49話 美蛇江跡地にて
焱さんと僕は美蛇江に来ていた。正しくは元・美蛇江だ。便宜上そう呼んでいるだけであって、今は華龍河の名もない支流に過ぎない。
支流に過ぎないとはいえ、本流扱いでもおかしくない長さがある。だけどおかしなことも起きていた。
「水がない」
そう呟いたのは焱さんだ。美蛇江の跡地には渇いた小石がゴロゴロしている。水が流れた跡はあるけれど、潤いが全くない。
「どういうことだ? 涸れたのか? こんな短期間で」
そんな話は聞いたことがない、と焱さんは戸惑っていた。本体がなくなれば精霊は存在できない。でも、精霊がいなくても川や海などの本体は残るという。持ち主のいない抜け殻のようなものだ。焱さんと泊まった鍾乳洞もそうだった。
不思議に思いながら二人で川に降りてみた。足下が不安定だ。ジャリジャリとした小石の感触が伝わってくる。
その小石たちの更に下から水の流れる気配を感じた。足を止めて、膝をついてみた。ゴツゴツしていて座りにくいけど、屈み込んで地に耳を近づける。
ーー川だ。
頭をあげて耳を離しても、水の流れる音が耳鳴りのように残っている。ゴウゴウという大量の水だった。
「伏流水だ」
数歩先でこちらを見ていた焱さんが近づいてきた。
「は? 何だって?」
「兄上は伏流だったんだ」
焱さんの顔を見上げながらそう答えたけど、焱さんはよく分かっていないようだった。
「そっか。今まであった水は奪ってきた分が溢れてたんだ」
「待て待て待て。ひとりで納得するな」
立ち上がって膝についた石の粉を払った。カラカラに乾いているせいで風に乗ってすぐに散っていった。
「川が地下を流れてるんだよ」
「地下水か?」
尤もな意見だけど、首を振った。
「地下水はずっと地下にあるでしょ? 伏流も普段は地下にある点では同じなんだけど、雨や雪が降って水量が増えると、地表に現れるんだ」
僕が焱さんに何かを教えるなんて、初めてのことだと思う。これまで教わってばかりだったし、今だって急に思い出したことだ。戻ったばかりの記憶の深いところから、急に飛び出してきた感じだ。
「悪ぃ。よく分かんねぇわ」
きっと僕が教えることに慣れてないから、説明が下手なのだろう。どうしたら伝わるかな。
「えーと、つまり、この下に川があって、涸れてるわけじゃないよ?」
「へぇ。……なら、まいっか」
納得は出来ていないみたいけど、涸れてないということは伝わった。今は肝心なことだけ分かれば良い。
「まぁ、水がないなら調査はしやすいな。火精の痕跡がないか調べてみるか」
焱さんはやっと自分の仕事が出来る。僕も手伝えることはやろう。焱さんの邪魔にならないように少し離れて足下を見て回った。
最近まで水中にあったはずの小石や砂はすっかり乾いている。焦げた草でもあれば強い火精が来たと分かるけど、草も苔も生えていなかった。
小石に焼け跡でもないかと思って試しに拾ってみた。特に変わったところはない。欠け方もいたって普通だ。
石を戻しながら改めて考えてみる。ここは透水性が高い砂礫層だ。水は地下を流れ、川は普段姿を見せない。それなら美蛇の本体は地下にあったはずだ。
「焱さん、ここじゃだめだ。地下を調べないと」
火精と取引していたとしたら、表には見えない本体の部分だ。火精が川に入るのは危険だけど、焱さんみたいに装備を整えたり、招かれたりすれば問題ない。
遠くにいた焱さんが近寄ってきた。
「地下か。難しいな。入り口がない」
「母上の河から入れるけど……戻る?」
母上と繋がってる部分がある。支流だから出入りも自由だ。
「いや、後にしよう。どうせ一月後に雫は泉を見に来るだろ? その時でいい」
焱さんは一ヶ月後も僕と一緒に来る気満々だったらしい。僕は嬉しいけど焱さんはそれで良いのかな。
焱さんが少し屈んで小石を一つ拾い上げた。回したり、ひっくり返したりして小石を観察している。
「乾ききって苔も生えてねぇのな」
焱さんは、小石を上に向かって投げては受け、投げては受けを数回繰り返した。その様子をぼーっと眺めていると、突然、焱さんが川岸に向かって勢いよく小石を投げた。
「痛っ!」
ガサッという音と共に川岸の草むらから声が聞こえた。逆に僕は驚いて声が出ない。
誰!? 何!?
一瞬、身構えた。でも焱さんは身動きひとつしない。それに慌てた様子もないので僕も腕を下ろした。
しーーーーん。
あれ? 声がしたのに何も動きがない。出てくるとか逃げるとか、何かあってもいいはず。
焱さんを見上げると、胸の辺りまで腕を持ち上げ、左手を掲げていた。
「気の理力 命じる者は 火の太子 理に」
「ストーーーーップ!」
焱さんが詠唱を始めると、川岸から大きな声がして詠唱を強引に止めた。すぐに黙った焱さんを見る限り、予想通りといった感じだ。
「さーん、にぃ、いー……」
「待ってぇな! 今行く! 行くからっ!」
予告なしでカウントを始めた焱さんに慌てたのか、草を掻き分けて人型が現れた。そのまま水がない川をずんずん渡ってくる。
「はー……二足歩行はしんどいわ」
しんどいと言うわりに元気そうに見える。
緩くウェーブした藍色の髪に、淡い水色のヒラヒラした服。多分水精だ。背は……僕より高い。でも焱さんよりは低いようだ。
「ごきげんようやねー、焱サマ?」
あ、やっぱり焱さんの知り合いだったんだ。ほっとして息を吐く。肩に力が入っていたことに気づいた。
「何がごきげんようだ。こそこそ付いてきて」
二人をキョロキョロ見比べていると、焱さんが僕を見て口を開いた。
「雫、こいつは」
「ひどいわー、坊っちゃん。うちのこと分からん? 何度も会うてるのに」
「え?」
会ってるの? 記憶にないけど。
少し屈みながら僕に目線を合わせ、焱さんの説明を遮った。会ったことがあるというこの精霊に全く覚えがない。
「すみません……おぼ」
「ひどいっ! 坊っちゃんのこと乗せたり、引っ張ったりしたのに!」
乗せたり引っ張ったりした? 思い当たるのは……。
「なんならほっぺにチューもしたのに……」
「ほ……」
よよよと頬に手をあてながらチラチラと僕を見てくる。乗せてもらったのは、初めての里帰りの日。引っ張ってもらったのはその帰り。
「もしかして、漕さん?」
ほっぺにチューとやらは多分、汁物から出てきて、すり寄られた時だ。昆布出汁の匂いが印象に残っている。
「当たり! 流石やねぇ、うちらの仲やもんね」
両手をガバッと勢いよく広げて僕に抱きついてきた。そのままわしわしと髪をなで回される。最近、色んな人に撫でられるけど、ここまで勢いよくかき混ぜられるのは初めてだ。
「そ……漕さん、何で魚じゃないんですか?」
舌を噛まないように気を付けながら、思ったことを尋ねてみた。いつもは水がそのまま魚の形をとって現れるのに、今日に限って人型なのは何故だろう。




