59話 火太子 敗北
「取引……だと?」
煬に蹴られた腹が痛む。金属製の足で蹴られたのだから当たり前だ。肋骨が折れたか、ヒビが入ったか。救いなのはぶつけた背中の痛みが少し落ち着いたことだ。
「そうだ。匿った水精と引き換えにちゃんと動く足が手に入るなら安いもんだろ?」
出来ればこれ以上、煬の話を聞きたくない。聞きたくないが、聞かずには入られない。
「それだけじゃない。混合精の俺が火山丸々手に入れるなんて機会、滅多にないからな」
元々この火山を治めていたのは煬ではなく、兄の熔の方だ。煬の本体はマグマやそれが固まった溶岩だけだった。熔亡き後、貴燈山を引き継いだわけだが……。
まさかとは思うが、頭に最悪の考えが浮かんでしまう。
「熔を……殺したのか」
煬が否定してくれるのを期待したが、煬は俺の質問には答えずに話を続けた。
「兄貴がいなくなった後、銅鉱を精錬して足を作った」
淡々と答える煬に怒りが沸き上がってくる。足を固められていて飛び出せないのが悔しい。
「精錬すれば当然廃水が出る。その廃水……どうしたと思う?」
煬は格子の中の温泉に少しだけ目を向けた。まさか……。
「温泉に……棄てたのか?」
俺に精錬の経験はないが学んだことはある。銅鉱を精錬するときには、砒素や鎘などの重金属が多く発生する。水精にとっては猛毒だ。その後の処理は金精が行うのが望ましく、単なる廃棄ではその場に猛毒が残ってしまう。
「そうだ。お陰で温泉に匿っていた水精も一気に片付けられた」
「てめぇ……」
「こんなとこでコソコソ生きるよりもマシだろ? 精霊として誇り高く『死ぬ』方が」
頭に血が上った。
足を固める溶岩に火の理力を加えて温度を上げた。溶岩がマグマに戻ったところで飛び出し、右腕を大きく引いて煬の顔を目掛けて殴りかかった。
「当たるかよ」
傷めた腹を無意識に庇っているのか、思ったよりも緩慢な動きにしかならず、煬にあっさり躱されてしまった。
しかし、空振りした動きの流れを活かして炎の中から簡易の火剣を取り出すことはできた。普通の火精ならあっさり倒せる使い捨ての剣だ。
痛みを無視して左足で蹴り出し、煬に斬りかかった。上から斬ると見せかけて刃先を傾け、斜め右に剣を振り上げる。反応が遅れて退がりきれなかった煬の帽子の鍔を切った。
「チッ」
煬は切れ目の入った帽子を深くかぶり直した。それを見ながら、振り上げた剣を勢い良く振り下ろした。
ガチンッという鈍い金属音が響いて俺の剣が受け止められた。煬の杖……これも銅製だ。片手で杖を持ち、もう一方の腕を添えて俺の剣を防いでいる。互いの力が拮抗していて、震える度に金属が擦れる音がする。
実は近距離戦では剣をあまり使わない。大抵の場合、理術で片付いてしまうからだ。でも煬は恐らくそれを分かっている。だから敢えて剣を選んだ。
「は、どうしたよ。火焔之矢は使わないのか? それともこんな至近距離じゃ使えねぇか」
ずいぶん挑発してくる。俺が背負ったままの火太子専用武器を使えば……使ってしまえば煬は一撃で消えてしまう。
帽子の切れ目に平行な線が煬の頬に入り、赤い液体が滲み出していた。それを見ながら力任せに煬を弾き飛ばして、溶岩壁に叩きつけた。部分的に岩が崩れ、埋まった煬の姿が見えなくなる。
「はっ……は」
少し時間が稼げたので、その隙に腹の治療を試みる。かなりの集中力を必要とするため、煬の様子も気にしながらでは全部は治せないだろう。深めに息を吐いて患部を温め、治癒力を上げる。発熱することで傷ついた組織を修復していった。
「……っ」
やはり折れていたらしい。骨の組織が繋がる痛みを感じた。もちろん自然治癒よりは若干脆いが、贅沢は言っていられない。重かった腹部が少し楽になって、崩れた溶岩を見ながら軽く息を吐いた。
「戦闘中に怪我の治療かよ。余裕だな、焱サマはよ!」
突然、左足首を掴まれた。思い切り引っ張られて転ばされる。倒れながら目を向けると、煬が床の溶岩から頭を半分ほど出して俺の足を掴んでいた。
マグマそのものである煬にとって、溶岩内の移動なんて簡単だ。油断していたつもりはないが、警戒を向ける先を間違えた。後頭部を強かに打ち付けた。
「無様だな。お前は確かに強いし、まともに戦ったら俺が勝てるはずはない。だが、マグマだけじゃない。今は貴燈山も俺の本体だぞ?」
「くっそ!」
足を振って煬の手を払い、半分だけ出ている頭に蹴りを入れると、短く呻く声が聞こえた。
ズキズキと痛む後頭部を押さえる振りをして、背負った火焔之矢の筒に指をかける。これを使えば確実に勝てる。討つための理由も揃っている。
転んだのを利用して低い体勢のまま火焔之矢を取り出した。まだ溶岩に埋まっている煬に矢を向ける。近距離だが問題はない。これで戦いは終わる。しかしその時ーー
煬が笑った。
見る者が見れば分かる。一瞬だったが目だけで微笑んだ。それを見て射るのを躊躇ってしまう。
「……次は考え事か? 随分舐められたものだな」
迷っている間に煬が俺の前に全身を現していた。低い姿勢だったせいで、噴き出したマグマに捕まり、太腿から腰、利き腕も固められてしまった。
「チッ」
「覚えてるか?」
煬が近づいてくる。銅製の足でマグマから出ている俺の片足を踏みつけたようだが、大した痛みはない。押さえ付けられただけで理術での攻撃は可能だ。
だが、混合精と言えども仲位の火精だ。普通の攻撃では効果は薄いだろう。煬に喋らせておいて、次の一手を考える。
「王太子選考会」
思考が止まった。煬はもう笑ってはいなかった。冷たい土のように表情を変えず、話しているのに口も大して動いていない。
「この辺りだったな」
煬が俺の足に杖を付いた。
「俺の足。お前が……壊したのは!」
言い終わると同時に杖に力が込められた。もう少し早く動けば良かったのだが、反応が遅れてしまった。
「ぐ、う、ぅああああぁあっ!!!!」
銅製の杖が俺の足にめり込んで、激痛に意識を持っていかれた。声を出すことで気絶はせずに耐えたが、自分の声に紛れて足から鈍い音が聞こえた。さっき腹を治したばかりなのに今度は足が折れたか。
やべぇ、俺こんなに弱かったか?
「キラ。お前は強い」
思っていたことと反対のことを言われた。強いならなんでこんな目にあってんだよ、と言ってやりたかった。
「だが仲間に弱い」
否定出来ないのが悔しい。自覚は大有りだ。少し前に雫にせがまれて水精の市へ行ったことを思い出す。そういえば雫の方は大丈夫だろうか。なかなか合流しないから心配しているかもしれない。
「あぁ仲間といえば……」
煬が俺の足から杖を外した。わずかな刺激でも痛みに脂汗が出てくる。それと同時に嫌な予感で冷や汗も出てきた。
「お前の連れの水精。雫といったか? あいつは貰うぞ」
予感的中だ。煬を睨むが、感情がないのかというくらい無表情だった。
「水精虐殺と銅鉱強盗が火太子にバレた以上、もう隠しはしない。俺を連行すると良い。俺自身が出頭したって良いし、この場で討たれたって構わない」
言っていることが合わない。雫をどうするって? 出頭するって? 話が結び付かない。
「だが、全て終わってからだ。あの水精の理力があれば全部終わる」
「な……にが」
足を治そうとしたが患部をマグマに覆われた。高温を保ち固まる気配がないので、治療をさせないつもりなのだろう。
「それまで大人しくしててくれ」
煬が移動の炎に包まれる。雫の所へ向かう気か。
「待て!」
追いかけようとしたが、炎は一瞬でマグマに吸収された。俺が放出した分だけ理力を吸い上げたらしい。じっとしていれば特に変化はない。
理術での攻撃は不可能だ。物理的に外すしかない。先ほどの剣はもう使い物にならない。更に悪いことに片腕が使えないので矢を射ることも出来ない。
どうしたものか、急いでここから出なければ雫が危険だ。雫は火の耐性は付いたが煬は土の理力も持っている。水精の雫は土に弱い。最悪だ。
ポチャン……と水の滴る音がした。
空耳か? 雫の安否を考えていたからといって、いくらなんでもそれはないだろう。だがその後も水面に雫が落ちる音と……跳ねる音も聞こえた。
温泉の方からだ。誰かいるのか?
作者は焱さんが不憫になってきました……




