水太子選考会⑧
雨伯の言葉で辺りの空気が一変した。
消が太子への距離を詰めたことを皆が理解し、ざわめきを通り越して静まり返っている。あとは演に一回攻撃を当てさえすれば、消が次の水太子だ。
成り行きを見守っていた沰も呆然としている。
「……素晴らしいな」
義姉上がいなくなってから、演が初めて口を開いた。僕を含めて皆の視線が演に集まる。
「『地獄召還』を使える水精がいたことも驚きだが、私の相手として不足ない者を喚んだ」
知識不足で理王として恥ずかしいが、どうやら『地獄召還』は喚び出す者を選べるらしい。
「しかも、願いが『攻撃に耐える』『攻撃を躱す』の二点だったことも良い。私に『攻撃を当てる』ことまで含めていたら、霈は呼び出せなかっただろう」
喚び出される側の意思も尊重されるらしい。どこまでも複雑な理術だ。地獄に繋がりがあるだけで使えるとは思えない。
「自分の無知が情けないよ」
せめて当代理王として、水精用の理術一覧に『地獄召還』を書き加えよう。
「御上。雨伯と先代さまが異常なだけですから、御上は立派に理王を務めていらっしゃいますので、あまり気になさらないでください」
潟に慰められた。
氷之大陸出身の演と、大精霊に次ぐ古参の雨伯に知識量で及ぶはずがなかった。でもそれを言い訳にしてはいけない。
師となる演が規格外なので、演に比べて大したことない理王だと、太子に思われたくはない。
「もっと精進するよ。次代も今回で決まるかもしれないからね」
二人のどちらかが僕の跡を継ぐかもしれない。そしてその可能性が高くなってきた。
「ところで、あの二人は何をしているんだ?」
消が沰に何か話しかけているけれど、僕の場所からでは声は聞こえない。話の合間に演の方を指し示し、消は自分の胸に手を当てた。
沰は消と演を交互に見て、首を振っている。何の交渉か分からないが、話し合いはうまくいっていないらしい。
「……ねぇ、潟。沰の顔色がおかしくない?」
「そうですね。かなり青いといいますか、白いといいますか」
明らかに血の気がない。沰本人は痛みがないせいか、顔色の割には元気そうにしているけど、白いを通り越して透けそうだ。
誰が見ても体調が悪そうだった。痛みがないせいで、体内の異常を認識できていないのかもしれない。
「棄権させる?」
「いえ、最終選考での棄権は戦闘不能に陥ったときだけです」
沰は消と少し声を掛けると、前に進み出た。その顔色で演の攻撃を躱すつもりなのか。
沰を止めようとして消が腕を掴んだ。沰はそれを無視して、ずんずんと前に進んでいる。消が軽いのか、それとも沰の力が強いのか、消はずるずると引きづられていった。
表情が認識できるくらいの距離まで近づくと、待っていた演に向かって沰が口を開いた。
「先代さま! お待たせいたしました。お手を煩わせて申し訳ありませんが、先代さまの手を受けたく存じます」
おぉ! っと感嘆の声が上がった。度胸もある。忍耐力もある。礼儀も欠かさない。そして諦めないという意思が良い。
これで顔色が悪くなかったら尚良い。
「せんだいさまぁ。自分が代わりに受けますからぁ! それで許してくださいぃ」
消が沰にしがみついたまま演に乞う。なんだか質のいいお芝居を鑑賞しているみたいだ。とても水太子選考会とは思えない。
「許せと言われても、私が何かされたわけではないしな」
演はそう言いながら屈んで小石を拾い、二人に向かって勢い良く投げた。演の小石は沰の額を狙っていた。沰は一瞬、頭を振ってそれを躱した。消に抑えられているので、動きは最小限だけどしっかり演の攻撃を躱している。
「私に許す権限はないな」
演がそう言うと、沰の顔色があっという間に赤みを帯びてきた。演が石を投げた瞬間、消は目を瞑ったので見えていないだろうが、傍目から見ても沰が回復しているのが分かる。
「そうか」
「どうなさいました?」
ひとりで納得していると、潟が顔をのぞき込んできた。
「沰は現象系の精霊だったね」
「左様です。石を沰げること、また水が落ちることの両性質を持っているそうです」
自らの現象を受けて本体が回復したに違いない。領域系の精霊である僕が、現象系について本当の意味で深く理解してあげることはできないけど、僕で例えるなら、涸れそうだった涙湧泉に水が入った、という感覚だろう。
「何がすごいって、演がすごいと思うんだ。それに気づいて攻撃と回復を兼ねるなんて、しかもあの場で」
「御上。ここで惚気ないでください。水太子が誕生しそうですよ」
潟の顔が離れていった。事実を言っただけなのに。
「消は沰を庇ってないで、私に攻撃をしてみろ! 沰は頑張って避けろ!」
演の声が大きくなった。演もそろそろ決着をつけるつもりなのだろう。再び小石を拾っている。
消は目を開けると、ちょうど演が小石を投げたところだった。沰は消に引っ張られながらも、なんとか小石を躱していた。
あと一回だ。あと一回躱せば、沰が理王になる。地味な攻撃が続いているけど、沰は確実に躱す回数をこなしている。
「せ、先代さまぁ! お止めくださいぃ」
消は、沰が回復しているのを確認していないらしい。沰に取り付いたまま、演を止めようと叫んでいる。
演に攻撃を当てれば、消の方が理王だ。
「消どの。そろそろ離してくれないか?」
沰は消を無下に出来ないらしく、やんわりと自分からは引き離そうとしている。
演がまた小石を拾い上げた。それを見た消が演に向かって飛び出した。
「おやめくださいぃ!」
僕の目でも消の動きが追えなかった。
もしかしたら一瞬消えていたのかもしれない。瞬きが終わったときには、消が演の腕を掴み、演は石を投げ終わっていた。
会場は静まり返っている。
今の動きで決着がついたのか?
もしそうなら、勝ったのはどっちだ?
皆、同じことを思っているに違いない。
沰は小石を躱したのか?
それとも消が腕を掴んだのは攻撃に入るのか?
「はっ……ははははっ!」
演が大声で笑い始めた。更に自分の腕を掴んでいる消の頭をワシワシと撫で回している。
「凄いぞ、二人とも!」
演は消の頭を撫でるのをやめて、手のひらを眺めている。そしてひとしきり眺めたあと、こちらに手の平を見せてきた。
序盤で沰に付けられた傷がきれいに消えていた。
「私の腕をつかむと同時に私の傷を消した。これは私に攻撃を当てたと認識する」
あー……なるほど。回復といえるかどうかは別として、消の理力で傷が消されたなら、それは認めていい。
演がニコニコしながら僕をじっと見ている。僕は同意を込めてゆっくり頷いた。
「そして、沰! 沰も私の投げた小石を避けた! 見事だ!」
二人ともほぼ同時に、勝利条件を満たしてしまった。この場合、どうすれば。
どちらが先に条件を満たしたか、確認する方法があれば良いのだが、残念ながら僕も目視では確認できていない。
「父上。どちらが先だったか分かりますか?」
「いや、全く見えなかったのだ」
雨伯たちでも分からないなら、ここにいる他の精霊も分からないだろう。ここまで僅差になると思ってはいなかった。




