ゼンの試合が始まったため目を皿のようにして凝視するも、元々剣豪として有名だった彼は何の危なげもなくあっさりと勝ち進んでいた。ゼンが剣を振り回すのを久しぶりに見たけれどやっぱり強いしかっこいい。
ドクンドクンと鳴り響く心臓の音に、私はドレスの裾を強く握りしめて大きく息を吐いた。
「順調そうだな」
父様に声をかけられてビクリと身体が震えた。
え、順調そうって感想はゼンに対するものよね・・・?
「父様まさか・・・」
「ゼンを応援してるんだろう?」
「!?」
なんで知ってるのー!?
まさか私の恋愛事情を父様が把握しているとは思わず、いやまあ父様なら勘で大方バレている可能性は考えなかったわけではないけど、恥ずかしさのあまり息を詰めて声を押し殺す。
「レイラはゼンに勝ってほしいだろうが俺は勝ちを譲るつもりはない」
勝ってほしいというか、そこまで考えてませんでした。ただ会いたいがためにやったなんて言えず私は笑って誤魔化した。・・・ものすごく顔が引きつってたかもしれないけど。
「娘に自分より他所の男を応援されるのは・・・父としては複雑だが」
「父様は母様が応援してるからいいじゃない」
「いいや、今回に限っては穏やかではいられない。もし負けたら首を絞められそうな勢いだからな」
娘の嫁ぎ先が懸かってるものね・・・。
「レイラ、ゼンの試合が始まるぞ。見なくていいのか?」
「え?もう?」
さっき戦ったばっかりなのに。
「先ほどのは準々決勝で、次は準決勝だから」
「え!?もう!?」
試合進行が早くないか、と思ったけど元々私が会場入りした時間も遅かったし試合も二試合同時に行ったりしてたからこんなものか。
準決勝って、これに勝った方が父様に挑戦することができるってことだ。
父様は頬杖を突きながら試合の様子を見下ろした。
「まあ予想通りだな。ゼンと、ノースロップのリフガン王子」
「あの人王子なのね」
ノースロップ王家の特徴である緑色の髪の男は、すらっとした目元の涼やかな青年。けれど体格はガッチリしており背の高さはゼンと変わらないのに横幅は大きい。
「王家の次男坊だ。前に一度手合わせしたことがあるがいい腕をしている。ゼンといい勝負なんじゃないか?」
ノースロップの次男、と言えばグレスデンでやたら見合い相手に推されたあの人物だろうか。
どちらにしろ、ここまできたらゼンに勝ってほしいと思うのが正直なところ。人目が無ければタオル振り回してでも応援したいくらいの気持ちはある。・・・っていうか本当にタオル振り回して絶叫しながらゼンの応援してる人がいる。―――シージー・・・・。
審判の掛け声と共に試合が始まると、喧噪の中でも剣が合わさる甲高い音が響いてきた。一応刃を潰してあるものを使用しているはずだけどあの勢いで切られたら無傷では済まない。拳を握りながらゼンが怪我しないよう祈りつつ、直視するのも怖くて剣が打ち合う度に思わず目を瞑ってしまう。
ゼンの肩に蹴りが入った。痛そうっ・・・。
ゼンに攻撃は入る度に血の気が引いた。こういうのは見慣れていると思ってたんだけどまともに直視できないくらいに怖い。試合が長引いてくると、ゼンを応援するよりももうなんでもいいから早く終わってほしいと思うほどに。
「見ないのか?」
「どうなった?終わった?」
「そうだな・・・、ちょうど終わったようだ」
「勝ったの!?」
「一応勝ったが・・・」
一応?
顔を覆っていた手の隙間から恐る恐る覗いてみれば、男二人に支えられながら引きずられるようにして会場を出て行くゼンの姿が見えた。遠目で見たゼンはぐったりしており顔が険しく歪んでいる。
やはり怪我をしたみたいだ。あれだけ蹴りが入れば無傷なわけがなかった。
「父様、私ちょっと・・・」
「行きなさい」
いてもたってもいられず、私はゼンの向かった場所へドレスの裾を抱えて走り出した。





