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水精演義  作者: 亞今井と模糊
四章 金精韜晦編
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76話 魄失からの帰参

 魄失はくなし……僕が?


 返事が出来ない。でも何となく分かる。身体があちこち透けていて、輪郭もぼんやりだった。はっきり話すことも出来ないし、追いかけようとしても足が動かなかった。


 もし、帰って来られなかったらどうなったのだろう。 


「戻って来られないかと……」


 何の音も気配もしない空間に、自分だけが取り残されていく感じがして恐かった。世界の全てから拒絶されたようで、もう僕は存在していないのかと思った。淼さまに助けてもらったことですら、幻想だったのかと思った。


 淼さまは僕の背を撫でるのを止めて、立ち上がった。銀髪が流れを変えて離れていく。

 

「王太子は任命後、正式な着任前にそれぞれの玉座裏あそこに行くんだけど、雫にはまだ早かったね」

 

 淼さまはいつもよりも小さい声でちょっと残念そうに呟いた。僕が魄失に興味を持ったって聞いて会わせてくれたのだろう。でも、実際に会ってもどうしたら良いか分からなくて、結局、淼さまに迷惑をかけてしまった。

 

「王太子が皆経験するってことは……淼さまもあそこへ行ったことがあるんですか?」


 淼さまの眉が片方だけ跳ねた。こういう仕草は先生が時々している。ほんのちょっとだけ似た面を見つけてしまった。


「あるけど、ね」


 淼さまが口ごもる。淼さまにしては珍しく歯切れが悪い。聞いてはいけなかっただろうか。


「私はうっかり水柱を倒しそうになってね」


 流石、淼さま。すごい。あの素早くて掴みにくい水柱をどうやって相手したのだろう。それとも王太子ならそれが普通なのだろうか。


「先々代に怒られたし、他の理王にも王太子にも困惑されたよ」


 普通ではなかったらしい。それより先生に怒られる淼さまの姿が想像できない。その時の淼さまの反応も気になる。


「あの水柱は魄失はくなしなんですか?」

「そうだよ。からだがないのにとどまっている。だから魄失には違いない」


 からだがないから魄失。魂だけだから僕の身体を奪えたのか。


「淼さま、身体を失っても魄失にならない精霊もいますよね?」


 先生にも尋ねたことだ。会ったことはないけど、フューズさんのことが気になって先生に質問した。それから今に至るわけだけど、直接会ってみてもよく分からなかった。

 

「あの水柱は特別だから、あれが魂失の基準にはならないけどね。魂失になるにはいくつか条件がある」


 いつだったか先生が言っていた。魂失になるには強い未練が必要だと。それが条件のひとつだ。

 

 実際に魂失に会ってみて確かに強い思いは感じた。けれど感じた強い思い……嫉妬が兄のものだったのか、それとも水柱のものだったのか、今となっては分からない。


「強い未練があること。それから寿命が残っていること」

 

 なるほど。精霊としての寿命が残っていないと魄失にすらなれないのか。

 

「まだあるけど、これ以上の質問はなしだ。漣どのが雫に教えていないなら、私がこれ以上教えることは出来ない」


 僕が何かを言う前に淼さまは片手を上げて、僕の方に突き出した。確か、僕が理術を学び始めた頃だった。理王は教育をしてはならないというルールがあると淼さまは言っていた。

 

「分かりました」


 魄失のことがまたちょっとだけ分かった。焦らず少しずつ学んでいこう。安楽椅子ソファから足を下ろして感触を確かめた。うん、足がある。床もある。大丈夫だ。


「いずれ、また行ってもらうけどね」


 また、行くの!? 魄失にはもう会ったし、何で……あ! そうか、掃除してってことか!


「分かりました。今度は雑巾と灯りを持って行きますね」

「……………………うん、そうだね」


 理術で綺麗にも出来るけど、普段掃除しないところなら直に磨いた方が良いだろう。

 

 淼さまは残念なものを見るような目で僕を見ている。淼さまのこんな顔を見るのは久しぶりだ。僕はまた何か変なことを言ってしまったのだろうか。

 

 僕が安楽椅子ソファから降りると、淼さまも執務席に回り込んだ。


「あぁ、それはそうと」

 

 淼さまは席に着きながら、机にかかった髪を払っている。

 

「一応伝えておくけど、えんが王館を離れた」

「え」

 

 あ、ああ、そっか。貴燈山へ行くと言っていた。僕は留守番って言われていたから、今回は沸ちゃん達に会えないのは仕方ない。


でも、何も言わずに出掛けてしまったのは寂しい。焱さんに見送りの一言くらいは言いたかった。

 

「雫にも会いに来たんだよ、五日ほど前に。でも雫が気絶してたからね」

 

 あ、やっぱり来てくれたのか。焱さんが黙って行ってしまうなんてことは…………ん? 五日前?

 

くんも一緒に来たんだけど……ん? どうかした?」

 

 僕が淼さまを凝視していると話を止めてくれた。

 

「い……五日前? ですか?」

 

 くんさまが帰ってすぐに魄失に会いに行ったから、そんなに時間は経っていないはず。鑫さまは焱さんと都合が合えば数日後に発つと言っていたから……何かがおかしい。話が見えない。

 

 淼さまは納得したように、あぁと短く呟きながら机の上に肘を付く。

 

「雫は七日ほど昏睡状態だったからね」

「え!?」

 

 七日!? いつの間にか、そんなに時間が経っていたなんて……。あれ、先生の授業は? 淼さまの食事は? 掃除は!?

 

「考えていることを察するに……雫はもっと自分のことを心配するべきだね」

 

 頭の中を読まれたみたいに淼さまには考えていることがバレバレだ。確かに一週間も昏睡していて、よく無事に目が覚めたものだと思う。

 

「普通の魄失に身体を取られたら、二度と目は覚めない。それをよく覚えておくように」

 

 淼さまの戒めるような固い声が心に響く。出来れば魄失とは対峙したくない。でも、もし泉に帰るときに出会ってしまったら……。もし、沸ちゃんに会いに行くときに襲われたら……。そう思うと知っておくに越したことはない。

 

 卓に置かれた茶器を下げようと手を伸ばす。使用済みの茶器はカラカラに乾いていた。鑫さまが退室してから片付けるまもなく、謁見の間に行ってしまったから、僕は片付けていない。

 

 つまり……この茶器は七日前のものに違いない。衛生上良くない! 茶器を持ったまま固まってしまった。

 

「あぁ、さっき木の太子が来た。お茶を飲んで、まだ下げてなかったね」

 

 良かった! そんなに前じゃなかった。

 

 安心して茶器を片付け、同時に淼さまに新しいお茶を用意しようとして茶葉の缶に手をかけた。

 

「雫、お茶は必要ない」


 思わず動きが止まる。ハッキリいらないと言われたのは初めてじゃないだろうか。

 

「もし体調が大丈夫そうなら出掛けよう」


 出掛ける……まさか、また魄失!

 

「魄失の所ではないよ」

 

 思ってることが顔に出ているのだろうか。頬を両手で押さえた。淼さまにクスクス笑われてしまった。そんなに身構えなくていいと言われても、恐ろしい体験をしたばかりなので気持ちが張りつめている。

 

 淼さまは僕と話をしながら書類を一枚仕上げていた。いつの間に書き上げたのか、淼さまはざっと読み直して引き出しにしまった。その動作を流しながら、立ち上がって再び僕に近づいてきた。

 

「木の王館へ行くよ」

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