66話 魄失との対峙
声が岩壁に反響して耳が痛んだ。
「理を乱したことを悔いろ」
焱さんが煬さんを見下ろしながらそう告げた。煬さんは胡座をかいたまま、呆然と目の前の燃える足を眺めている。
「く、そぉおオおオオおノれェええェッ!」
これ……誰の声?
炎に包まれた煬さんの足がみるみる形を変えていく。足から銅が剥がれ、ドロドロと液状になって広がった。やがて形を取り始めると、現れたのは鈍く輝く巨大な黄金虫だった。
黄金虫から人型になりそうでなりきらず、顔だけが人型という不自然な状態を保ちながら黄金虫がこっちを見た。指先から背中が寒くなって、鳥肌が立った。腕を擦って誤魔化そうとしても落ち着かない。
焱さんは続けて矢を打ち込み黄金虫の動きを止めた。逃れようとしているのか、呻きながら身体を小刻みに震わせている。
「そ、もウ少しデ……我のカらだ、ナっタノに」
煬さんの身体を飲み込むつもりだったのだろうか。ジタバタと六本の足を動かしている。ぶつからないとは思ったけど、隣の沸ちゃんを引っ張りながら一歩下がった。
「諦めろ。魄失が」
魄失……対面するのは初めてだ。本体をなくした精霊が理に従わず、眠りも死も拒否した姿だという。
この黄金虫は沸ちゃんが言っていた魄失だろう。熔さんを殺して、滾さんを毒で犯し、煬さんを脅して足を銅に変えたという悪行をはたらいた。まさかその足に取り付いていたなんて。
「違ウ違う! まマままダ、消えテナい。死ンでナい」
焱さんが次の矢を放つことなく、黄金虫の体は輪郭がぼやけてサラサラと灰になっていく。
「カラだドコ? あぁアあ新シいかラダあレバ復活……。火山……モらえル、そ、言わレタのに」
「何?」
魄失は息も絶え絶えに言葉を紡ぎだした。『火山を貰える』と聞こえた。
『そう言われた』……誰に?
焱さんも同じ事を感じたらしい。煬さんをチラッと見たけど、煬さんも何のことか分からないようだ。首を横に振っていた。
「おい! 誰に何を言われた?」
「嫌ダ……消えタクなイ。こんな理……嫌」
黄金虫はもう半分以上灰になっていた。もう喋れないのか焱さんが何度問いかけても返答はなかった。
「くそ、早まったか」
焱さんは忌々しそうに呟きながら灰を蹴り、弓を収めた。灰が舞って外へと流れていく。
煬さんは杖を支えにしてもなかなか立ち上がれないでいた。足に力が入らないらしい。沸ちゃんが駆け寄って肩を貸した。
その間に僕は、そっと滾さんの様子を伺った。滾さんの顔色はそんなに悪くない。戦闘で作られたと思われる新しそうな穴から光が入ってきて、様子がよく見えた。
「足……いつから気づいてた?」
煬さんが沸ちゃんの肩を借りながら、やっとのことで立ち上がった。
「俺のこと蹴った時から違和感はあった」
「何?」
「至近距離から反動も助走もなしで、壁に叩きつけられるほどの蹴力があるのか? まるで足に別の意思と力があるようだった」
煬さんは沸ちゃんの肩に手を置き、足の向きを直しながら話を聞いている。
「俺の足を折った時もそうだ。銅の足で踏みつけて、力をこめればそのまま折れるものを、わざわざ杖で折った。まるで足を制御するようにな」
しかも治しやすいようにきれいに折りやがったと言いながら、焱さんは僕と滾さんに近づいてきた。煬さんを振り返らずに、あとは……と更に話を続ける。
「お前。嘘つくとき目だけで笑うんだよ」
「は?」
失礼だけど煬さんの間の抜けた声を初めて聞いた。普段より高い声だ。
「それで確信した。案外自分では気づかないもんだろ? 俺は昔から『仲間に弱い』んでね。結構お前の癖も知ってるつもりだぞ」
「……そうかよ」
沸ちゃんの肩と杖を使って煬さんも近づいてきた。ズルズルと崩れるように座り込むと滾さんの顔を覗き込んだ。
「鉱毒は抜けた。荒れた体内も数ヵ月もすれば良くなるだろ」
焱さんが見下ろしながら軽い調子でどうするかと声をかけた。
「俺に連行されるか? それともひとりで出頭するか?」
まるで食後の飲み物を問うような口ぶりだ。確かに煬さんは連行しなくても逃げないだろう。好きな方を選べと言う焱さんに、煬さんはどちらでもと短く答える。
「叔父さまはどんな罰を受けるのですか?」
沸ちゃんが煬さんを気づかいながら焱さんを見上げている。その三人の間を灰が漂ってきた。灰の山で颷さんが砂浴びならぬ灰浴びをしていた。パタパタと動き回りながら灰に頭を突っ込んでいる。自由すぎる。
「甥姪が事実上の人質だったことは考慮されるだろうが……」
焱さんが口を閉ざしてしまった。言葉を選んでいるようだけど、どう言おうとあまり良くない結果なのだろう。
「罪の重さは変わらない。俺は季位の水精、金精の理力を百体近く奪った。その理力と引き換えにギルの解毒をする約束だった」
沸ちゃんが僕にしてくれた説明を、今度は煬さんが焱さんにしている。
「理の元に交わされた約束だったから破られる心配はなかった。だが、ギルを解放したら俺の身体を飲み込むつもりだったんだろうな」
煬さんは足を叩きながら、どこか他人事のように呟いた。自嘲気味た笑みを浮かべている。この十年の間にお兄さんを殺されて、その子供たちが質にとられて、自分は身体の一部を制御される。
一体、どんな気持ちで精霊を襲っていたのだろう。どんな気持ちで日々を過ごしていたのだろう。
「坊主……雫」
煬さんが僕の名を呼んだ。新鮮だ。
「悪かったな。お前の叔位の力で終えるつもりだった」
理力を集め終えたら、例え飲み込まれることになっても、御上に報告と沸ちゃんたちの救済を求めるつもりだったそうだ。
「俺はこいつらを助けられるなら、もっと酷な条件でも飲んだだろう。言い訳するつもりはない。どんな罰でも受ける覚悟だ」
煬さんは僕から視線を外してまっすぐに焱さんを見上げた。帽子で隠していない両目は意思の強さが窺えた。
「罰は俺が決めることじゃない。御上の審判を待て」
焱さんが話している途中で、颷さんが灰の山から勢いよく飛び出して来た。狭い空間を円を描くように飛び回ると、二、三周したところで外へ飛び出してしまった。
呼び止める焱さんの声も無視だ。突然どうしたのだろう。皆で颷さんの出ていった方を見ていると今度は水音が響いた。滾さんの温泉からだ。首を捻って奥を眺めるとパシャンッと魚が跳ね上がった。
「漕さん!」
温泉に駆け寄ると再び漕さんが跳ねて僕の顔にすり寄ってきて、器用にそのまま肩に乗った。ちょっと温い。
「ああ、漕が来たのか」
「水理王の水先人か?」
煬さんが杖を付いて立ち上がろうとしている。両側から焱さんと沸ちゃんに支えられていた。
「なるほど、颷が出ていったのはそういうことか」
漕さんと颷さんは仲が悪いらしい。確かに颷さんは比べられるのを嫌がっていたし、水精が嫌いみたいだから仕方ないのかもしれない。
「で、何のようだ? 水理皇上がまた過保護を発揮したか?」
焱さんは煬さんから手を離し、ニヤニヤしながら漕さんに話しかける。漕さんは音も立てずに僕の肩から離れると、焱さんの頭を静かに一回りした。
「な……に?」
「焱さん?」
焱さんの顔色が変わった。何かあったのだろうか? てっきり淼さまが、様子を見てくるように仰ったのかと思ったのだけど、そうではなさそうだ。
「雫、すぐに戻るぞ! とりあえず煬達も来い」
「焱さん、何があったの? 淼さまに何かあったの!?」
焱さんが手早く身支度を整える。僕も煬さん達も何があったのか分からず付いていけない。
「木理皇上が危篤だ」




