70話 別れ
煬さんの処分が決まった。
沸ちゃんたちに会うため、焱さんと共に客間へ向かった。足取りは重い。焱さんの手には煬さんの杖と帽子が握られている。
焱さんが処分を知らせに来てから、淼さまはすぐに僕を客間に送り出した。淼さまは一度も温泉姉弟に会っていない。そもそも叔位以下は謁見出来ない理だ。謁見という形でなければ会えるけど、その気はないらしい。
コツコツと焱さんの靴音が響く。客間へ向かう中、二人とも言葉を発していない。
焱さんはどんな気持ちなのだろう。普段、焱さんと話しているとあっという間に過ぎる。でも今日はやけに時間が長く感じられた。
次第に客間が近くなる。響く靴の音が沸ちゃんたちにも聞こえてたのか、僕たちが部屋に着く前に扉が開き、二人が顔を覗かせた。
「沸ちゃん」
沸ちゃんが飛び出してきた。滾さんもあとから続いている。
「焱さま。その……叔父は」
沸ちゃんは僕の前まで聞くと焱さんにおずおずと聞いた。その途中で焱さんが持っている物に気づき、息を飲んだ。
「落ち着け。死罪じゃねぇ」
焱さんは持っていた帽子を持ち直して、沸ちゃんにも見えるように腕を下げた。帽子の中には一匹の火蜥蜴が入っていた。黒みを帯びた胴体に橙色の斑点が毒々しい。
「……叔父上」
滾さんが喋った。まともに声を聞いたのは初めてだ。王館に帰ってくる間も話すことはなかった。巨体に似合わず高い声にちょっとびっくりだ。緊張で高くなっているだけかもしれない。
焱さんが帽子を沸ちゃんに手渡した。火蜥蜴は臙脂色の帽子の中でピクリとも動かない。
「直接触るなよ」
僕もついさっき教えてもらったことだけど、火蜥蜴は身を守るために体表が毒で覆われているらしい。うっかり触ると危険だ。
「仲位・煬に下された処分は千年間の休眠だ。貴燈山は休火山になる」
沸ちゃんは帽子を潰さないようにそっと胸に抱えた。それでも鍔を握る手には力が入ったように見えた。
「死罪でもおかしくなかった。俺もそう思ってたが……」
焱さんの言葉に二人が顔を上げた。
「結構、金精のことを助けていたらしいな」
淼さまが流没闘争の終わりを告げた後、水精を襲えなくなった火精は金精を襲うだろうと言っていた。焱さんも、先生も、淼さまもそう言っていた。
実際、火精は金精を襲い始めていたらしい。それで煬さんは逃げ回る金精を助け、火精を宥めていたというのだ。宥めてというのは力ずくだったらしいけど。
焱さんが訪問の先触れを出したとき、今まで宥めていた火精を集め、水精の僕を襲わせたそうだ。
「まぁ、火精の奴等はあることないことホザきながら訴えてきたけどよ」
僕と煬さんから騙し討ちにされたと火精三十人ほどが火理王へ訴えたらしい。火山から出たとき、火精たちはいなくなっていた。帰ったのかなと思ったくらいで、疑問にも思わなかったけど、僕は訴えられていたらしい。
もちろん火理王さまや焱さんがそんなことに惑わされるはずもなく、少し尋問したらボロが出て、金精を襲ったのがバレてしまい、逆に罪に問われたそうだ。余罪があるので取り調べ中だとか。
「あぁ、あと季位を襲ったって言っても……その季位の家族な。ほとんどのやつらは特に訴えはないらしい」
襲われた季位の精霊たちも無差別ではなく、寿命が尽きそうな精霊を選んでいたらしい。だから良いということではないし、許されることでもないけど、それ以外の精霊は見逃していたそうだ。
「皆、寿命が判っていて、最後に煬の役に立てるならって魂魄差し出したらしいぞ」
百体もの精霊が煬さんに自分を差し出すなんて、煬さんはどういう人物だったのだろう。
「煬が築き上げたものだ。あいつは面倒見がいいからな。好かれるんだろう」
美蛇から逃げてきた水精を匿っていたのも事実だ。きっと普段は困っている精霊に手を差しのべていたに違いない。
「そういったことを差し引いて死罪ではなく、休眠罪だ。但し、貴燈と沸・滾を保護する高位がいなくなるため、有事の時は覚醒を許可してある」
つまり貴燈山と沸ちゃん・滾さん姉弟に何かあったときは半ば強制的に目が覚めるということだ。沸ちゃんは今にも泣きそうだ。
煬さんとしばらく話が出来ない寂しさと、生きているという嬉しさが複雑に混じりあっているのかもしれない。
焱さんは持ったままだった杖を滾さんの方に渡した。巨体の滾さんが杖を握ると、より細く見えた。
「お前たちは知らないだろうが、煬の足が壊れたのは俺のせいだ」
焱さんが王太子ではなく、煬さんの友人として語り始めた。少し口調は柔らかいけれど、表情は固い。
「壊れた足に理力は廻らない。だから金の魄失でも煬に取り付きやすかったんだろう。原因の一端は俺にある。申し訳なかった」
焱さんが二人に深々と頭を下げた。沸ちゃんはおろおろして頭を上げるように言っている。僕は口を挟む代わりに焱さんの腕に手を添えた。
「……違う」
滾さんの声に焱さんが顔を上げた。
「叔父上は言ってた、ました。その……」
滾さんの顔が真っ赤だ。汗もすごい。沸騰しそうだ。
「ごめんなさい。ギルはとても恥ずかしがり屋なの」
滾さんは頷くと両手で顔を塞いでしまった。耳まで真っ赤だ。沸ちゃんが大きな身体に腕を伸ばし、滾さんの頭を撫でている。
「焱さま。叔父は『キラはいつも俺を助けてくれた』って言っていました」
沸ちゃんが少し鼻をすすりながら煬さんのことを教えてくれた。
「叔父は王館に上がっても混合精だからって同僚たちから差別されて、かなり嫌がらせをされていたそうですね」
王館に勤める精霊でもそんなことがあるのかと驚いた。水の王館には侍従も側近もいないけど、もし他に誰かがいたら、僕も低位だからと似たような目に遭ったかもしれない。
「でも焱さまはそんなことなくて、いつも味方になってくれたと言っていました」
焱さんは僕にも優しい。十年も水精のフリをして僕の側に付いていてくれた。
「でも俺は王太子選考会で煬を傷つけた」
沸ちゃんが首を横に振る。滾さんも振っていた。手で顔を押さえたまま。
「いいえ、逆です」
沸ちゃんは帽子の中を再び覗きこんだ。相変わらず火蜥蜴は死んだように動かない。
「『キラがいなかったら俺はここにはいない』といつも言っていました」
王太子選考会で焱さんと煬さんが対峙した際、罠が仕掛けてあったらしい。煬さんの後ろの壁が崩れやすいように細工がしてあったと沸ちゃんは言った。混合精が火の理王になることを快く思わない精霊たちの仕業だったそうだ。
「でも焱さまが異変に気づいて、壁の下敷きになる前に叔父を攻撃して弾き飛ばしたと聞いています」
それは知らなかった。焱さんの顔を見上げると驚くほど無表情だった。まるで表情を作るのを忘れてしまったみたいだ。
「叔父は『キラが王太子になって良かった』ってずっと言っていたんです」
「……本当」
滾さんが真っ赤な顔で同意した。手は顔面ではなく、頬に移動している。焱さんは黙って聞いていたけど、少し目が潤んでいるように見えた。
「そうか、分かった。もう行け。水理皇上が水先人を用意している。お前たちはお咎めなしだそうだ」
突然話を切った焱さんに、沸ちゃんと滾さんが一礼した。滾さんが踵を返そうとしたとき、沸ちゃんは僕に向き直った。
「ねぇ、雫」
「ん?」
沸ちゃんは言い出しにくそうにもじもじしている。
「あの、また貴燈に来てくれる?」
沸ちゃんの顔が真っ赤だ。滾さんも赤いままだ。今、温泉に入ったら火傷しそうだ。
貴燈山はお父さんも叔父さんもいなくなってしまって姉弟ふたりだけだ。きっと寂しいのだろう。
「僕も泉を見に行くことがあるから、そのときには寄るよ!」
満面の笑みを浮かべる沸ちゃんに対し、滾さんは再び真っ赤な顔を手で覆ってしまった。焱さんはさっきの潤んだ目はどこへやら、何だかニヤニヤしていた。
「何?」
「んー、別に」
二人を王館の外まで見送った。沸ちゃんとも滾さんとももっと話したかった。沸ちゃんは初めて出来た友達だ。滾さんともぜひ仲良くなりたい。
「青春だな」
焱さんが小声でボソッと呟いたとき、僕は二人に手を振るのに夢中になっていた。
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