60話 火精来襲
「はぁあー」
贅沢にも肩までお湯に浸かっていると、自然に息が漏れた。温泉の真ん中はかなり深くて足が着かなさそうだった。危ない気がしたので、なるべく端の方に座っている。
結局服は上だけ脱いで、水分を蒸発させてから荷物と一緒に端に置いてきた。大して疲れていないし、怪我もないから効果が分かるかどうか……と入るまでは思っていた。
いざ浸かってみると、やっぱり疲れがとれるような、癒されるような感覚があるから不思議だ。意識しなくても、ほぅと息が漏れてしまう。
「湯加減どう? ぬるければ上げられるけど」
「調度良いよー」
沸ちゃんはどこからか桶を持ってきてくれた。中にはタオルが入っている。
「ありがとう。でも乾かせられるからなくても大丈夫だよ」
濡れない内に桶ごと返すと沸ちゃんは不思議そうにしている。
「さっきの服もだけど、どうやって一瞬で乾かすの?」
「え? えっと『気化』っていう理術で」
「『気化』? それってどうやるの?」
「どうって……」
まずは水の理力を感じ取って、それからどういう風に水が動くのかイメージして、それから、えーっと、……あれ。どうやるんだっけ?
「雫?」
固まってしまった僕に沸ちゃんが声をかけてきた。けど、何の反応できなかった。
ほんの数ヵ月前まで、理術の使い方が分からなかった僕が、いつの間にか無意識で使える理術が多くなっている。先生に教わったときのことを思い出しても、教える立場になるとその通りに説明できない。
「僕、教えることに向いてない」
「? 急にどうしたの?」
まだまだ教わることの多い身なのに、誰かに何かを教えようなんて、一瞬でも思ってしまった自分を凍らせてしまいたい。ちょっとだけ自己嫌悪になりつつある。そんな僕を覗き込みながら、沸ちゃんが口を開いた。
「のんびり風呂かよ」
予想外に低い声に驚いて沸ちゃんを見返すと、沸ちゃんもびっくりしていた。沸ちゃんの声ではない。辺りを見渡して声の元を探ろうとしても、周りを囲む岩に反響して正確な発信源が分からない。
「呑気だな」
どこだか分からないはずだ。真上は空が見えるけど、温泉を取り囲む高い岩のほとんどに、ずらっと人影があった。二、三十人はいそうだ。
「煬の奴、たまには仕事する」
一人、二人と下に飛び降りてくる。あの高さから飛び降りてよく平気だなぁとちょっとだけ現実逃避をする。こうやって囲まれることに良い思い出はないし、おそらくこの後の展開も良くなさそうだ。
「何でここにいるの!?」
沸ちゃんの悲鳴に似た声が隣で響いた。沸ちゃんが温泉の縁にしゃがみこんでいるせいで、浸かっている僕の耳に高さが合ってしまった。耳にキンキン響く。
「しばらく来ないって言ったじゃない!」
耳だけじゃなくて頭も痛いけど、真剣そのものの沸ちゃんを見ているとそんなこと言えない。
「煬がここにいる水精を好きにして良いって言ってきたんだよ」
「そんな……叔父さま」
話がちょっとだけ見えてきた。全部は分からないけど、煬さんが僕を襲えと言ったらしい。さっき噴火の時に怒らせてしまったからだろうか。おかげで僕は無傷だけど、下りた後、煬さんに叱られてしまった。
嫌われても仕方ない、か。
「煬の奴、いつも俺たちが水精襲おうとすると邪魔するくせに、今日に限って好きにして良いってよ」
湯気でよく見えず、気配ももやもやしていたけど近くまで来てようやく分かった。
火精だ。
一歩一歩温泉に入る僕に近づいてくる彼らを見ていると、水の市で襲われたのを思い出す。早く出ないと、と思って温泉の縁に手をかけると沸ちゃんが火精の前に出ていってしまった。
「やめて、友達なの!」
僕は沸ちゃんの中で、すでに友達になっていた。ちょっと嬉しい。でもそんな嬉しさに浸ってる暇はなかった。
「うるせぇな。どけよ! 沸に手ぇ出したら煬に消されんだろ!」
いつの間にか五、六人の火精が沸ちゃんを取り囲んでいた。早く助けようと思い、急いで温泉から上がって沸ちゃんに駆け寄ろうとした。
「おい、こいつ押さえとけ」
「きゃあ!!」
「沸ちゃん!」
僕が辿り着く前に沸ちゃんは数人に押さえ込まれて手頃な岩にくくりつけられてしまった。何を使って縛ってあるかは分からないけど、狙いが僕なら、僕は沸ちゃんには近づかない方がいい。
「水の市で仲間がほとんどやられてから、こんな機会ねぇからな」
「あぁ、美蛇の野郎がいなくなって、水精が手に入らなくなったからな」
もしかして弱い水精を襲ってた火精かな? 美蛇を倒した後、焱さんが言ってた。水精を襲って憂さ晴らししていた火精が暴れだすって……。
「しかも叔位を叩くなんて初めてじゃねぇ?」
「今まで金精ばかりだったから弱くて叩き甲斐がなかったからな」
どうしよう、こいつらやっぱり金精を襲ってるんだ。焱さんに知らせないと……。でもまずはこの状況を何とかするのが先だ。もしかしたらその内、焱さんが下りてくるかも知れない。
「こいつどうする?」
水の市ではひどい目にあったけど、当時よりも使える理術は増えている。それに剣術も少しだけ習った。淼さまが持たせてくれた刀に手をかけようとして手が空を切った。……あれ。
しまった! 脱いだ服と一緒に置いてきてしまった! 取りに行けない距離ではないけど、行けば背中を見せてしまう。
「こいつ叔位なんだろ?」
「ああ、らしいぜ。その割には威圧感がないよな」
威圧感? それは僕が本体の……泉の水も満足に扱えてない精霊だからだろうか。
「まぁ、でも叔位なら手加減いらねぇよな……『火柱』!」
「!!」
詠唱もなしで理術を使われた。ここは火の理力が多いから省略できるのだろう。火の柱が僕に向かって伸びてくる。しかし、右にも左にも火精がいっぱいで逃げられない。残る選択肢は……。
「雫!」
沸ちゃんの声が聞こえたときには、火柱を避けるために温泉に飛び込んでいた。さっき乾かしたばかりだけど、そんなのまた後で乾かせばいい。
「チッ避けやがった」
「はーん、また風呂かよ。温度上げてやろうか?」
お湯から顔を出すと、円形の温泉が完全に囲まれてしまっていた。まずい。嫌な予感しかしない。
「『氷球』!」
凍った球を作ったはずなのに出来たのは水球だった。周りの理力は火の力に満ちていて僕には扱いにくいのか。ダメ元で投げつけてみたが、ひょいとかわされてしまった。ニヤニヤと笑いながら覗き込まれる。
「ひゃははっ! オキャクサマー湯加減イカガデスカー? ってな」
「背中流してやろうか? あっつあつのマグマをよぉ、ヒヒッ」
品が良いとは言えない笑い声が岩に響く。遠くの方でじたばたしている沸ちゃんが目に入った。もしかして、沸ちゃんをいじめていた火精は、こいつらなのでは?




