半端者達の陣取り合戦
四角い木目タイルの目地に合わせてテープを貼る。
数メートルに渡る一つの線は、領土を区切る境界線だ。
乱雑に置かれた物品類で狭かった世界は綺麗に2分に分割された。
「この線からこっちが俺の陣地。向こうが、そっちの陣地な」
「異議無し」
そっけない返事にどこか疲労の色が見える。
当然だ、さっきまでお互いにベストポジションを得ようと交渉していたのだ。
結果として望んだものは得られたが、また奪われたものも多い。
それは相手もそうだろうが。
「念のため、確認するぞ。まず、お互いの陣地には緊急時や正当な理由がない限り、物品及び自身の侵入はしない」
指を立てて確認する。
大事な事だ
「2つ。この部屋のコンセントの権利は上下で使用を別ける。ただ、差込口がこっちの陣地にあるから、この部屋に有った延長コードを壁沿いに伸ばして使用する」
偉そうな事を言っているのは理解している。
コンセントというより電気は、自分達ではなく学校が料金を支払って利用しているのだ。
だが、携帯電話の充電の可否は学生にとって重要である。
気軽に充電ができる場所は自宅を除けば多くないのだ。
「3つ。施錠は最後に残った方が行う」
部屋の利用こそしているものの、正式に利用をしている訳ではない。
お互いに不法に侵入し、空いている隅のスペースで好き勝手しているに過ぎない。
とはいえ、少々私物を置いているので盗難防止を行う必要はある。
「4つ。この部屋で快適に過ごせるように、過度な騒音やゴミの散乱等は行わない」
元から置物によって埃だらけの部屋ではあったが、だからこそ利用可能な僅かなスペースを損なわないよう利用する必要がある。
それに、放課後を落ち着いて過ごしたいのに、隣でデスメタルを大音量で垂れ流しにされでもしたら感情を抑えられる気がしない。
「最後に5つ。お互いにこの場所は秘匿し、快適な放課後が送れるようお互い協力する」
ただでさえこの部屋の利用可能なスペースは少ない。
それを2人で分割したものだから、更に狭い。
これ以上人が増えれば、落ち着いて過ごすどころの話ではない。
昔に複製された2つの鍵は自分と相手が持っているとはいえ、どこから情報が漏れるか分からない。
高校デビューだが何だか知らないが、不良染みた厄介な連中に目を付けられる事態は避けたい。
「以上だな。何か異論はあるか?」
「特にない。それじゃ」
それだけを言うと、陣地の奥に座り込む。
そして持ち込んだ私物であろう書籍を読み始めた。
図書室を利用すれば良いとは思うが、わざわざこんな場所で身を隠しているのだ。
何かしら面倒くさい理由でもあるのだろう。
「……俺も寛ぐとするか」
余りにもそっけない態度に面食らうが、プライベートな時間を邪魔されたくないのは自分も一緒だ。
イヤホンを装着し、繋いだ音楽プレーヤーを操作する。
聞き慣れた音楽に身を浸しながら持ち込んだ携帯ゲームで遊ぶ。
完全下校までの数時間、俺達はそうして過ごしていたのだった。
●
百均で買える安物ではあるが、これほど絶望を叩きつけてくるとは思わなんだ。
「ちょっと待った。一手差し戻してくれ」
「駄目、既に3回を越えた。それに差し戻しても最短5手で詰みになる。時間短縮のために投了を勧める」
無常に告げられる声に言葉を返せない。
既に持ち駒の半数は寝返っている。
いくら優れた性能の金さん銀さんでも主を守るには多勢に無勢でしかなかった。
素人ではあるが、彼我の戦力差はハッキリ読み取れる盤面だ。
正直、逆転どころか一矢報いる手も思い浮かばなかった。
「……くっ、投了だ」
「その言葉を待っていた。では、権利を行使する」
相も変わらず口数が少ないが、その身に纏う雰囲気は明るい。
それはそうだろう、何せ初期から希望していたコンセントまで目前となったのだから。
「陣地の接収を行う。当該陣地に置いた私物の移動を」
「ああ畜生! 折角ベストな位置を見つけたと思っていたのに!」
泣く泣く小型のCDラックと再生機を動かす。
横になりながら聞くには最適な位置だったのに。
置物を退かせば、待っていましたと言わんばかりに行動を起こす。
小気味良い音を立て、新たな境界線が引かれる。
始めは一直線であった姿はもはや影も形もない。
歪な凹凸が床を走り、その力関係を示していた。
そう、認めたくは無いが俺はたった今、陣地の一部を失ったのだ。
「コンセントまであと3マス、中々良い調子。貴方はこのまま影に沈めばいい。私は扇風機という文明の利器を使う」
「くっそ、窓下の陣地を半分奪った事、まだ根に持ってんのか」
「根に持つも何も現在進行形」
これからの季節、気温が上がり日差しが強くなる。
この部屋の窓は大きく日差しを多く取り込めるが、建物の構造上どうしても半分が陰となる。
冬場はともかく、夏場であれば陰立地の価値は計り知れない。
まぁ、だから奪ったんですけどね。
まさか、こうも自分に有利な勝負ばかりを仕掛けてくるとは……いや、まぁ俺も似たような事やって窓の下という陣地を得たわけだけどね。
「だが、明日の勝負内容の決定権は俺にあるんだ。そうそう上手くいくと思うなよ」
悔しさに捨て台詞を吐く、が。
「そう言って惨敗を繰り返した結果が今の状況。あと3日でコンセントの優先権が私のものになるのは確定したも同然」
嘲笑で返された。
普段凍りついたかのように動かさない表情筋をわざわざ動かして、だ。
煽られてるのは間違いない。
「はぁー!? 本当に覚悟しろよ! 次はその合理的思考が通じると思うなよ! ――って聞いてないし!?」
言い返すが、既に陣地の最奥で読書に耽っていた。
そのマイペースさに言葉も出なかった。
●
高校デビューというものがある。
簡単に言えば、節目に合わせて自分のキャラをガラッと変える事だ。
成功し、交友関係を広めるものも居れば、その逆もある。
自分はどうだったかと言えば失敗の範疇である。
現状、軽口を叩く相手は居るが、放課後や休日に時間を使ってまで遊ぶ相手となるとゼロだ。
クラスメイトにとっては、賑やかしにはなるが、居なくても別に問題ない微妙な立ち位置だ。
家に帰っても良いが、花の高校生がそれで良いのかと考える。
そこでふと思い出した。
……この学校って穴場があるんだっけか。
卒業生である両親から受け取った複製キーの存在だ。
若い頃はそれなりに青春していたというのは両親の言。
少なくとも前科は無いため、常識を逸脱した行動は行っていないようだ。
そうだと信じたい。
そんなこんなで向かったのは、文科系クラブが集まる文化棟。
その最奥の隅だ。
数十年と放置された倉庫部屋が集まるそこは、目的がなければ近寄る者は絶対に居ない。
少なくとも両親の頃からは変わっていない錠前は複製キーによってあっさりと開錠された。
長年倉庫として扱われていたためか、埃に塗れた置物で一杯になっていた。
が、よく見れば通り抜けられそうな“道”がある。
これまで利用していた面々が残した道だ。
それでも満遍なく埃が積もっている辺り、ここ暫くは利用者は居なかったようだ。
扉の鍵を閉め、道に足を踏み入れる。
道中は舞い上がる埃に何度か咽る。
通り道ぐらいは掃除をしようと考えていると視界が開けた。
窓から入る光が照らすそこは、先人達が少しづつ切り開いた広場だった。
……確かに良い穴場になるな。
まるで漫画やアニメに出てくるようなお約束だ。
ここ数年で失った秘密基地への浪漫が再燃する。
どういう風にレイアウトするか考えていると、扉の鍵が開く音が響く。
すわ教師かと身構えていれば、現れたのは自分と同じ新入生の女子だった。
普段から無口で無表情で何を考えているか分からない相手ではあった。
実際は負けず嫌いだし、煽ってくるし、ルールに違反しなければどんな手も厭わない奴だった。
聞けば自分と同じく両親から複製キーを受け継いだとの事。
おまけに、この穴場を譲る気は無いときた。
自分だって、こんな素敵空間を後からやってきた相手に渡すつもりは無かった。
そこから話し合いを重ねて成立した陣地制度。
始めは綺麗に分割していた陣地は、気付けば争奪戦に発展していた。
一日に一度だけ、お互いに順番に勝負内容と狙う陣地を決め、勝敗を決する権利。
毎日行使している内に陣地は歪になっていくが、一進一退を繰り返すその勝負に熱くなっていった。
負け続ければ、狭くなった陣地開拓の為に、部屋の置物の整理や清掃を行い。
勝ち続ければ、広く寛げるスペースでまったりと過ごす。
お互いに勝負を挑み続ける日々が続き、遂には――
「私の手番、“モンちっち”のブログに『炎上誘導』を行う。補助行動として『掲示板の祭り』を組み合わせる」
「げぇ!? ちょ、ちょっと待って!? こっちの持ちブログはもう5つも無いぞ!?」
「止めを刺せる内に刺す。勝負の鉄則。生徒会長でも容赦はしない」
「はい、それじゃあ成功度はこれまでのネガキャン累積も合わせて……最低値だね。6面ダイス2個どうぞ」
サイコロが机の上を舞う。
その結果に一人の男が屍となるが、知ったことではない。
次は我が身なのだから。
「うわぁ、容赦ねぇ。流石はデータッキー ……」
「いや、まぁ、最近は生徒会の陣地が大きくなってきたし、最下位に落として大きく割譲させるのは間違いないんだよね。テレビ前の陣地は皆が狙っていたし分かりきった結果だったね」
学校でテレビが見れるのは大きい。
帰宅時間の関係でどうしても間に合わないアニメが見れるようになるのだ。
ここ暫くは生徒会長が優先権を持って“まじかる☆りゅんっ”を視聴していた。
俺としては裏番組の“覚醒王”が見たいのだ。
家で録画しているとはいえ、生で見るのはまた違うのだ。
「さってと、会長がやられたのは良いけど、補助アイテムを回収されたのは痛いね。ブロガーポイントは離れているけれど、十分射程圏内だよ」
「ええ、ですから先輩……貴女には犠牲になってもらいます。俺の手番、“ムーたん”のブログに『トロイハック』を行います。また補助行動で『リンク拡散』を組み合わせます」
「う、裏切ったなぁ!?」
「はっはっは、流石に陣地の縮小がキツイんです。会長は当然として先輩の陣地も頂きますね」
「そ、そういえば陣地の位置からして彼女とは利害が一致していたね!」
「今頃気付いたところで遅いですよ。先生、成功度は幾つですか?」
「あー、バズりボーナスがあるから……成功度は8だね。アイテムを使うかい?」
「そうですね。『金曜日』を使ってダメージボーナスを増やします」
「分かった。それじゃ6面ダイス2個どうぞ」
「わーっ!! 明日の格ゲー勝負では覚えてなよ!?」
――気が付けば部屋は綺麗に、そして広くなり、人も増えていた。
紆余曲折あり、正式な部活動として認められたが、その本質は変わっていない。
ここに居るのは、皆何かしらが中途半端な人間ばかりだ。
望むだけで現状を変える気力が無い人間。
誰よりも繋がりを求めながら、文字の羅列に逃げ込んでしまう人間。
夢や希望を信じながらも、数値と記録に縛られる人間。
0と1の思考に感情の模倣を重ねて人であろうとする人間。
信頼と信用に侮蔑と軽蔑を重ねてしまう人間。
それぞれが、自分の居場所を求めてここに居る。
陣地という居場所を守り、拡大するために皆はここに居る。
これは傷の舐め合いなのか、それとも――。
その答えは、いづれ分かると思う。
願わくば、それが良きものであることを祈る。