48話 母は強し
「清どの。改めて美蛇のこれまでの動向について詳しく聞きたい。それと金精の件についても」
円形の席に三人で掛けてから、焱さんが口を開いた。
「ええ……」
母上が以前、淼さまたちに話していた内容と重複するところが多い。けど、新しく分かったこともあった。
美蛇は大抵、水精を連れていってしまうことが多かった。しかし、一度だけ火精の方から出向いたことがあるようだ。見たわけではないが、美蛇江から火精の気配がしたという。
火精が好き好んで川に来るわけはないから、恐らくそれが取引の開始であったと思われる。
それと……。
「先日、御上は『関わった者に伯位はいなかった』と仰せでしたが、強い火の気配が感じられたので或いは、と」
火精の伯位も関わっているということ? 恨みがある者の集まりだとは聞いていたけど、最上位に位置する者が関わっているなんて、信じがたい。
「水理皇上が言っていたのは水精の伯位のことだ。火精の伯位が関わっていた可能性は充分にある」
伯位には魂が洗練された者しか就くことが出来ない。恨みや悲しみはあってもそれを自分の中で浄化することが出来る、と先生が言っていた。言っていたのに……そうではない者もいるかも、ということ?
「伯位の火精だと、かなり限られるな。だが、伯位相当の仲位の可能性も捨てきれない。ひとまずは保留だな」
焱さんが髪をくしゃくしゃと掻き乱した。少しイライラしているようだ。
「金精の方は? 親しくしていた金精とはどこの精霊だ?」
「上流のさらに先にある鉱山地帯でございます」
母上は焱さんのイライラを読み取ったようだ。いつの間にか並べてあったお茶をさりげなく焱さんにすすめた。
「そうか。俺も金精の方は詳しくないが、気に止めておく。火精の調査で何か引っかかるかもしれない」
あとは持ち帰って金理王か太子の鑫に伝えておく、と言って焱さんは話を切った。顎をあげて、出されたお茶を一気に飲み干している。一気に呷って、熱くないのだろうか。それとも火精は火傷しないのかな。
僕も茶器に口をつけた。程良く冷めているので、火傷はしないだろう。牛乳茶のほんのりした甘さが口の中に広がっていく。
焱さんが僕に目配せして、立ち上がる素振りを見せた。僕も席を立とうとすると、隣からものすごい力で引っ張られ、椅子へ戻ってしまった。
「涙。今回はゆっくりしていくのですか?」
母上の圧がすごい。顔はニコニコしているけど、ゴゴゴという音が聞こえる気がする。
「百年くらい泊まっていきますか?」
母上、それは泊まりではなくて住み……痛い痛い痛い。
ギリギリと掴まれた腕が悲鳴をあげている。
誰これ!? 僕の記憶にこんな強い母上いないんだけど!
「……清どの。お気持ちは分かるが、火理王と水理皇上の命で、雫を調査に同行させることになっている」
焱さんが僕のもう一方の腕に軽く触れたことで、母上は渋々と手を離した。階級は同じ伯位でも、王太子である分、焱さんの方が少し立場が上だ。
しかも、理王二人の承認付きだから拒絶も出来るはずがない。
「母上、ごめんなさい。また必ず来ますから、だから今日はこれで」
母上の手を握った。相変わらず、ひんやりとした心地よい手だ。けれど以前と違って、芯は温かみを感じられた。
母上の顔から微笑みが消え、姿勢を正しながら僕にまっすぐ向き直った。空いている方の手で僕の顔を撫でる。
「分かっています。御上の命なら尚更引き止めるわけにはいきませんね」
僕の顔から手を離すと、両手で僕の手をしっかりと握ってきた。
「ここにいてほしいのも事実です。ですが、御上が貴方を必要としてくださるのなら、今度は貴方が御上をお助けせねばなりません」
母上が僕の手を離して、そっと僕の身体を押した。行きなさいと言われた気がした。
淼さまの役に立ちたいというのは、いつも思っていることだ。今は離れて焱さんに着いてきてしまったけれど、いつか必ず淼さまに恩返し出来るようにしたい。
そのためには、まだまだ学ばなければならないことがたくさんある。今回の旅でもきっと色々なことを学べるはずだ。王館に帰る時には少しでも成長していたい。
そして、王館に戻ったら淼さまに言われたように理術の勉強を続ける。先生は僕が幼少の記憶を取り戻したから、もっと理術を使えるようになると思っていたのに、そうはならなかった。理術を自然に身につける時期に虐げられていたせいで、一般的な精霊のようにはいかない。もちろん自分の理力も扱えていない。
母上には申し訳ないけど、僕がここに戻るのはまだ先になりそうだ。母上と視線を合わせて決意を伸べようと口を開いた。
「あー、感動的な別れに水を差すようで悪いが……泉の管理があるので月イチくらいで帰ると思うぞ」
焱さん、もうちょっと早く言って欲しかった。しばらく帰らないつもりだったから恥ずかしい。
「清どの、美蛇の跡も見ていきたいので、大まかな場所を教えていただけるか」
「あ、それなら僕分かるから。母上、失礼します」
居たたまれないので早くこの場から離れたかった。焱さんの袖を軽く引っ張る。
「涙、美蛇の後で構いません。泉を見てからお行きなさい」
僕の赤くなった顔には気づいていると思うけど、母上はそれには触れてこなかった。先ほどと同じ真剣な表情のままだ。
「貴方もようやく本体を得たのです。今後はその管理もしっかりせねばなりませんよ」
精霊としてようやく本来あるべき状態になったのだから、という母上の言葉に僕は黙って頷いた。
待ってくれている焱さんの隣に立って母に短い別れを告げた。
十年間ずっと会わなかったのだから、一ヶ月なんてきっとあっという間だ。その前に……一ヶ月で王館に帰れるかどうかが分からないけど。
母上が作ってくれた水の道を波乗板で通って地上に出た。少し下流に行ったところに元・美蛇江がある。このまま川を下っても行ける場所だ。
「焱さん、歩いていった方が近いから岸に上がろうか」
「あぁ、任せる」
直線距離なら歩いていった方が早い。二人で川に沿って歩いていくことにした。ゆったり流れる母上の大河に白い雲が映っている。時々感じる微かな風が気持ちいい。
「お母上、元気になって良かったな」
僕が川面を眺めていると、焱さんの方から話しかけてきた。
「うん、お薬が効いたみたいで良かったよ」
「木理皇上の薬だからそりゃ効くだろうよ。もっとも、強すぎて高位精霊にしか使えないけどな」
僕が持つ七竈を提供してくれた方だ。どんな方なんだろう。お会いしたことはないし、今後、お会いする予定もない。
でも、お薬のお礼は伝えたい。淼さまにお願いしたら、お礼を伝えていただけるだろうか。それとも、火太子の焱さんにお願いしようか。
……いやいやいや、ちょっと待て僕。とんでもない地位の精霊たちに囲まれてるせいで、感覚がおかしくなっている。王太子に伝言頼むとか、理王にお願いするとか……自分の考えたことが恐ろしくなってきた。
頭を冷やそう。
徐に水球を作って頭を突っ込んだ。隣にいた焱さんが少し離れた気がする。




