64話 煬の真意と鉱毒
「ま、待って沸ちゃん。どうして弟さんが暴れてるって分かるの?」
パラパラと細かい石が降ってくるのを、手で払ってやり過ごした。頭痛は収まってきたけど、今理術を使って防ぐのは止めた方が良い気がする。
「水源はあたしと一緒だから分かるの。ギル……滾は鉱毒に侵されていて、放っておくと苦しくて暴れるの」
弟さんは滾さんというらしい。そう思った途端、再び爆発音が聞こえた。さっきみたいな揺れはないけど、見上げると頂上付近から火が出ていた。
「だから普段は叔父さまが眠らせてるんだけど……何で起きちゃったのよ」
颷さんが沸ちゃんの顔から離れて肩ギリギリまで端へ寄った。不自然な距離の取り方だ。なぜか沸ちゃんから目を逸らしている。
「は、早く行かなきゃ」
「あ、僕も!」
焱さんの所へ向かいたい。爆発に巻き込まれているかもしれない。火の耐性はあるだろうけど衝撃で怪我をしてたら大変だ。
「雫は止めた方が良いわ。純粋な水精は鉱毒に耐えられないと思うから、出来れば火山から離れて」
「でも焱さんが……。役に立たないかもしれないけど僕も行く!」
ひとりで逃げたり、待っていたりするよりも自分の目で焱さんの無事を確認したい。
「でも……」
「気を付けるから! 沸ちゃん案内して!」
渋る沸ちゃんの手を握って懇願すると、沸ちゃんは根負けしたように頷いてくれた。下りてきた階段へ向かおうとすると握ったままの手に力が込められた。
「待って! 間欠泉を使うわ」
引っ張られてぐるんと身体が回転した。意外と力が強い。腕が抜けるかと思った。沸ちゃんに促されるまま、ぼこぼこした地点に立った。足を捻りそうだ。
「いい? 行くわよ」
「い、行くってどうやって」
「こうやるの、よっ!」
勢いよく熱水が沸き上がって身体が持ち上げられた。足場が不安定で盛大に尻餅をついてしまったけど、お湯なので痛くない。
今度は落ちないようにしないと。
噴火に乗ったときのような失敗はしない。僕たちを持ち上げているのは、幸いにもマグマではなくお湯だ。怖くはない。
「雫。叔父さまを許してあげて」
沸ちゃんが僕の手を引いて崖の中腹で飛び降りた。上がれるのはここまでらしい。走り出す沸ちゃんの後を追いかける。崖に沿うように出来た道に颷さんの影が映っていた。何気に付いてきているらしい。
「煬さんはどうして僕を襲うの?」
煬さんに聞いても答えは返ってこなかったけど、沸ちゃんなら答えてくれるかもしれない。
「聞いて。お父さまと叔父さまは美蛇江から逃げてきた水精を匿っていたの」
煬さん自身が焱さんにしていた説明だ。それは僕も聞いているし、さっきも煬さんがそれを認めていた。
「あたしと違って弟の温泉は露天じゃないの。目立たないように、そこに皆を隠してたんだけど見つかっちゃって」
「あ……美蛇に?」
うっかり兄上と言いそうになったことは黙っていよう。
「いいえ、美蛇じゃないと思うわ」
再び爆発が起こって細かい石が降ってきた。細かいと言っても拳くらいはある。上に行くにつれ空気が湿り気を帯びている。泉の水を使わなくても理術が使えそうだ。
「『雨傘』!」
水を吸収するための雨傘だけど、落石の威力も多少は防げるはず。沸ちゃんの頭の上に作ってあげた。顔を押さえているので、もしかしたら間に合っていなかったかもしれないけど。
「ありがと。雫は大丈夫?」
「僕はいいから、急ごう!」
正直、一個作るのが限界だった。理力はともかく煬さんとの戦闘で消費した体力が回復しきっていないのだと思う。少しふらつく。崖から落ちたら話にならない。
「ぐぇ」
変な声が出た。襟首を引っ張られたように喉がしまる。沸ちゃんからも変な声が出ていた。何事かと思ったら、巨大化した颷さんが僕たちを運んでくれていた。背中ではなく足で掴まれているのが、ちょっと切ないけど、水精嫌いの颷さんが協力してくれるだけで有り難かった。
颷さんにお礼を言って沸ちゃんに話の続きを促す。
「来たのは多分……魄失よ」
魄失という言葉には聞き覚えがあった。少し前に先生が言った言葉を思い出す。
ーー精霊の身体のことを魄と言う。魄失とは体を失っても眠りにつかず、未練がましくこの世に留まる者達のことじゃ。
ーー魄失は『魄』を求める。つまり、他者の持つ身体を奪うのじゃ。
「それって……」
「確証はないわ。でもアイツはお父さまを手にかけた上、ギルの温泉に鉱毒を流し込んで水精を全滅させたの」
煬さんの話とズレがある。
「煬さんは水精と足を交換したって言ってたけど」
「そんなの嘘に決まってるでしょ! 叔父さまがそんなことするはずないじゃない!」
怒られてしまった。確かにさっきは戦ったけど、煬さんは噴火から落ちる僕を助けてくれた。自分の足を変形させてまで。
「ギルは鉱毒では死ななかったの。魄失は叔父さまを脅したわ。助けたければ、水精か金精の季位百体分の理力を集めろって」
颷さんは器用に落石をかわしているけど、足に掴まる僕らは左右に振られて大変だ。
「水精なら美蛇に渡すし、金精なら華龍河っていう大きな川の力を削げるから、どちらでも良いって」
母上だ。母上の体調が思わしくなかったのは美蛇のせいだけじゃない?
「叔父さまはやるしかなかったの。断れば滾が殺されて、あたしも……もしかしたら」
頂上が見えてきた。火は頂上より少し下の小さな洞窟から出ているようだ。
「アイツは叔父さまが裏切らないように足を銅に変えた。もし、誰かに喋ったり、実行しなかったりすれば、銅が叔父さまを飲み込むって……」
颷さんがスピードを落とさずに洞窟に突っ込んだ。足を軽く地に擦ったのを合図に颷さんから飛び降りる。颷さんはそのまま何かに体当たりしたようだ。ものすごい音がしたけど、湯気がすごくてよく見えない。
「……颷?」
焱さんの声だ。良かった、無事だ! 名前を呼ぼうと思い切り息を吸い込んだ瞬間、咳き込んでしまった。
「雫、ダメッ、しっかり!」
沸ちゃんが何か慌てている。どこからか取り出した布を僕の口に当てている。
「わ、くち……もがっ……くるしっ」
「喋らないで!」
何をそんなに慌ててるのだろう。
「出来れば息しないで!」
それは死んでしまう。苦しさに少し顔を背けると沸ちゃんの持つ布が赤くなっていた。
血だ。僕の血?
「雫? そこにいるのか!?」
「焱さ……ごほっ!」
一言喋る度に咳が止まらない。今度は自分でも血を吐いたのが分かった。手で口を押さえる。
「雫、駄目だ! 早く外へ出ろ!」
焱さんにそう言われても身体が動かない。目も痛いし、指先が痺れてきた。
沸ちゃんが僕を外に連れ出そうと引っ張っている。でも僕は一歩も動けず、代わりに沸ちゃんの姿が見えなくなった。次の瞬間、僕の身体は地面に叩きつけられていた。
「ぅ……」
横たわる僕の身体が強引に持ち上げられる。片腕一本で僕を軽々と持ち上げているらしい。さっきも煬さんに同じことをされたな、と頭の片隅で思った。
クリーム色の髪、色の違う両目、そしてどことなく煬さんに似た容姿。間違いなくこの精霊が、沸ちゃんの弟……滾さんだろう。呻き声をあげながら荒い息をしている。
滾さんの後ろで煬さんが地を蹴り、滾さんに杖を振り下ろそうとしていた。




