81話 欠けた炎
焱さんが意識不明!? どうしよう! 早く行かなきゃ!
「木理に連絡は? お母上にも登城要請をした方が良いだろう」
「はっ! すでに別の者が木の王館に」
「分かった。私もすぐに行く」
大きな炎を出しながら火精は消えてしまった。淼さまはそれを見届けると足早に執務室に入る。
「漕、どこにいる?」
水球をひとつ、無造作に浮かべて語りかける。淼さまも少しだけ言葉が荒い。慌ててはいないけど急いでいる。
「……あぁ、そうだ。雷伯と……可能なら雨伯も。いなければ雷伯だけで良い。急げ!」
淼さまの少し大きな声が部屋に響いた。木の王館から戻って一度も席に着いていない。淼さまは漕さんとの会話が終わらせると、執務机の引き出しを開けた。
「雫、お待たせ。行こうか」
焱さんは重傷だと言っていた。早く様子を確認したい。
淼さまは机の引き出しから小さい壺を取り出した。何回かひっくり返してすぐに戻す。しっかり蓋がされているか確認しているようだった。
「緊急だから最短で行くよ」
最短とは? 木の王館までは普通に歩いて行ったけど、他に行き方があるのだろうか。
淼さまは床の一点を見つめている。でも実際は床ではなくて、別の何かを見つめているようだった。何か落としてしまったのだろうか。屈もうとすると、後ろの襟を淼さまに引っ張られた。
「ぐぇっ」
「あぁ、ごめん」
喉が締まって変な声が出てしまった。喉を押さえていると、反対の手を淼さまに握られた。
「手は駄目か、腕も駄目、頭……も駄目か。……仕方ないな」
手の次は腕を組まれた。その次は額をくっ付けられた。淼さまの行動がおかしい。もしかして淼さまも焱さんのことで動揺してるのだろうか。
ふっと目の前を銀髪が掠めて、淼さまが見えなくなる。
「ぅ……わっ!」
足が浮いた。淼さまが僕を肩に担いでいる。
「びびびびびびびび」
「わ、たしはあまり腕力がないか、ら、落とされた、くなかったら、じっとして」
そう言われては迂闊に動けない。でも何がどうしてこうなった⁉
淼さまがご乱心したのかと、パニックに陥っていると床から水が勢い良く湧き出した。昔、初めて理術を使おうとして自室を水浸しにしたことを思い出せる光景だ。周りを円柱状の水壁で囲まれているようだ。
二、三回ほど瞬きをしている間に水の噴出は止まった。服も身体も濡れていない。
「っと」
足が着いた。揺れない足場にちょっと安心しつつ、腰を伸ばす淼さまに手を差し出した。
「……雫。意外と重いね」
申し訳ないデス。淼さまに抱えられる予定がなかったので体重など気にしていなかった。今後は気を付けよう。いや、違う違う。今後同じようなことがないと信じたい。
「水理皇上!」
「お待ちしておりました!」
二、三人が駆け寄ってくる気配がある。ちょうど火精が淼さまに跪くところだった。
「楽にしろ」
「はっ!」
淼さまは何かを跨ぐように足を軽く上げた。足元を確認すると大きな盥の中だった。水が半分くらい入れてある。
さっきまで淼さまの執務室にいたはずなのに……。最短とはここを……この盥を通ってきたらしい。
「直接焱のところに出ても良いんだけどね。私の理力が火の王館に負担を与えないように、地点を盥に決めてある。雫、早く出ておいで」
「は、はい」
そんなこと今はどうでもいい。まずは焱さんだ。淼さまの後を追うように盥から出ると不思議と足も濡れていなかった。
「水理皇上。恐れながら……」
「何だ?」
火精が僕をチラチラ見ながら、淼さまの行く手を遮った。もう一人の火精が申し訳なさそうに僕に近寄ってくる。
「どうかしましたか?」
「この先は焱さまの私室だ。悪いが、叔位の方は遠慮してくれ」
……そうだ。
慣れすぎておかしくなっていた。本当は僕が王館にいること自体がおかしいんだ。見下すような言い方ではなく、『叔位の方』とひとりの精霊として扱ってくれただけまだマシだ。
「あ、じゃあ僕……」
「焱の身内だ。通せ」
「身内? い、いや、しかし……」
火精が困っている。淼さまよりも頭二つ分大きい火精が僕たちの前に立っているせいで、向こう側がほとんど見えない。ふた続きの部屋のようだ。
「通してやれ」
聞いたことのある声がした。姿は見えないけど、この低音は確か。
「火理王!」
火理王さまだ。
「それは雨伯の養子だ。通してやれ」
「あ、雨伯!? し、失礼しました。どうぞ」
二人が左右に避けてくれた。広くなった視界に火理王さまが立っている。
淼さまに続いて火精の横を通りすぎる。叔位の分際で、と思われているに違いない。頭を下げれば痛いほどの視線を遮ることが出来た。
「林もいたのか」
「あぁ、さっきぶりだな」
頭を上げると火理王さまの後ろには林さまが立っていた。火の太子の危機に駆け付けたんだろう。
「離れて大丈夫か?」
淼さまが尋ねたのは木理王さまのことだろう。理王二人の後ろを歩く僕に、林さまが歩幅を合わせて隣に来てくれた。
「ちょうど垚が腐葉土を持ってきたので、麿の代わりにそのまま付いていてくれてるよ」
垚という名は確か土の王太子だ。垚さまが木の王館にいる……ということは王太子や理王が全員ここに集まるわけではないらしい。集まる基準は何だろう。
一度も廊下や外へ出ることなく、部屋から部屋へ移る。その度にお付きの火精が扉を開ける。水の王館ではない光景だ。
「焱の両親は水精と木精でね。二人を火の王館に呼んだので、麿たちが同席するんだ」
「あ、お父上が水精で、お母上が木精って」
林さまが隣から解説をくれた。淼さまがほんの僅かに首を後ろに捻る。顔は見えない。
「先生がそう仰ってました」
「なら漣どのは……」
淼さまが話に入ってきた。扉をちょうど三回通ったタイミングだった。
「焱が雫の義甥だってことも教えたかな?」
「え?」
入った部屋は火精でごった返していた。それでも火理王さまの姿に気づくと、皆一様に場所を空ける。ひとり、ひとりとスペースを作っていき、その先には寝台に寝かされている人影があった。
「えんさん……?」
淼さまも林さまもそれ以上は近づかず、火理王さまだけが寝台に近づき腰を屈める。
「我ら以外は退室せよ」
火理王さまの声を聞いて火精が一斉に動き出した。まるで僕たちのことなんか目に入らないみたいに、バタバタと部屋から出て行く。
火理王さまの髪色がだんだん変わってきた。青い髪が少しずつ赤みを帯びて、さらに根本の方は白っぽくなってきた。
「火理皇上……」
「火理、抑えろ。王館を壊す気でなければ」
「雷と松はまだか?」
「今、向かっている」
火理王さまはそれ以上何も言わない。髪色だけが赤くなったり、青くなったりを繰り返している。
「焱さんは大丈夫なん」
「雫」
淼さまに窘められるように手で軽く遮られる。でも火理王さまの耳には入ったようだった。
「見てみるか?」
え、いいの? 淼さまも林さまも近寄らないのに。
火理王さまが頭の方に移動してくれたので、焱さんの足が一本だけ見えた。淼さまの顔を見ると手を避けて頷いてくれた。恐る恐る一歩ずつ寝台に近づく。
焱さん、ちゃんと生きてるよね?
十歩くらいで着くはずの寝台が遠い。心臓が速く強く音を立てている。
焱さんの顔が見えてきた。頭と顔の半分くらいまで包帯を巻いていて痛々しい。包帯から出ている片目は閉じられている。
「焱さん……」
けど、ちゃんと胸が上下に動いているのを見てちょっと安心した。敷布に手を這わせ、焱さんの手を探す。
「……っ」
息が詰まってしまった。それ以上声が出ない。落とされたなという火理王さまの声が頭に入ってこない。
僕が握ろうとした焱さんの……
左腕がなかった。
次回は明るい……はず。




