56話 火山の水精
「おいっ!」
落ちていくはずの僕を掴んでくれたのは焱さん……ではなく、煬さんだった。
煬さんは身を乗り出して僕の手を掴んでいる。顔にパラパラと細かい石が降ってきた。煬さんの腕が盤の端を擦って削っているようだ。掴まれている腕が痛いけど、煬さんはもっと痛そうだ。
「雫、大丈夫か!? 煬、噴火を止めろ!」
焱さんの声が聞こえる。姿は見えないけど、煬さんのことを押さえているみたいだ。
「一旦始めたら外に出るまで止まらない! おい、坊主! このまま上まで行けるか?」
僕は平気だけど煬さんの方が辛そうだ。黙って頷くと、煬さんは僕の手を両手で掴み直した。
「耐えられるならこのまま行くぞ。キラ! 押さえてろ!」
熱気を感じて顔を少し下げた。下見んじゃねぇという声が頭の上から聞こえたけど、目に入ってきた光景に頭が付いていかない。
「ヒッ……」
マグマだ。
宙吊りになった僕の隣でマグマが垂直に伸びていた。時々、跳ねている光景が恐ろしい。いくら水精といえど……僕の火耐性が回復していたとしても、ここまで高温の火の理力に耐えられるわけがない。恐怖で身体が勝手に逃げようとした。
「おいっ! 暴れんじゃ……」
頭の上の方でバキンという音が聞こえた。直後に身体がガクンと下がり、すぐに不快な浮遊感に襲われた。あぁ、今度こそ落ちたのだと諦めにも似た絶望に飲み込まれた。
「チッ」
近くで舌打ちが聞こえた気がするけど、気にしている余裕はない。覚悟を決めるのに必死だった。あの高さから落ちたら助からないか、助かったとしても相当な怪我をするだろう。
母上。毎月、帰れなくてごめんなさい。
先生。全てを学びきれなくてごめんなさい。
淼さま、……淼さま。また会いたかったなぁ。ちゃんと帰れなくてごめんなさい。どうかご健勝で……
「火土の波 命じる者は 煬の名 坂をば為して ゆるゆる参れ『溶岩滑走台』!」
徐々に近くなる地面から新たなマグマが柱になって現れた。きっとあれに飲み込まれて終わりだ。
そう思っていたら身体が勢い良く反転して、その直後、背中に衝撃を感じた。地面に叩きつけられるまで、まだもう少し距離があると思っていたのに、予期せぬ衝撃に舌を噛んでしまった。
口の中が大惨事で押さえようとすると、腕が動かなかった。打ちどころが悪くて動かなくなったのだろうか。疑問に感じたものの、すぐに違うと分かった。
僕の腕は煬さんに押さえられていた。腕と頭を押さえられ身動きが取れない。周りが良く見えなくて、何か言おうと思ったけど口が痛くて話せない。
再びドンッという衝撃が襲ってきた。今度は口を閉じていたので舌を噛むことはなかったけれど、無意識に息を詰めていたらしく、苦しさを覚えた。
苦しいということは……僕は生きている?
「おい」
近くで煬さんの声がする。
「おい。動けるなら降りろ」
ハッとして顔をあげると、僕は煬さんの足に乗っていた。慌てて飛び降りると、臙脂色のズボンはボロボロになって中の足が見えていた。
銅?
煬さんが足を隠しながら杖を支えに立ち上がった。その様子を眺めながら僕も少し冷静になった。
煬さんの後ろから上に向かって伸びる赤いマグマ……だったものは徐々に冷えてきたのか、黒くなりつつあった。どうやらここを滑り降りてきたらしい。
「あの、ごめんなさい!」
「てめぇ……落ちるなよって警告しただろ! 何考えてんだ!? それとも何も考えられねぇほど頭ん中は空っぽか!? あぁっ!?」
怒っている。空気が重い。より深く頭を下げると煬さんの金属の足が嫌でも目に入る。多分マグマの熱に耐えられなかったんだろう。変形しているところがあった。
「煬さん、足が……」
「雫!」
焱さんが降りてきてくれた。重かった空気が水滴一粒ほど軽くなった気がして、ほっと息をはいた。
「坊主は無事だ。どうやって降りた?」
「緊急だったんで王館と同じ方法でな。悪かった、勝手に移動して」
火の中をくぐって演習場に現れた光景を思い出した。あの方法ならきっと移動は一瞬だ。王館内だけで使うと言っていた術だけど、理違反にならないのだろうか。
「別にお前なら構わないが、それなら最初から……」
確かに。それなら速い……と思ったけど、それが出来るのは焱さんと、おそらく火山の持ち主である煬さんだけで、水精の僕は出来ない。
もしかして僕が足手まといだったんじゃ……。
それを証明するかのように、煬さんは無言で僕をじっと見ていた。
「こいつがいなきゃ、すぐ上がれたんじゃねぇ?」
「あ、じゃ、僕、待ってる……から」
「しず」
「そうしてくれ。目障りだ」
焱さんが煬さんに食って掛かろうとしているのを止めた。落ちるなと注意されていたのに不用心に足を踏み出してしまった僕が悪い。
「大丈夫だよ、焱さん。僕、一人でも」
「いや、水理王の使いを一人に出来るかよ。……沸! 聞こえてるな? ここへ来い」
煬さんが言い終わるか終わらないかの内に、岩場の間から人影が現れた。黒っぽい溶岩の壁を背景にクリーム色の髪が目立っている。
「お呼びですか?」
「そいつを監視してろ。下の温泉にでも連れていけ」
声が高い。女の子だ。煬さんの言葉に頷くとすぐに僕の近くへ寄ってきた。前髪が長くて片目が隠れている。
この子、水精だ。
距離が縮まるに連れ、水精の気配が強くなった。何故今まで感じなかったのか、不思議なくらいだ。
「沸と申します。どうぞこちらへ」
「あ、えっと、じゃあ、焱さんまた後でね」
「あぁ。上を見たらそっちに合流する」
沸さんに促されて来た道を引き返し、二人から離れた。途中までは道を覚えたけど、周りは似たような溶岩壁ばかりだ。その上、ほとんどの階段は下りなのに、時々上りもあって、もうどこを歩いているのか分からなくなってきてしまった。
「叔父に悪気はないのです」
沸さんが突然足を止めた。僕の少し前を歩いていたところを、少しうつむきながら振り向いた。
「どうか特使閣下におかれましては、叔父の無礼な振る舞いを」
「ま、待ってください。特使って、僕のことですか!? 叔父って、もしかして」
沸さんは少し顔をあげてくれた。キョトンとしている。片方しか見えないけど、少し垂れた桃色の目をしていた。
「水理皇上の特使閣下と伺っておりますが? 叔父・煬が閣下に無礼を致しまして、大変にしつ」
「わーーーーっ」
なんかくすぐったくて大声を出してしまった。沸さんがますますビックリした顔をしている。なんか色々申し訳なくなってきた。
「やめてください。僕、そんなに位高くないんです!」
特使って何? なんでそんな大きな役が付いてるの!? それに閣下なんて敬称使ったことも聞いたこともないよ!?
「ですが……理王付の方なら高位の」
「ぼ、僕、叔位の雫って言います。本体は泉で」
自己紹介がまだだったことに気づいた。所属も位も名乗る順番がめちゃめちゃだけど、そんなことはこの際良い。さっさと身分を明かして誤解を解いてしまうことの方が先だ。
「カ……叔位? 私と同じなの?」
「沸さんも叔位なんですか?」
沸さんは一瞬、アッという様子でアワアワし出した。口元に手を当てている。
「し、失礼しました。私は叔位の沸。水精と火精の混合精です」




