87話 金蚊と囚われの金精
数分歩くとまた扉があった。鑫さまがさっきと同じように開けると景色が変わる。
まるで王館のような豪華な造りだ。太くて真っ白な柱が何本も続いていて、両側の壁には絵が描かれている。何の絵かは分からない。
さっきまで洞窟だったのに、とても山の中とは思えない。同じ山でも貴燈山との違いが凄い。
「誰もいないのー?」
鑫さまは誰も出て来ないからか、イライラしている。けれど流石に心配になってきたみたいで、進むごとに口数が少なくなってきた。
「鑫さま。どこへ向かってるんですか?」
ご機嫌を損ねないようにタイミングを見計らって尋ねた。
「こなたの次妹である銀……鐐の所よ。この奥に構えているはずだわ」
不在の鑫さまに代わって月代を治めている仲位の精霊だと鋺さんが耳打ちしてくれた。
「本来は月代の三分の二を鑫さまが、残りを鐐さまが治め、銅と鉄の妹さまを中心に皆それぞれの鉱物を管理していたのです」
鑫さまが王館にいるから全部、銀の鐐さんが代理で治めているわけだ。僕も涙湧泉の管理を母上に任せっぱなしだ。……時々帰ろう。
「前にも言ったけどこなたの本体は金よ。鐐の管理がしやすいように、王太子になった時にここの金を全て王館に移したのよ」
「そんなことできるんですね」
水精には出来ないだろう。泉や川ごと持っていくことなど出来ない。勿論、雨や雷も不可能だ。
王館に本体ごと行けるとしたら……金精か木精くらいだ。土精はどうだろう。
「あら、坊やだってこなたのこと使ったでしょ?」
鑫さまはくるりと華麗に振り向いた。急にステップを踏んだら危ない。
「聞いたわよ。市で淼に筆記具を買ってきたんですって?」
鑫さまではなく僕が躓いた。何もないところで。鋺さんが腕をつかんでくれたお陰で転ぶのは避けられた。
「何でそれを……」
「んふふっ。聞いたのよねー。淡とかっていう水精もどきの火精から」
焱さん……話を広めないで。
僕がわがままを言った挙げ句、忠告を無視して火精に襲われたのがバレてしまう。
「ちなみに金理王も理王会議の時に見たって言ってたわよ。水理皇上が使ってるところ」
淼さまは、あの筆記具を会議でも使ってくれてるらしい。それはちょっと嬉しい。顔がにやけてしまう。
「こなたの本体が役に立ったみたいで良かったわ」
「あの金貨は鑫さまなんですか?」
何か質問の仕方がおかしいけど、正しい聞き方が分からない。
「そうよ。市に出回った金貨は定期的に王館に集められるのよ。勿論相当な品と交換した上でね」
回収するから本体がなくなることはないわけか。金精の神秘を見た気がする。
「まぁ、でも淼が金貨五十枚も渡すとは思わなかったわ。ホントに親バ」
「……おひーさま」
か細い声が聞こえて鑫さまが止まった。両壁の絵を邪魔しない程度に施された装飾が僅かに動く。
「いちのひーさま」
「おかえり、ひーさま」
「おひーさま」
ゴトゴト動きながら金蚊が数匹飛び出してきた。鑫さまが手を伸ばして全員を受け止める。手の平で転がる金蚊を鑫さまは一匹ずつ起こしてあげた。
「ただいま。錳、鎢、鈷、皆がどこに行ったか知らない?」
誰が誰だか見分けが付かない。けど流石に鑫さまはちゃんと分かっているみたいだ。
「いないよー」
「こっちだよ」
「にのひーさまいる」
……いるのかいないのか。何を言ってるのかよく分からない。それでも金蚊たちは鑫さまの手から飛び立って、同じ方向に飛び立った。
鑫さまがその後を追い、僕と鋺さんも付いていった。
「この子達は真名がないの。あるのは物質名だけ。だから意思が曖昧なのよ」
そういえば……精霊は真名を得るまでは意思があやふやだと、出会ったばかりの先生が言っていた。
生まれつき真名を持っている者には縁のない話なのだろうけど、真名を封じられていた僕には理解できる。
でも物質名というのは金精ならではの言葉のようだ。聞いたことがない。
「物質名は真名とは違うんですか?」
「水精でいうところの川の名前みたいなものよ。真名とは別にあるでしょ」
つまり、僕で言うところの涙湧泉。母上の華龍河みたいな名前だ。鑫さまの分かりやすい説明に納得した。
「ここー」
「ドロドロォ」
「お花ー」
ドロドロって何? と思ったとき、一匹の金蚊が僕の腕に止まった。腕というよりも袖に刺繍された花に惹かれたようだ。微かにプルプル震えている。
「鑫さま。ここはもしや」
「何でこんなところに。早く助けないと」
金蚊に案内されたのは錆びついた扉の前だった。何の飾りも装飾もなく、周りの華やかな様子に比べるとずいぶん地味だ。
鋺さんも鑫さまも少し焦っている。頑丈な鎖で南京錠がとめてあり、簡単には開きそうにない。
「ここは鍛圧機械室。昔、罪を犯した金精をペッタンコにして反省を促したのだけど、残酷すぎて今は使われていないわ」
ペッタンコ? 今サラッととても恐ろしいことを聞いた気がする。金精はペッタンコにされても大丈夫なの⁉
「確かに中に気配がするわ。どうしてこんな」
「鑫さま。お下がりください」
鋺さんが斧を振り上げた。今度は流石に鑫さまも止めようとはしない。南京錠ごと鎖を断ち切って、金属片が吹き飛んだ。
それに驚いたのか袖にとまっていた金蚊が袖の中に入ってきた。行き先が気になるけど、かわいそうだからそのままにしておいた。
「姉さま……?」
中から女性の声がする。その声を聞くと鋺さんは斧を振り下ろすのをやめて、扉を蹴って強引に開けた。固そうな扉が変形して脇に転がった。
「皆、いるの?」
「姫さま!」
「お姫さまっ!」
転がった扉と鋺さんの足が気になっていると、金精たちがワラワラと奥から集まってきた。パッと見た感じだと三十人くらい出てきたけど、物々しい機械の奥にはまだまだ人影が見える。
「皆、無事かしら?」
「姉さま!」
「鐐!」
込み合っている精霊たちがサッと端へ寄って道が出来た。奥から銀の煌めきが飛び出して、鑫さまに抱きつく。
「姉さま。来て下さると思っていました」
「落ち着いて。何があったの?」
長い銀髪は淼さまの色に似ているけど、淼さまの髪はほとんどまっすぐだ。今、通り過ぎた銀の髪は鑫さまと同じように高い位置で結い上げて毛先が丸まっている。
「水銀が……水銀が乗り込んできて、銅を飲み込んで、貴燈へ行って、それから鉄が」
「待って、待って落ち着いて。順番通りに話してちょうだい。まずはここを出ましょう」
鑫さまが鋺さんに目配せして、扉を完全に外した。三十人以上の精霊は皆、部屋から出て伸びをしたり、鑫さまの手を握ったり忙しい。
その間、僕と鋺さんは空気になっていた。
フランス語で銀を意味するアルジャンから付けました。




