85話 金亡者参上
焱さんの事件から二日経った。
僕は淼さまの執務室で月代連山へ向かう準備をしている。鑫さまも同席だ。毎日準備に追われてあっという間だった。
僕は淼さまに選択を迫られたとき、すぐに月代に行くと答えた。焱さんのことも気がかりだったけど、必要としてくれる精霊がいるのが嬉しい。
それにいつかこの経験が淼さまへの役に立つなら、とそう考えた。
淼さまは苦笑いしていたけど、僕の答えを予想していたらしい。また漣どのに小言を言われると言いつつ、水晶刀を僕に渡してくれた。
残り一回の七竈の笄も一緒に渡された。金精相手に使わないとは思うけど、何があるか分からないとのことだ。
それを知った林さまがちょっとだけ強化をしてくれた。やっぱり回数を増やしたり、新しく作ったりすることは難しいらしい。
「こなたの実家だから気楽にしていいわよ」
そうもいかない。気心の知れた焱さんとはやっぱり違う。いや、例え焱さんだったとしても一緒に実家に行くとなったら緊張するに違いない。
その点、焱さんは僕の実家に付いてきてくれた。緊張している様子はなかったし、むしろ堂々としていた。見習うべきだろうか。
「今回は坊やに付いてきてもらうから、特別に金理王が『金亡者』を派遣してくださったのよ」
……その不穏な名前の役職は何だろう。
「金理が金亡者を? よく出したな」
「金亡者って何ですか?」
淼さまが僕の身なりを調えてくれている。鑫の実家に行っても見劣りしないようにと、衣装を用意してくれたのだ。
ただ、着方が分からないので淼さまに着付けてもらっている。黒色でしっかりした生地だ。いつものゆるめの服よりも袖が小さく、空気抵抗が少ない。さらに詰め襟で何かを巻かれたように首が苦しい。
「金理王専属の役職だよ。まぁ、漕とか颷とかみたいな御役だね」
水理王専属・水先人。火理王専属・火付役。金理王専属・金亡者か。
そうなると、木と土もいるのだろう。今度、林さまにお会いできたら聞いてみよう。
「颷は基本的に火理の命令以外は気分次第なところがあるが、金亡者は理王の縁者でなければ口も聞かないほど徹底してるよ」
理王の縁者というと数は多くないだろう。僕など相手にしてもらえない気がする。
「ただ、理王の縁者なら低位でも丁重に扱うから定義は広い。誇り高い精霊だが……さて、出来た。こんなものだろう」
「あら、かわいい男前が出来たわね」
淼さまが仕上げるように撫でているのは飾り緒だ。左肩から二本伸びている。かわいい男前というのは誉め言葉として受け取って良いのだろうか。
「私のお下がりだけどね。調整が間に合って良かった」
「え? そんな勿体ない! お返しします」
水理王のお下がりなど恐れ多い。苦しい襟に手をかけて脱ごうとした。
「あらやだ。折角、林が徹夜で直したのに着ないの?」
「私はもう着ないから、雫が着ないなら捨てるけど」
息があったように外堀を埋められた。それより林さまがお裁縫を出来たことにも驚きだ。
「金精は……特にこなたの実家は見た目も重視よ」
「装飾も叔位に相応しい程度に直してもらった。あと背中には華龍どのの紋章を入れてもらった。徽章を付けるより確実だろう」
手が込みすぎている。これはもう断れない。諦めて襟から手を外した。
「じゃあ良いわね? 喚んじゃうわよ?」
淼さまと鑫さまと二人で頷きあっている。鑫さまは首飾りを外して、床に放り投げた。金の鎖が歪んだ円形を作る。
「さぁおいでなさい。金亡者」
首飾りの円形が鏡のように光りだした。太陽の光を映した水溜まりのようだ。遠くからカシャン、カシャンと金属の擦れる音がする。
鏡から手が生えてきたのを見てギョッとする。金属の腕だ。煬さんの足みたい。
「価値の寵愛を受けし者、金の申し子、次代の我が君。金亡者参上つかまつりました」
全身甲冑が床から這い出してきた。全身銀色に輝いていて、所々金色が混じっている。
使い込んで鍍金が剥がれたみたいな色だ。首の辺りからはぼんやりとした色の金髪が僅かにはみ出していた。
「ご尊顔を拝し恐悦至極に存じます。ご就任を心待ちにしておりました」
「やぁね、こなたはまだ鑫よ。今回は金理王が貴女を貸してくださっただけ」
キンキンと高い声が甲冑の中で響いている。顔も覆われていて分からないけど、女のようだ。
それにしても金理王専属なのに、王太子の就任を心待ちというのは何だか複雑だ。
「左様でございましたか」
ちょっとがっかりしている。鑫さまが首飾りを拾うために少し屈んだ。胸元が大きく開いた服のせいで、目のやり場に困ってしまう。咄嗟に斜め上を見ると、埃がたまっていた。しばらく掃除していなかったので、帰ってきたらすぐにきれいにしたい。
「挨拶なさい」
「は」
カシャカシャと音を立てながら、甲冑の頭部に手をかけると、くすんだ金髪が現れた。長さは揃っておらず、肩口から背中の中程までバラバラだ。
「水理皇上におかれましてはご機嫌麗しゅう。ご健勝のこととお喜び申しあげます」
「楽に。亡者、うちの雫を宜しく」
「雫というのはそちらの御子でございますか?」
鎧がカシャリと振り向いた。
「うわぁああっ!」
情けない悲鳴が出てしまった。
金亡者さん、顔が……。
「が、ガガがガガがガガ」
骸骨だ。
目があるところは空洞でどこを見ているのか分からない。でも視線を感じるのは何故だろう。
「雫、失礼だよ。彼女はたまたま皮膚と肉とがないだけだから」
た、たまたま?
「構いませぬ。慣れております故、こちらこそ驚かせて申し訳ない」
表情などないはずなのに寂しそうだ。じっと見られてる……気がする。申し訳ない気持ちでいっぱいになってきた。
「ごっごごごめんなさい! ぼぼぼぼぼく」
僕の顎はガクガクしている。けど金亡者さんの顎もカタカタしている。笑われているのだろう。いったいどうやって笑っているのだろう。
でも僕に話しかけてくれたことに安心した。それと同時にビックリもした。僕のことを相手にしてくれたのは、淼さまの手前だろうか。
「金亡者・鋺。月代連山へご案内つかまつります」
「よ、宜しくお願いします」
鋺さんは頭冑を被り直し、細身の斧を握りしめた。細身と言っても刃は長い。
鋺さんはその斧を振り上げると、止める間もなく床に振り下ろした。淼さまは執務室に斧を打ち込まれても咎める様子はない。
「どうぞお入りを」
「入るって……?」
鋺さんが斧を引き抜く。下の階が見えるはずの裂け目はどんどん広がって赤くドロドロしたものが見えている。
ナニコレ、マグマ?
「ここに入るんですか?」
こんなところに入ったら蒸発してしまう。
「こなたは一瞬で行けるけど、折角だからここから行くわ」
「では鑫さまからどうぞ」
先に行くわねと言いながら鑫さまが床の裂け目に飛び込んでいった。金の巻き毛がズブズブと沈んでいく。
「無事に帰っておいで」
「わ……ぁ!」
淼さまに肩を押された。赤いドロドロが目の前に迫ってきて目を閉じた。
「行ってらっしゃい」




