69話 焱の帰館
「久しいな、煬。面を上げよ」
火の王館、謁見の間。
煬は捕縛されたまま火理王の前に連れてこられた。俺は玉座と煬の間に立ってその様子を見下ろしている。
煬は両膝をついたまま頭を少し上げた。黒髪が僅かに揺れるが、上げた高さが少し過ぎて顔が見えない。
木理王が落ち着いた翌日、煬を改めて尋問をした。新しく分かったことはあまりないが、情報を整理することはできた。ついさっき、水の王館にも火理王が情報を送っていた。
「そなたが王館を去ってから数百年か。……熔のことは残念であったな」
罪を問うでも罰を言い渡すでもなく、兄の話をする火理王に煬は少し驚いたようだった。僅かに頭が揺れている。
「名だたる伯位であった熔がそう易々と倒されるとは」
煬は黙っている。知っていることは俺に全て話してくれた。もう覚悟ができているのだろう。
煬が大きく息を吸うのを感じた。何か言おうとしたのだろうが、火理王はそれを遮るように声を発した。
「流没闘争中も、終息後も、怒りのやり場をなくした火精は多い。暴挙を取り締まり、尚且つ美蛇江との繋がりを持った火精を探すため、焱を外へ送り出した」
一体何の話をし出すのか。火理王を見上げてみたが俺とは目が合わなかった。
「弱い水精を狙っていた火精は、それが叶わねば金精を襲う。今回、焱には火精の取り締まりを期待していた」
色々あったが本来はそうだった。流没闘争終結宣言が出た後、不満を募らせた火精が金精を襲うだろうと踏んでいた。俺も火理王もだ。
その中に美蛇に繋がる火精がいる可能性も考えた。火精の不穏な動きを掴むため、俺は外へと赴いたはずだった。
「それがかつての同僚を捕縛してくるとは予想しなかった」
「御上。無様にも魄失に従い、水精金精を襲撃しましたこと全て私の罪でございます。いかようにも罰を」
火理王は片手を上げて煬を黙らせた。
「沸と滾であったな」
煬は雷にうたれたように体を震わせた。少し離れた俺からでもハッキリ見えた。もちろん火理王からも見えただろう。
「この子らも罪があると余は思うが、いかがか?」
「御上、煬たちは」
俺が口を挟もうとすると、ひと睨みで黙らされた。温厚な火理王だがこういう時は逆らえない。逆らおうとも思わないが。
「煬自身に聞いている。温泉姉弟は水精の所属ゆえ余から罰は下さぬ。しかし我が身と身内の可愛さ故に、魄失ごときの言うままに行動し、多くの犠牲を出し、理を乱したこと……止められなかった姉弟も只では済むまい?」
煬が頭を深く垂れた。完全に顔が見えなくなってしまったが、恐らく唇を噛み締めているだろう。静まり返る謁見の間で火理王は煬が喋り出すのを待っている。
「何卒、お慈悲を……」
煬がやっと口を開いた。火山で戦ったときの煬とは別人のように声が小さく、震える音しか出ていなかった。
「混合精の私は子を残すことが出来ません。あの子らもです。混合精は瞳の色と子を残せないことで迫害を受けます。身内に生まれれば捨てられることもあると聞きます」
煬の声がだんだん大きくなってきた。震えているのは変わりないが、それは恐れからではないように感じる。
「しかし、兄は我々を差別することなく、早くに別れた両親に代わり、私を守り育ててくれました。私はその兄の恩に報うべく、仲位の位を利用して、先代火理王の侍従になりました」
俺がまだ王太子になる前の話だ。一緒に前の火理王に仕えていた。
「その後、足を壊して帰った私を邪魔者扱いするでもなく、兄は変わらず迎えてくれました」
足は俺のせいだ。俺が息を飲んでしまった。それに気づいたのか、火理王がわざとらしく顎を上げた。しかしそれ以外は一切動かず煬の話に耳を傾けている。
「その兄は最期に私たち三人を逃がそうと身を挺しましたが力及ばず、敗れるに至りました」
取り調べでも熔の様子は詳しく聞けなかった。それは俺が触れられなかった。
煬は敢えてもっとも辛い部分を語りだした。熔がどうやって魄失と戦ったのか。どのようにして敗れたのか。
予想以上に壮絶だった。普通、魄失は本体を奪おうと突撃してくるだけだ。それなのに随分と姑息で残酷な手段を用いたようだ。
初めから力の弱い沸と滾を狙い、それを庇おうとした煬を痛め付けて動きを封じ、さらに三人を守ろうとした熔の腕や足を奪い、じっくり弱らせてから討ったらしい。平静を装って聞いているが、途中で吐き気がしてきた。
「私は兄の恩に報いなければなりません。兄の子を守らなければならないのです。あの二人を守るためなら何でも致します。私はどう罰せられても構いません。兄の子たちはどうかご容赦ください。彼らが負うべき罰は私が引き受けます」
長い台詞を一息に述べた。よく息が続いたものだ。煬は後ろ手に縛られたままで、額を床に付けた。帽子を被っていない頭が床に叩きつけられた音がした。
「皮肉なものだ」
火理王の声につられて煬から視線を移す。
「そなたが守ろうとしている子が、そなたと同じ混合精であるとは」
煬をチラッと見たが、反応はなかった。頭を下げたまま動こうとしない。
「熔の理力を受け継ぐ者が途絶えるのは実に惜しい」
混合精は頻繁には生まれないのに、どうして貴燈山には混合精が多いのか。
「元来混ざりやすい性質の理力であったのかも知れぬ。後継者がおらず貴燈が滅びるのなら、それも理であろう。仕方あるまい」
煬がバッと顔を上げた。滅びの単語に反応したようだ。
「煬……そなたにはいくつかの罪がある。金精を襲った罪。水精を襲った罪。魄失の報告を怠った罪」
火山で俺も並べた罪だ。もう分かっているだろう。煬は再び頭を垂れた。あとは罰が言い渡されるのを待つだけだ。
「それと昨日入った報告だが、火精を集め水理王の使いを襲わせた罪」
雫のことだ。火精三十人ほどに襲われたと言ってたな。被害がなかったのでちょっと忘れていた。『怪我してないよ?』と軽い感じで言っていた雫の様子を思い出す。
「王太子への暴行もあるようだが、それは焱が訴えておらぬので罪には問わぬ」
暴行と言っても、半分は煬の演技で半分は足にいた魄失との戦いだ。怪我も大半は治ってきたし、俺からどうこう言うつもりはなかった。
「そなたが家族を大事にしているのは良く分かっておる。しかし、そなたが奪った季位たちにも待つ家族がいる。それが突然帰って来ないとなれば……そなたなら気持ちは理解できよう?」
火理王は怒るでもなく、諭すでもなく、ただ事実として煬に問う。
「この身が彼らに差し出されても何の不満もございません」
煬から目を逸らすと、火理王と目があった。瞬きもせずにじっと見つめられる。俺の心が見透かされているようだ。俺の顔を見たまま、そうかと煬に返事をし、正面に向き直る。
「貴燈山・仲位・煬! 複数の罪により以下の罰を与える!」
火理王の声が響き渡る。謁見の間がいつもより広く感じた。




