水太子選考会⑦
演習場の地面に映った影が薄くなってきた。日が暮れるにはまだ早い。雲行きが怪しくなってきた。
風が通り抜けて、湿った空気が肌に纏わりついてくる。髪が張り付くのを避けながら、改めて状況を整理する。
演は今、二人まとめて攻撃した。とりあえず二人とも耐えているので、数をこなした。
だから沰は演の理力による攻撃と、蹴りによる攻撃、そして消を投げつけられたことで、耐える条件は全て満たした。更に演に攻撃も当てている。残るは攻撃を三回躱すこと。
消は演の理力に耐え、投げ飛ばされたことにも耐え、更には一回躱している。残り一回攻撃に耐え、あと二回躱し、そして演に攻撃を当てなくてはいけない。
沰の方が一歩進んでいる。ただし、身体的なダメージは確実に沰の方が大きい。痛みから開放されて、沰は肩をグルグル回している。
それを消が止めようとしている。それに気づいた沰は消を見て動きを止め、ポリポリと頭を掻いている。
なんだかおかしな光景だ。案外、この二人は仲良くなれるかもしれない。
「今までで候補者同士が協力することなどありませんでしたね」
「まぁ、協力してはいけないなんて理はないからね」
今までそう考えた精霊がいなかっただけだ。演を倒すことという前回までの条件を満たそうとするなら、尚更協力が必要だったと思うけど、後の祭りだ。
まぁ、ちょっとやそっと協力しようが、後から祭りを開催しようが、演は倒せなかったとは思う。
「どのみち先代さまの攻撃が続きます。二人で防ぐつもりでしょうか?」
「最後まで全部協力するわけにも……ん? 消が何か仕掛けそうだよ」
消が沰の前に立った。ここに来て初めて消の積極的な姿を見た。
大きく理力が動いているのが分かる。演に攻撃をするつもりらしい。
「先代さまに理術での攻撃が通用するのか?」
「物理攻撃の方がまだ通じそうな気もしますよね」
「まぁ……さっきの石器みたいな理術もあるから。運が良ければ当たるかもよ」
好き勝手言われているけれど、消はあまり気にしてはいないようだ。沰は沰で気を使っているのか、手出しをせず、消の様子を見守っている。
ところが消は一向に理術を使おうとしない。演と一定の距離を保ったままで、パッと見た感じ硬直状態だ。
演の攻撃を待っているのか?
演はそれを悟ったらしく、地を蹴って、ものすごい速さで消との距離を詰めていった。
演は佩いた剣を抜いていない。上半身を捻っているところを見る限り、今度は蹴り技ではなさそうだ。
一方、消は演が走り出したときには詠唱を始めていた。
「消ゆる者 呼び出す者は 肖り名 現の時へ 目覚めて還れ『地獄召還!』」
地獄ときいて、思わず椅子から立ち上がりそうになってしまった。
聞いたことのない詠唱だ。『地獄召還』などという理術も知らない。僕の知識不足ということになれば、漣先生の名誉に傷がついてしまう。
しかし、理術について深く考えるどころではなくなっていた。驚くことに演の拳を受け止めていたのは……。
「ひ……さめ?」
演の少し動揺したような声が耳に届いた。
霈の義姉上だ。間違いない。演も言うのだから間違いない。消の前に立ち、突き出された演の拳を受け止めているのは、地獄で会った義姉上だ。
全体的に青白い。頭から顔、演の拳を包む手、更には服まで同じ色だ。顔色が悪い割に表情は元気そうだから不思議だ。
ナックルダスターは付けていない。僕に譲ってくれたからだろう。ニコニコしながら口をパクパクさせて、何か喋っているように見えるけれど、声は聞こえない。
演は動かない。でももう動揺は感じなかった。状況を理解しているらしかった。
「なんとー! 『地獄召還』で娘を見られるとは! わははは! 良いものを見たのだ!」
いないはずの養父がはしゃいでいた。南部の山間部に雨を降らせに行ったはずだ。
「いいぞ、先代! そこだ! もっと、あー! 霈はもっと脇を締めるのだー!」
別に雨伯に来てほしくなかったわけではない。ただ、雨伯が滴に頻繁に会いにくるので、南部の山間部は雨期が遅れている。
これ以上遅れると本格的に良くないということで、半分は罰の意味も込めて、緊急特例で全員参加の条件を掻い潜って行ってもらった。それなのに……何故ここにいる。
「さっきから湿度が高くなってきたとは思っていたのですが、まさか乗り込んで……いや、失礼。見学にいらっしゃるとは」
「潟、大丈夫。言葉選ばなくていいから」
僕に気を使って、潟が言い方を改めた。
「あの爺、仕事サボりやがって、舐め……」
「ごめん、やっぱり言葉選んで」
潟の荒い言葉は親しみの裏返しでもあるけど、皆の前でそれはまずい。雨伯の沽券に関わる。
「『地獄召還』を使える精霊が水精にもいたとは驚きなのだ」
「父上、それはどういった理術なのですか?」
雨伯の子の誰かが尋ねたようだ。何故ここにいるか、については誰も突っ込まないらしい。けれど、その場にいた多くの精霊が解説を聞きたいと思ったに違いない。僕も理王でなければ近くで聞きたいくらいだ。
「うむ。『地獄召還』は、一時的に消えた精霊を地獄から喚び出す理術なのだ」
その間にも戦いは進んでいる。演は手を振り払って、距離を取り、今度は左手を振りかぶった。それを義姉上が再び受け止めている。
今日一番の激しい戦いだ。演が足を掛けにいくと、それを察した義姉上はさっと足を避け、胴をひねった。
「水精が使えるのは珍しいのですか?」
目は演と義姉上の動きを追うのに忙しく、耳は雨伯の声を拾うのに忙しい。
演と義姉上の動きが速すぎて、見るのを諦めた精霊たちは、雨伯の説明に聞き入っていた。
「地獄との繋がりがある精霊でなければ詠唱すら出来ないのだ。土理王はともかく、土太子でも使えないと思うのだ」
ザーッと激しめの土音を立てて、義姉上が下がった。演の一撃が義姉上の腹に入ったようだ。
不思議なことに義姉上は演の攻撃を防いでいるだけで、自分からは攻撃しようとしない。
「消の名を持つ故、消えた者たちとの繋がりがあるのだろうな」
雨伯がそう呟いた直後、義姉上は起き上がって、ニコニコしながら演に手を振った。そしておまけのように僕をチラッと見たところでスーッと消えてしまった。
まるで最初からいなかったみたいだ。
「ち、父上! 霈の姉上が消えてしまいました!」
「うむ。喚び出した者の願いを聞き届ければお役御免なのだ」
義姉上は消の願いを聞き届けたわけだ。一体何を願ったのか。
「霈は先代の攻撃を二回……いやそれ以上に躱し、一回耐えたのだ。消の理術なのだから消の手柄なのだ」
思わぬ形で消が勝者への距離を詰めてきた。




