水太子選考会⑨
僕に視線が集まっている。
皆、僕の声を待っているけれど、これは僕が決めていいことではない。
背筋を正して演を見た。
「専任事項につき、先代へ裁定を希求する」
僕から皆の視線が外れ、演に集まった。演に丸投げしてしまうようで申し訳ないが、任せるしかない。
演は困ったような笑みを浮かべていた。どっちでもいいよ、と言いたそうだ。
今まで条件を満たせる精霊がいなかったのだから、二人も残ったことが嬉しいのだろう。
でも太子はひとりだ。
「なら、引き続き選考を続け、私を倒してもらおうか」
ザワザワと急に騒がしくなった。
それでは今までの選考が無駄になってしまう。しかも沰も消も疲労困憊だ。特に沰は、中盤よりは顔色は良いとはいえ、怪我が深そうだ。
「と、まぁそれは冗談として」
冗談だったのか。良かった。
しかし、余計にざわめきが大きくなっている。演が冗談を言ったことに対しての驚きの反応が多い。
演は退位してから、澗さんに似てきている。本音がどうか分からない冗談を言うあたりがそっくりだ。
「二人とも理術に秀で、素養もありそうだ。また他者を労る度量も持ち合わせている」
演がべた褒めだ。余程二人が気に入ったらしい。
「ここで本来なら結論を出すべきだが、甲乙つけがたい。最終候補として、しばらくの間、御上の下で働いてみてはどうか? その上で判断しても遅くはないと思うが」
演は黒髪をバサッと払って僕を見上げた。
つまり僕の側近に置いたらどうか、という提案だ。
側近から太子が選ばれることも多いようだから、選択肢としては悪くない。ひとまず二人とも太子の候補として手元に置いておける。
ここまで勝ち上がったのだから、王館に上がることについては、僕も皆も納得する。そして、二人がいるのだから、選考会を開く必要もなくなる。
そして、僕としては手が欲しい。演のようにひとりで何でもこなせる能力はない。
金の王館で仕事がないときは、時々泥と汢も手伝ってくれるけど、主戦力は潟と添さんだ。特に添さんには書類関係の仕事でかなり負担をかけている。
でも急に王館で求人を出せば、下心ありまくりの応募が殺到し、ろくな事にならない。それが嫌で、なんとか人員を増やさずやってきた。
これは僕としてはかなり良い案だ。流石、演は分かっている。
「先代の案を受け入れる。両名に異議がなければ、王館での役職を与える」
大衆の視線が演から僕に移り、今度は会場中央の二人に移った。
二人とも黙っていて返答がない。命令の形を取っていないから尚更だ。
「消、いかに?」
「ふぇは⁉ い、異議ございませんんん」
消は名指しで聞かれると思っていなかったのか、相変わらずオドオドしながら返事をした。
「ならば明日より王館に上がれ」
「はいぃっ!」
続けて沰に声を掛ける。
「沰は?」
「……恐れながら申し上げます」
二つ返事だと思っていたら、異議があったらしい。よろしい、と言おうとして思いとどまってよかった。
「何か不満か? 要望があれば、申して良い」
内心ドキドキしながら、出来るだけ威厳を保てるよう、ゆっくり喋った。
変な要求をされたらどうしよう。受け入れたら甘いと言われそうだし、断ったら器が小さいと言われそうだ。
演ならきっと、他者の評価なんか気にしてたら仕事にならない、と言うだろう。残念ながら僕にはそこまでの度量が備わっていない。
「御上。そして先代さま。私は先代さまの最後の攻撃を躱せていません」
はっ? と間抜けな声が出そうになった。
沰は演に向かって片膝をついた。
「言うに言えない雰囲気に飲まれ、申告がこの場まで遅くなってしまったことを謝罪いたします。私は先代さまが最後にお投げになった石を躱せなかったのです。額の横に受けております」
沰はそう言うと、髪をかきあげて額の右側を顕わにした。真横一直線に傷が入っている。一部は血が固まって赤黒くなっているようだ。
「よって、条件を満たしたのは消どの唯一人。消どのこそ太子に相応しいと、この場にて奏上いたします」
沰の思いもよらぬ申告に、辺りがしーんと静まり返った。 これは僕か演が何か返答した方が良い雰囲気だ。
「正直で結構」
「ふーん」
僕の言葉と演の相づちが被った。演はどこか冷めていて、それでいて楽しそうだ。更に演からは疑いの気持ちが読み取れた。
演が気に入らないなら、沰の申告は遠ざけることも……頑張れば出来る。
どうやって対処しようか考えていたら、演が組んでいた腕を下ろして顎を上げた。話をすすめるように僕に目で訴えてくる。
演としてはこのまま進めて良いらしい。
「……だそうだが、消。いかに?」
「ぴぃぃ!」
鳥? 鳥が鳴いた?
消はそう思わせる声を出しながら白目を剥いていた。沰につつかれて辛うじて意識を保っている。
「消。異論はあるか?」
「ひゃいすぅぅ」
僕に続いて演が消に尋ねた。消は最早、何を言っているのか分からなくなってきた。桀さんと気が合いそうだ。
演はそれ以上、消や沰に声を掛けることなく、僕の隣に上ってきた。スッと潟が離れ、当然と言わんばかりに僕の隣に陣取った。
「ではここに」
大きく息を吸い込んで、一言だけ発し、皆の注目を集める。演のこういう演出は見習うところの一つだ。
「先代水理王の権限を以って、肖伯第三子、水精・消。この者を水太子に任命する!」
わぁぁあっ! と歓声が上がった。色とりどりの布が空に投げられている。着ていた服や手拭きなどを投げて、皆が新太子を讃えている。投げる物がない者は手を叩いていた。
消は膝をつき、頭を垂れている。僕の経験上、ハイメイイタシマスという言葉を口にしているはずだ。
消の声は歓声と拍手に消されて聞こえなかった。
「惜しいな」
そう呟いた演の声は僕にしか聞こえていないだろう。演の先には沰がいた。太子となった消から離れ、かといって他の精霊の輪に入るでもなく、手を叩いていた。
「沰のこと?」
「そう。状況を瞬時に解し、適格な判断ができている。他者を思う気持ちもある。このまま帰すのは実に惜しい」
演がここまで褒めるのは本当に珍しいことだ。余程、気に入ったのだろう。
手を翳して静まるように示した。サッと一瞬で静寂が訪れる。
「沰。ここへ参れ」
下がってしまった沰を呼び寄せると、演が声を出さずに笑った気がした。
沰は呼ばれると思っていなかったのか、反応が少し遅れた。怪我のせいかもしれないけど、動きが鈍い。予想よりも遅く、僕の前にやってきて、消のように跪いた。
「余はそなたの誠実さに深く感心した。己が太子となる機会を自ら手放してまで真実を貫くとは、その心得や極めて良し」
僕はちゃんと理王として威厳が出せているだろうか。
「太子という立場に未練やこだわりがないならば、先程の先代の提案通り余の下で働いてもらいたい」
次回でラストです




