50話 残骸回収
「水がないんやもの」
漕さんは僕をパッと離して短く答えた。くしゃくしゃになったであろう僕の髪をやや雑に整えてくれる。
「というか、そもそも何で付けて来てんだよ」
そのタイミングを逃さず焱さんが詰め寄った。
「華龍河にいつもの薬を届けてな。帰ろうとしたら御上から連絡があってな」
近くに僕たちがいるはずだからついでに様子を見てこい、と言われたらしい。母上に聞いたら、美蛇跡地を見に行ったはずというので、追いかけてきたそうだ。
御上の精霊使いが荒いのは昔からや、と遠い目をしている。
「王館に帰った思たら、雫の部屋に手紙届けてこい、とか、雫が庭に出たから気づかせろ、とか。うちは雑用係やないわ!」
雑用係は僕だ、と言える雰囲気ではなかった。漕さんは確か『水先人』だと、以前に聞いた。水理王の船を導くのが本来の役目なのに、淼さまが船で移動しないから、お使いに廻ってるって言ってた。
「華龍さんに教えてもろて、元・美蛇江に出てみたら地下やないかい! しかも二人ともおらんし」
「待て。地下に行ったのか?」
焱さんが漕さんの腕を掴んで話を遮った。身ぶり手振りを交えていた漕さんは話を急に止められたので不満気だ。
「そりゃ華龍河からまーっすぐ行ったらどんどん深なっていつの間にか……」
「もう一回行ってこい!」
「はぁ!?」
焱さんは掴みかからんばかりの勢いだ。でも漕さんも全く怯んでいない。それどころか自分より背の高い焱さんを睨み返している。
「何やの。いきなり」
「いいから、もう一回行って火精の痕跡がないか見てきてくれ!」
「はぁ? 何でうちが!?」
火精の焱さんが行くよりも、漕さんに行ってもらえれば速くて安全だ。当の漕さんは嫌がってるみたいだけど。わいのわいのとある意味で盛り上がる二人を見ながら、どうしたものかと考える。
「漕さんは優秀なんでしょ?」
ピタッと漕さんの動きが止まった。それに合わせて焱さんも僕を見下ろした。
「すっごく優秀なんですよね? だって確か水先人の試験をぶっちぎりの首席で合格したって聞いたことがあるから」
「ま、まぁそうやな。詳しいんやね」
ふふんという感じで、少しだけ漕さんが胸を張った。よし、いける。
「すごいです。僕にはとても真似できないです。僕なんてつい最近まで火精の通常攻撃にも耐えられなかったのに、ほんとに尊敬します」
漕さんがますます胸を張った。鼻が高くなっているように見えるのは気のせいだろうか。焱さんはちょっと引いて、少しだけ眉をひそめている。
「しかも、漕さんって水から水へどこでも移動できるんですよね、淼さまみたいでかっこいいです」
「いやぁ、御上に比べたら大したことあらへんよ。うちかて御上の許可をいただいて、あちこち移動できるだけやから」
「それでもすごいです! あでも……」
僕たち三人以外は誰も聞いていないのだけど、わざと声を低く小さくする。口元に手を当てて、漕さんの耳元に寄せた。
「さすがに小さい水球からの移動は出来ないですよね?」
「何やて?」
食いついてきた。掴みはうまくいった。
「水球から移動出来たら、地下にある川を見てきていただけないかと思ったんですけど、流石に漕さんでも出来ないですよね。……大丈夫です! あとで焱さんと一緒に見に来ますから」
ね。というように焱さんを見上げると、焱さんは意を得たようで僕に合わせてきた。
「そうだな、そうするか。悪かったな。出来もしないことを頼んじまって」
焱さんの煽るような言い方が漕さんに火をつけてしまったようだ。水精に火をつけるとは、流石火の太子だ。
「何やの、二人して! うちを見くびるんか! 出来るに決まってるやろ」
「いえ、漕さん良いんです。無茶しないでください」
「そうそう。恥かくだけだぞ。それだけじゃない。水理皇上の顔に泥を塗ることになる」
キーッという声が聞こえてきそうだ。ハンカチがあったら端っこを噛んで引っ張っていたに違いない。いや引っ張るだけではなくて噛み千切りそうな勢いだ。
「行けば満足するんやろ!? 見せたるわ! 坊ちゃん、早よ水球出しや!」
言われるまま水球を一つ作り出した。漕さんは水球の上に手を乗せて感触を確かめている。
「ええか、よぉ見ておくんやで。水先人の実力を!」
そういうと漕さんは水球の中に吸い込まれるように消えていった。辺りが一気に静かになった気がする。
「……雫、性格変わってないか?」
「え、そう? どう変わった?」
「いや、どうって言われても……」
焱さんが口ごもるなんて珍しい。僕はそんなに変わってしまったのだろうか。
「焱さ……ぶっ」
手のひらに乗せたままだった水球から、透明な魚が飛び出してきて、僕の顔面にぶつかった。漕さんのいつもの姿だ。
「お。早かったな。さすが水先人」
魚の姿でもドヤ顔って言うのかな。濡れた顔を袖で拭いながら、漕さんの様子を見ていると漕さんがクルクル回りだした。焱さんの首周りを行ったり来たりしている。
「ん? なに証拠?」
ちゃんと地下に行ってきた証拠を持ち帰ってきたらしい。抜かりがない。そのあたりが優秀と言われる所以なのだろう。
漕さんの体に何かキラッと光るものが透けて見える。焱さんの首を離れて、漕さんが僕の方に泳いできた。水球を出した形のままだった僕の手にポトリとそれを落とした。
「これは?」
小豆ほどの大きさのそれは、半分が赤茶色で半分が黒かった。
「貸してみろ」
焱さんが僕の手から小さな塊を取り上げた。
「僅かに火の気配がするな」
漕さんが僕の頬にぺちぺちと尾びれを当てる。どやどやという声が聞こえたのは気のせいだろうか。地味に痛い。
「何かの金属っぽいけど分かんねぇな。雫分かるか?」
焱さんが返してきた小粒を見ても、よく分からない。小さな水球を作り、試しに水に浸けてみると、微かに水の性質が変わる。
「多分だけど……銅だと思う」
僕もよく分からなかった。金精なら一発で分かるのだろうけど。
「銅ってことは、黒い部分は酸化してるのか。意図的に燃やされたか。それとも美蛇の付近で銅は産出されるのか?」
首を振る。そんな話は聞いたことがない。
「なら自然に酸化した可能性は低い。金精が何らかの被害を被ってると考えた方がいいな」
水精と火精の問題だったのが、火精と金精の問題に移りつつある。五つの要素が少しずつ繋がっているのを感じた。
「漕。王館に戻るのか?」
漕さんはいつの間にか僕の肩にくっついていた。人型に戻る様子はないけど、焱さんの声に反応して、器用に胸びれを軽く持ち上げた。
「水理皇上にこの旨を伝えてくれ。金精が絡むと俺たちでは処理できない」
漕さんが僕の肩から離れた。重さは大して感じなかったし、肩も濡れていない。一瞬僕の頬に擦り寄ると、小粒の金属を浸けたままの水球に入っていった。
淼さまに伝えればそこから他の理王にも伝わって金精の様子が届くだろう。火精の焱さんと水精の僕とでは金属のことはよく分からない。
漕さんが姿を消した水球を消すと、手の平には小粒が残った。反対の手でそれを摘まみ、もう一度よく観察する。
黒い部分に、黄色……?
少しだけ黄色い線が入っているように見えるけど、念のため焱さんにも確認してもらう。
「この色は硫黄だな。酸化じゃなくて、硫化か……面倒なことになりそうだ」
焱さんが顔を上げる。その視線は上流にある山に向いていた。




